こんにちは、スタルペスです
ブログアップはずいぶんご無沙汰しています。
遺跡や古墳には月に数回は行っているのですが、なかなかブログで文書にする余裕がなく、自宅でパソコンに向かうときは仕事になってしまいます。
自宅でも仕事をしてしまうと最悪ですが、転職後はこんな生活がつづいています。
でも、65歳でも忙しく仕事ができていることは感謝しなくてはならないのかもしれませんね。
ところで先日、家内とのドライブで大分県杵築市に行ってきました。
なにげなく、スマホで国指定史跡を調べていたら、私としたことが・・・
九州にある国指定史跡の古墳でまだ訪問したことがない古墳がありました。古墳巡りを始めて5年以上なるので、もう有名どころは押さえたつもりでいましたが、大変な失態を冒してしまいました。
今年のGWに急遽、計画を立て訪問することにしました。
※国指定遺跡の案内板は倒れています
※詳しくてわかりやすい解説いたですが・・汚い!!
場所は、大分県杵築市です。ルートは九州の春を満喫するドライブコースとしました。
朝、熊本の自宅を出て、阿蘇ミルクロードで春風薫る大草原と雄大な阿蘇五岳を眺め、新千円札になる「北里柴三郎」の生家のある小国町北里を経由し、大分県玖珠町に入ります。
ここで初めて高速道路を利用し、九重インターから大分道で由布岳から鶴見岳の裾野をとおり東九州道の速見ジャンクションから、大分空港道路に入り終点まで駆け抜けます。
※小熊山古墳は国東半島の下の方、杵築湾の上唇のあたりにあります。
この大分空港道路、以前はETCが未対応の有料道路でしたが現在は無料になっていて驚きでした。高速料金も九重インターから速見インターまで千円程度でしたので経済的なルートです。
子供の頃、何度か海水浴にいったことのある奈多海岸を左手に眺めながら春のさわやかな風をうけてのドライブの軽快です。
まずは、杵築市狩宿にある「小熊山古墳(おこぐまやまこふん)」に向かいます。
車載のカーナビでは位置がはっきりしないので、GoogleMapのナビ機能を使い目的地を特定していきます。
着いた先は、墓地です。
古墳巡りではよくあること、墓地があれば近くに古墳があるという重要な手がかりになります。
1600年前の古墳時代の日本人も、現在の私たち日本人も死者に対する基本となる埋葬の考え方は一緒のような気がします。
※小熊山古墳の後円部裾部
※後円部の東側裾部
※後円部の墳頂
亡くなった人を敬う気持ちから自分たちが生活する場所よりも少し高い位置に埋葬します。また、自分たちを見守って頂く「神」として景色のいい場所に埋葬したいと思う気持ちは一緒のように思います。
※後円部から前方部を臨む
今回、訪問した「小熊山古墳」は、全長116.5mの大分県では最大級の前方後円墳です。
後円部は3段築成、前方部は2段築成の堂々たる大きさを誇ります。
前方部の墳頂に立つと杵築湾から大分市や鶴崎の工業地帯が見渡せます。また左手の遠く豊後水道の先には四国陸地もうっすらと見える絶景のビューポイントです。
※前方部からの眺め(別府湾が望めます)
※墳頂らは別府湾から豊後水道が望めます。奥に見えるのは佐賀関あたりです。
ただ、残念なことに、ほぼ未整備で案内板も根腐れして倒れていますし、解説板も汚れがひどい状況です。
実は、この古墳は九州で最も古い時代の埴輪が出土しています。
壺形埴輪・円筒埴輪の2種類の埴輪が出土しており、なかでも円筒埴輪は巴形の透し孔を持っているもので古墳時代前期前半の3世紀後半-4世紀初頭頃の築造と推定されています。
※小熊山古墳から出土した円筒埴輪の復元図(杵築市のパンフより)
※出土した円筒埴輪(杵築市のパンフより)
九州の中で3世紀代に築造された前方後円墳なんて、めったに会えません。
以前何度か訪れたことのある唐津市の「久里双水古墳」や福岡県苅田町の「石塚山古墳」など数えるほどしかありません。
※小熊山古墳から出土した壺形埴輪の写真(杵築市のパンフより)
3世紀築造の古墳となると、「卑弥呼の墓?」ということになりその地域や自治体は、にわかに元気になるのですが・・ここ杵築市は冷静なのか、気が付いていないのかは定かではありませんが、なんの反応も起こしていないようです。
※小熊山古墳の測量図
その証拠が、この荒れ放題となっている古墳の状態でわかります。
この古墳よりも100年以上も新しい、大分市の亀塚古墳は、古墳公園として整備し埴輪列まで復元配置して当時を再現しており、資料館も併設しています。
