《2010.3.29の夢》
昔近所に有った銭湯に入ろうとするが、店内を除くと薄暗な中に沢山の客が蠢いて見えて薄気味悪く感じとても入る気になれない。

《2010.3.31の夢》
親切に近づいてきた男が実はヤクザだった。

《2010.4.3の夢》
10メート以上あるような高台からプールへ飛び込みしている人を下から見ている
・・・
高層マンションのガラス張りのバルコニーがある部屋を外から見ている。


《2010.4.4の分析》

現在はどうされてるんですか、と…

私のセラピーでは、先ず私が記録してきた夢を報告した後のセラピストによる分析に入る際に二パターンの流れがあります。

概ねは即夢の分析から入っていくのですが

時にはセラピストからこう唐突に質問されて始められるパターンがあるのです。

その理由は、私が報告した夢の内容から私が迷走状態にあるとセラピストに判断されたからだと思われるのですが

この当時四十の歳を迎えていた私はその三年前から父母と共に十二年間続けてきた製靴業を離れ

派遣社員等で日銭稼ぎを続けながら自らの夢であるサウンドプロデュースへの路を模索しつつオリジナル楽曲の制作に取り組んでおりました。

しかし実際のところは
楽器等何一つ満足に演奏出来ず
音楽理論もロクに理解出来ておらず
長年取り組んできたパソコンソフトを用いた打ち込み制作も一向に覚束(おぼつか)ず…

