《2010.3.28.の夢》
高校の卒業式に参加しているが、気付くと自分は私服のタンクトップを来ていた。
携帯を持っていたので母に連絡し制服を持ってきてほしいと頼むが
電話は繋がるものの何故か母からの返事が無い。
仕方なくそのまま卒業式の列に戻ると
私服の学生が数人いるのを見て
今日は予行練習だったのかと気付き
再度母に断りの連絡を入れようとするが…
《2010.3.28.の夢分析》
「やっぱりねぇ…、知性の高いお子さんには今の学校制度じゃ問題多有りだよねぇ…」
今回私が報告したこの夢を聴き開口一番こう話したセラピストは
中学、高校時に登校を拒否していた子を持つ二名のクライアントの話しを聞かせてくれました。
この二人のお子さんは共に大変優秀な学生だったらしいのですが
彼等は親や学校に反発しながら学生時代を送ってきた挙句
長期に渡る登校拒否の末に自身で大学検定を受けてパスし見事一流大学に入ったとのことでした。
そんな話しを聞かされた私は決して優秀な学生ではなかったですし
第一親や教師に反発するような気概も無く
只々自身の学校生活自体に何の興味も持てずにやり過ごしてきました。
幼き頃より何かにせよ
大の負けず嫌いであった私は
勉学や部活動に留まらず
TVゲームにせよ麻雀にせよ
当時の学生なら誰でもやっていたようなことには一切興味を持つことも本気で取り組むこともせず
ひたすら漫画や映画や音楽といった所謂80'サブカルチャーを媒介として"自分の世界"を空想することに夢中になっていました。
只そんな当時の私は
まだ週休一日だった学校生活に於ける一日6時間の授業にその後の激しい部活動と
更には毎回たっぷりの宿題を課した週2日の学習塾に加え
それでも成績の振るわなかった末に母から
週2回の家庭教師まで付けられており
成長期にも関わらず4時間の睡眠もままならない毎日を送っていては心身共に疲労困憊しておりました。
そんな私が生み育てられた家庭とは
孫には甘い筈であった祖父や祖母ですら
疲れたと告した私に
「十四、十五の若者が、何が疲れたや」
等と一蹴してくるような環境だったのですが
それでも中学に進学して間も無い頃に水疱瘡を発症し一週間の長期休学を強いられると
それを機に一気に"休み癖"が付くようになっていきました。
余りの疲労感に午前中から早退して帰ってきた中学生時分のある日に
重役出勤でまだ家にいた父が就寝していた私の部屋にいきなり入ってきては
「何や、学校で何かあったんか」
等とまるで吐き捨てるように私に声を掛けてきたことがありました。
完全に就寝体制であった私のすぐ横に仁王立ちしていたその時の父の
ぶっきらぼうに響いたそんな一言と私を見下した眼差しは
疲弊しきったその時の私には只々威圧的なものに感じられ
その眼差しの奥に"不信感"という三文字を見て取れた私は最早父に何の返答もすることが出来ませんでした。
そんな父は後に親子で受けた三者面談の場にて
「息子は学校で虐めでも受けているのではないですか」
等と進路相談もさておき担任にそう言い放ったことがありました。
実際クラスメートとの関係はすこぶる良好であり
只々担任に"過保護"と見て取られて終わったのであろうそんな父の一言に
この父親は一体何を勝手に言い出すのか…
と開いた口が塞がらない想いだった私は
一見息子が心配でならないという態度をアピールしながらも結局は
『父親としてそんな息子の本心と向き合うつもりは一切無い』
という父の真意を伺い見たのです。
別段勉強や集団行動自体が嫌な訳でもなかったと思うのですが
元々他人から干渉されることが大の苦手であったという性格的な問題や
その頃には既に学問や学校生活以上に大切なものを有していたという私情も有しながら
来る日も来る日も唯々当たり前の様に登校し続けなければならない自らの立場が
私は当時から理解出来ませんでした。
何故学校へいかなければならないのか
何故優秀でなければならないのか
親や友人達との時間と関係の間に
何故ある日から突如"教師"という不可解な大人達に介入されなければならなかったのか
そもそも自分は今何故ここまで
"なければならぬ" に塗れた日々を強いられているのか
そして何より...