※小熊山古墳の上からの写真(画面下が前方部) パンフフレットから
大分県下で亀塚古墳より古い大型の前方後円墳がこのような扱いを受けていることに感情移入してしまい「小熊山古墳くん」がかわいそうでなりません。
※小熊山古墳から坂道を下る途中に「御塔山古墳」があります。
この小熊山古墳から坂道を3~400mほど下ったところに、同じく国指定史跡に指定されている「御塔山古墳(おとうやまこふん)」があります。
この古墳も荒れ放題に荒れています
※御塔山古墳は、ここから入っていきます。
※古墳への入口にある表札
現地にある説明板を見ると、帆立貝形の前方後円墳と思っていましたが、大型円墳に造り出しがついているそうです。
大型の前方後円墳には、よく造り出しがついていますし、八女市の岩戸山古墳の周堤には巨大な造り出しのような「別区」と呼ばれる舞台がついていますが、円墳なのに造り出しがついている古墳はとても珍しいものです。
※御塔山古墳への見学通路(ロープがされてあります)
※御塔山古墳の墳頂
※墳頂にある石塔、この石塔で御塔山というのでしょうね
全国に4600基程度ある前方後円墳のうち造り出しがあるものは100基程度とのことで、前方後円墳でも稀な造り出しが、円墳にあることがこの古墳の特殊性を示しているのではと思います。
※御塔山古墳の実測図(杵築市のパンフより)
※御塔山古墳の上空写真(杵築市のパンフより)
この「御塔山古墳」は円墳でありながら直径が75.5mもある大型円墳ですし、九州では稀な囲形埴輪(かこいがたはにわ)や木樋形埴輪(もくひがたはにわ)などの多様な形象埴輪が出土しており、前出の「小熊山古墳」と同様に畿内地域の埴輪祭祀の最新の特徴を、いち早く九州に導入した古墳として重要な位置づけと考えられます。
※九州での出土が非常に稀な「囲型埴輪」(杵築市のパンフより)
※囲形埴輪の出土箇所(杵築市のパンフより)
※御塔山古墳から出土した木樋形埴輪(杵築市のパンフより)
瀬戸内海西岸の大分県北部は、地政学的にも九州で最もヤマトに近い場所にあります。今回紹介した「小熊山古墳」と「御塔山古墳」は、"海"を意識して築かれた古墳です。これほど大きな古墳を築いた首長もまた、"海"を背景とした一族だったはずです。
ヤマトだけではなく、吉備や讃岐等の人たちとも海を介して密接に結びついていた人たちだと想像します。
※九州の古墳から形象埴輪の出土は稀なので、御塔山古墳の被葬者はヤマト王権の影響を強く受けている人物ではないかと思われます、
※大分県(豊国)は、瀬戸内海を介してヤマトから九州の玄関口となっています。
さて、今回の杵築の旅のお昼ご飯は、帰路の途中の日出町(ひじまち)でとることにしました。
数日前に家内と「おいしい、カレーが食べたいね」と言っていたので今日はカレー屋さんにすることにしました。
お昼をだいぶ過ぎた時間に到着しましたが、入店することができました。
最近は、スパイスカレーやインドやスリランカのカレー屋さんが多くなっていて、昔からの欧風カレー屋さんを見つけるのも大変です。
※日出町のカレーとオムライスの店「マインド」さん
事前でネットで調べて日出町にある「MIND’s(マインドさん)」さんに伺いました。
カレーとオムライスがおいしいお店ということで、家内は、オムライスにハンバーグが乗ったうえに、たっぷりのカレーがかかった「オムライスバーグカレー」を注文、私はシンプルに「エビフライカレー」を注文
※家内の注文のオムライスカレー
※私の注文した「エビフライのカレー」
お店の壁には、女性お笑い3人組芸人の「ぼるじゅく」絶賛プリンが写真付きで貼っています。
「テレビ番組が来たんだ?」
地元では有名なお店のようです
※ぼる塾??
おなかペコペコのなか、テーブルにカレーライスが運ばれてきました!!
カレーは奥深い味です。最初の一口は少し甘味も感じて口の中いっぱいにおいしいさが広がります!!
でも・・だんだん辛さが伝わってきて、カレーらしい辛さになっていきます。
最後は少し汗ばむくらいの辛さになり、本格的カレーを実感できます。
※エビフライの、どアップ
家内も、おいしい・・おいして・・・と食べていましたが・・・
「カレーは白いご飯」「オムライスはオムライスで食べたほうがいい」と言っていました。
なるほど・・・・・深い味のカレーライスはシンプルな方がほんとうの味が味わえていいのかもしれませんね!
ごちそう様でした。