早い話しが一人では何も出来なかった状態に長年迷走し続けてきた有様でした。

学生時代から肉声にて録り溜めてきたメロディの欠片(かけら)を繋ぎ合わせて曲にすべく

この数年はなけなしの給料から受講費を捻出しピアノレッスンやDTM作曲の指導を受けに通っていたのですが

如何(いかん)せん元々の不器用さに加えて天性の飽きっぽさも災いし

そのどれもが作曲の実践に活かせる程には身に付ぬまま結局自力では一曲すらの完成にも至らぬままにきたのです。


「…今も作曲活動を続けてはいるんですが、兎に角僕は自分に技術が無いので…

自分の曲のイメージを形にしてくれるような演奏者やエンジニアとの出会いがやはり欲しいところなんですが…

なかなかその機会を作れない現状なんです」


詰まった喉から絞り出す様になんとかそう答えた私はこれまでにもセラピストからこの質問をされるのを不快に思ってきました。

というのも私が現状についてこう答えたところで、更なる追い打ちの如くこのように問い直されるのが定番だったからです。

「作った曲をどうするんですか」

『何処まで子供時分の空想に溺れ続ければ目を覚ますんですか』と心に響くかのようなセラピストの問い掛けを受ける度に言葉を失い何一つ満足に返答出来きずにきた私は

そんな自らの生き様に何の自信も成功への確信も得られぬまま只々活躍の機を逸してきた不甲斐無き自分自身の全容を白昼に晒される思いに襲われるのです。

そりゃそれで一発狙いにいくに決まってる…
等と内心で呟きながらも、その根拠となると頭がカラカラ空回りを始めます。

自力で無理ならそれなりのビジョンも持ってはいましたが、先立つものの事情を顧慮すればそれも長期戦になってしまう

それに加え現物となる作品が未だ皆無の現状下で絵に書いた餅の様な話しを口にする気にはどうしてもなれず、沈黙を押し通すしかありませんでした。

既に四十の歳にしてろくに技術も実践も持たぬずぶの素人の自分がアイデアのみで無謀とも思える夢を見ながら

配偶者の選択も出来ぬまま貴重な時間とお金と労力を投資し続けているのです。

第三者から見れば殆ど"狂気の沙汰"とは自覚していながらも、私はこのセラピーの場にて只々そんな自身の現状を曝け出し続けてくるしかなかったのでした。



そんな私の沈黙を破るかの様にセラピストはゆっくり話し始めました。

「夢に見た銭湯とは闘いを表す"戦闘"を指しています。そして銭湯に入れないとは"闘いに入れない"、つまり人生の表舞台に飛び込んでいけないということです。

男が"戦闘”に行くためにはやはり武器が必要なんですよ。精神分析的に意味する"武器"とは行動の原動力となる"自らの欲望"です。

そして"自らの欲望"に向かっていくためには先ずそれが何たるかを明確に"言語化"することが必要となります。

その段階を経て初めて自らの"戦闘"に臨むことができる訳なのですが、そこで問題となるのがその次の夢に登場してくる"ヤクザ"という存在なんです。

光輝さんはヤクザに対してどんなイメージをお持ちですか」


「…そうですねぇ…やはり社会のルールを守らない、暴力で社会を脅かすという"反社会的な存在"というイメージですかねぇ…」


セラピストからの質問に何気無くそう応えた私でしたが、その実内心に走った微かな衝動を抑え込んでいました。

というのも私にとって、力によって世間を威圧するヤクザとは所謂"縦社会"の象徴の様な存在であり

その点では社会的優位に立つ政府や企業も、また国家権力に抱え込まれた警察や学校も皆それに等しく

如何なる集団にも馴染めずいつもアウトサイダーの如く生きてきた私は気付けばそんな"縦社会"を激しく嫌悪し憎悪してきたからでした。


「…確かにそういう側面は有ります。社会のルールを守らない、力で社会を脅かすとは別の視点から見れば「言葉が通用しない」ということです。

これは即ち「言語と向き合えない"不条理な存在"」ということですが、只ここで肝心なのはその側面だけで彼等を捉えることは出来ないという点なんです。

元々"義理と人情"をイデオロギーとして生きてきた彼等は親や世間から見捨てられた者の受け皿となり

国政が壊滅状態となった戦後の社会事情に於いては政府の代わりとなってそんな社会を動かす歯車役を担ってきたという事実も忘れるべきではないんです。

そしてそんな彼等は"道を極めた存在"として"極道"とも称されてきたんですよ。

ところが一旦国政が制定されると彼らはその新たな社会のルールを守らず、代わりに力で社会を脅かす存在となっていきました。

そうして称されてきた"言語と向き合えない不条理な存在である"ヤクザ"と

一方で"道を極めた存在"である"極道"という相反する意味を持つこれら二つの名称は彼等に潜む"二面性"を意味しています。

そしてこの二面性を反して見れば"一貫性の欠如"が浮き彫りになってきます。

その原因とは彼等を動かす原動力が"怒りの反動形成"から生み出されたものであるということによる訳なのですが…

これって結局"お父さん"のことですよね」


確かに…

実際"笑うとえべっさん、怒ると般若"と言われるまでに極端な程の二面性を持っていた父でしたが

幼少期より母へ浴びせられ続けてきた父の怒号と罵声に幾度と無く心を踏みにじられてきた私にとっては

"ヤクザ=父"というセラピストの指摘は正に私の精神に内在化してきた"父"そのものでした。


「光輝さんのお父さんには、ビジネスに於いては優秀な起業家でありながら家庭に於いては家族を追い込み崩壊へ導いていったという二面性が有りました。

本来子供の養育期に於いて、その子自身の欲望と向き合って生きていくという主体性を親が育んでいく為には

『お前は何者になりたいのか』
『その実現のためには何をすべきなのか』
『失敗してもいいから自分の思ったことをやってみろ』

そして出した結果に対して
『何が足りなかったのか、間違っていたのか』
『そもそもお前の抱いてきた理想像とは本当にそれで合っていたのか』
『ではその実現の為に何をすべきなのか』

といった父の言葉を父自身によるその実践的行動を見せていきながら絶えず掛け続けることが必要なんです。

ところが自らの欲望すら語れなかったお父さんは父としての言語を持っていなかったが為に光輝さんを正しく養育することが出来なかったんです。

そしてそんな父に育てられた光輝さん自身にもやはり二面性が有ることを次の夢が教えてくれています。

高台から飛び込もうとしているのも
それをただ傍観しているだけのものも両方ご自身であり

高層マンションに暮らしているのも
そのマンションを羨望しているのもやはりその両方がご自身であるという

"勝者"としての人格と"敗者"としての人格が光輝さんの精神に混在しているということです」


既にこのセラピーを10年以上続けてきた自分が結局これまで散々反発してきた父と同じように未だに反動形成によって生きていると指摘され

私は再び語るべき言葉を見失いました。



「今光輝さんがやっていることは合っていますか…。無茶をしようとしていませんか…」

更なるセラピストのそんな問い掛けに
今回の分析の冒頭でろくに言葉に出来なかった"サウンドプロデュースへの挑戦"が再び頭を過(よ)ぎりました。

結局自分はこの歳になるまで只々無謀な夢を追いかけて来ただけだったのだろうか…

とすれば一体何の為に?

不甲斐無い自らの人生を喰い潰し破綻に追い込む為に?