何故親や教師は先ず、そして真剣に
"私が今本当にやりたかったこと"
を聞いてくれなかったのかが不可解でならなかったのです。
日本の教育制度に於ける"義務教育"の意味について、恥ずかしながらそんな私は成人するまでそれを
「全ての子供は小・中学校教育を受けなければならないという"義務"」
であると思い込んでおり
その真の意味とは
「親が子供に’社会を生きていく上で必要な教育’を受けさせるという"義務"」
であると全く理解出来ていませんでした。
というもの私は小学校への入学時に於いて
これから自分が入る"学校"とは如何なる場所で
自分は何のために其処へ入り何をしていくのか
そもそも今自分は其処へ入りたいと思っているか
入ってみてもし其処が自分の望む様な場所ではなかった場合
その先にどういった意思決定と行動を起こしていけば良いのか
といった様な話を親からも教師からも
一切聞かされた記憶等無かったのです。
今や半義務教育の様な高校も合わせると計十二間もの大切な成長期に於いて
本人にその意志の無い学校生活を大人社会が強いるということは
我が子の’主体性の成長’に於ける"間引き"の様なものであり
学生生活を望む我が子に教育を受けさせることが親の義務なら
その他の選択に向けてその子に合った独自の道をその子と共に模索していくことも親の義務である筈なのではないのでしょうか。
今回の新コロナ禍によって長期休学を強いられ、またいつ再発するやも知れぬ現在の学生達は
親や家族との密なる関係や
その中での自主的な時間の使い方に関して
真正面から向き合う機会を得ることとなり
そのことが結果的に
これまで当たり前とされてきた
"学生生活への疑心"の目覚めとなっている
またこの先なっていくのではないかと私は思ってきましたが
と同時に…
実際今の時代に生徒との間に"信頼関係の構築"を信念とする様な教師が一体いくらいるのか
そしてもし"そうである"というなら
そもそもその教師にとって"信頼"とは何を意味する言葉なのか
と私は問いたくなるのです。
私が学んできた精神分析学的観点から
”信じ頼る”と書く"信頼"の二文字の意味を突き詰めるていくなら
"他人を信じる"とは即ち
その人の瞳に投影した
"自分自身を信じる"ということで
そんな"自分自身"とは即ち
試行錯誤を繰り返しながらも
自己実現に向かって行動し前進し続けながら
"日々進化し続ける自分"ということであり
これこそが"一貫性''を意味するものである
私はセラピーにてこの一貫性を"ファルス"と称すると学びました。
そして上記の逆算によって導き出される
"信頼の根元"となるものとは結局
"ファルスを有した己自身"
ということになると認識します。
但しここで肝心なことは
その行動力の源は”真の欲望"でなければならないということです。
それを"反動形成"に委ねてしまうと
そのベクトルは"破綻”へと向かってしまうことになります。
大人がこの点を誤ってしまえば
子供は自分に語り掛けてくる親や教師の言語や行動の中に潜む"矛盾"を直感的に見抜き
その因果を正しく言語化出来なければ
その子自身が自らの心を病む原因となってしまうでしょう。
実は上の妹の、現在中学生である双子の息子の一人が彼是一年以上不登校の状態を続けています。
彼は出産時に"逆子"で生み出されてきた子なのですが
セラピストはその件について
「それはこの子の、自分を生み出すことに迷いを持っていた父と母への"抵抗"」
と分析し
「胎児にしてその自己主張が出来る程高い知性を持ったこの子には、この先の養育に於いて親の"ごまかし"は一切通用しません」
と警告していました。
そしてこの子が三歳の時に妹は腎不全を発症し、それ以降週三回の人工透析の日々を強いられ
精神症を患う兄を残し両親共既に他界したその旦那は、福祉の職に就きながら三人の子供を持つ家庭の存続と兄の世話に奔走しています。
セラピーにてその甥っ子の話しになったとき
「現状の妹さんやこの旦那さんでは、この甥っ子さんの本心を受け止めることは無理でしょうねぇ…」
と苦い表情でそう語ったセラピストは更にこう言葉を続けていきました。
「いくら親が『自分のやりたいことをやれ』と我が子に語り掛けたところで
そう言う親自身がそんな主体的な生き方を出来ていないなら
そう言われた子供にしてみれば、それは只の"口先だけの言葉"に他なりません
我が子に主体性を持って成長していくことを心から望むのなら父親はそう言葉を掛けるだけでなく
先ず自らがそんな生き様を実践し我が子に見せていく必要が有るんです
しかし実際世の父親のほとんどはそのことが出来ていないばかりか
そもそもそのことをまともに認識すらしていないと言わざるを得ない現状なんですよ
父になることの真意を理解もせぬまま子供を作るなど"狂気の沙汰"としか言えません
だからこそ"父になる"とは本当に厳しいことなんだと、私は何時も声を大にして訴えるんです」
私は叔父としてそんな甥っ子の気持ちを受け止めるべく今の自分に何が出来るのかとこれまで自問してきましたが
情け無くも"貧乏暇なし"の生活に追われ続けてきては実際これまで何も出来ずに来てしまいました。
「それは、今はまだ光輝さんの出る幕ではないということですよ」
としながらも
「只この甥っ子さんにはこの先きっと、そのことを学び向き合い続けてきた光輝さんの介入が必要になってくるでしょう」
と語ったセラピストから
「このままではこの先この子は潰れてしまいますよ」
と締めくくられたそんな私には…
実際今の子供達の現状を見つめてみれば
彼等の精神が既にもう限界に面している程に
自らの将来を見失い
絶望感に疲弊し尽くしていることは明らかであり
そんななか…
「我が子に向けるべく"親としての自らの視線"をこれまで曇らせてきたものは何なのか
世の父親はこの機に今一度我が子とじっくり時間を共有し、父として真に向き合うことに於ける"自身の在り方"を見つめ直せ」
とコロナが叫んでいると思えてならないのです。