否、決してそんなネガティブな訳ではなかったというのであれば

何故今日まで私は自らの夢を言葉にすら出来ずにきてしまったのか…


「自らの欲望を語れないのはそれを親に飲み込まれてきたからです。

光輝さんにはご自身の夢が有りました。

しかしお父さんはそんな息子の夢や欲望と向き合うことが出来ず

まして光輝さんがまだ幼いころから散々夫婦喧嘩を見せつけては光輝さんの主体性を完膚無きまでに破壊し続けてきましたよね。

その上自らが起こした会社に光輝さんを引きずり込んでは自身の資産運用の失敗の為にたった数年の内に倒産させ

更には光輝さんの信用を盾にして後釜会社を再建させた挙句に

そんな厳しい渦中で何の営業経験も無い光輝さんを矢面に立たせ続け散々光輝さんを追い込んでおきながら

それでも利益が上がらないと判断するや、結局光輝さんを"用無し"とばかりに一方的に見放してきたんじゃないですか」



私がサウンドプロデュースの大成を自らの夢として抱き始めてきたのは14歳からのことで

思い付いたメロディをコツコツと録り溜め続けながらこの歳になるまで、その想いは一度も消え失せることはありませんでした。

只そんな長きに渡り息子が抱き温め続けてきた夢を一度たりとも伺い知ろうとしてこなかった父と母にとって真に重要なこととは

息子が如何なる夢を抱き続け生きてきたのかということよりも

息子の働きが如何に巨万の富を得ようものであるのかということであったのだろうという懐疑心をこれまで私は払拭出来ずにきました。


「自らの欲望を語れない者は他人の欲望を喰物にして生きていくしかないんです」


確かにそんな両親であったからこそ私は自らの夢を"自分だけの聖域"として


犬が飼い主から貰った骨を土中に埋め隠す様に自らの心に隠し秘めたまま

いつまでも自らの夢を社会と共有出来ず
自らの夢の実現に向かっていけない

そんな人生を強いられてきたのかも知れないと思い起こさせたセラピストの言葉に

私はこれまでに爆発させるべきであった"怒り"を如何に自らの内に抑え込み

そのまま"無意識の闇"に葬り去ろうとしてきたことかに気付きました。

と同時に、"縦社会"に抱いてきた自身の憎悪の正体とは結局そんな"怒りの反動形成"によって生きてきた父に抱く"怒り"であったこと

そして私達親子は"正しい養育"と向き合えなかった代価の如くこうして怒りを"遺伝"させてきてしまったことを悟りました。

無意識の闇に葬り去られた父への怒りはいずれ新たな反動形成となって私自身を"負のスパイラル"へと突き動かしていくになるのです…



「自分の欲望に向かって生きていくのに年齢は関係有りません。

それに今出来ないのはこれまでさせてもらえなかっただけで光輝さんの能力とは何の関係も有りません。

先ずは目標設定と行動計画を明確に言語化してみて下さい。

もしそれが本当にやりたいことなら、その先で必ず理解者や協力者との出会いに繋がる筈です。

今の光輝さんに必要なことは"社会と交流していくこと"なんです。

世間の常識等に囚われず、ヨチヨチ歩きからでも結構ですので多くの人との出会いの機会を作りながらドンドンご自身の目標や熱意を伝えていって下さい。

そんな生き様を"破天荒"といいます」


"破天荒"
「今まで人がなし得なかったことを初めて行うこと」

「前人未到の境地を切り開くこと」

(Wikipedia参照)


私が"アウトサイダー"の如く生きてきた末に出会うこととなったのは結局この三文字でした。

如何に現代の文明社会といえど、所詮この世は"弱肉強食"の世界です。

"言語化されなかった欲望"はいずれ何者かに喰い物にされてしまいます。

私が身近にいた集団からいつも我身を一線隔し続けてきたそんな"社会"とは正に"父"そのものであり

それらが象徴するのは"信頼の欠損"という言語でした。



「今の光輝さんが未経験なことに挑戦するとき、"どうせ自分には無理"という言葉に捉われるかも知れません。

それは光の速さで心を支配しようとしますので常に意識化することでその言葉をしっかり捉え

それを"やってみないと分からない"と書き換えて下さい。

そしてお父さんが見せてくれた"不条理"な生き様を改め、光輝さんは"破天荒"に生きていって下さい」


セラピストからそう発破をかけられたことで、これまでひた隠しにしてきたコンプレックスの急所をまともに鷲掴みにされた想いに捉われた私は

セラピー終了の時刻を指していた時計を眺めながら途方に暮れていました。


"信頼"の2文字を親からも社会からも得られないというのなら


自らがその発信源となるしかない

これまでの不甲斐無き人生を"狂気の沙汰"で終わらせない為にも…