こんにちは、スタルペスです

 

大変ご無沙汰しています。

最近はブログアップも十分できておらず、久々の投稿をします。

ブログアップは、できていませんが古墳や遺跡にはぼちぼちと行っています。

 

ネタ(訪問した古墳や遺跡の写真)は増えていますが、なかなか紹介ができておらず溜まる一方です。

 

今週は家内と福岡県田川市までで出かけました。

田川市の古墳は、数年前に「遠賀川流域古墳同時公開」でいくつかの古墳を訪れたことはありますが今回はそれ以来の久々の訪問です。

 

最初に伺ったのは、「位登古墳(いとうこふん)」です。

最近こぶさたしていた、久々の初対面の前方後円墳です。

現地の説明板によると、全長52m、後円部の直径は28mとそこそこの大きさの前方後円墳です。

築造年代は古墳時代前期ということですので、4世紀から5世紀初頭に築かれたものと思われます。

平成13年の調査では、後円部より組み合せ式箱式石棺が確認されており、中から赤色顔料で塗られた人骨が見つかっています。

 

 

 

※位登古墳(いとうこふん)の前方部

 

 

 

※位登古墳の全景(右が前方部)

 

 

 

???

 

説明板を読むと、石棺に赤色顔料が塗られていたのではなく、人骨に赤色顔料が塗られていたようにも読み取れます。ということは、埋葬した後に白骨化したタイミングで取り出し赤色顔料を塗ったということ??

それとも組み合せ式石棺内側に塗った赤色顔料が人骨に付着したということでしょうか?

前者であれば、数年後に後円部を掘り返し、石棺の蓋を開けて作業することになります。

ちょっと無理があるように思います。

たぶん、説明板の書き方の問題かもしれませんね

石棺には彷製の内行花文鏡が1面と碧玉製管玉が62個、鉄剣太刀片が見つかっています。

 

 

 

※墳丘には後円部の南面から登ります

 

 

 

※「古代豪族の碑」と書いた石碑、古代豪族って誰?

 

 

 

久々に前方後円墳に登頂です。

墳形もしっかり残っていて後円部の墳頂には、祠様の建物があって、不動明王の石像や様々なお地蔵様が祀られています。その脇には「古代豪族の碑」と刻まれた石碑が建てられています。

田川地域に古代にヤマト王権から認められた豪族が存在したことについて地元の方々も誇らしい気持ちがこの記念碑建立になったのではと想像してしまいます。

 

 

 

※後円部から前方部を写しました。

 

 

 

※前方部の墳頂から後円部を眺めます。

 

 

 

私が見る限り、前方部が2段、後円部が3段築成のようにも思いますが実際はどうなのでしょう?

九州内の古墳についてはずいぶん訪れましたが、このように形が残っている前方後円墳を訪れると古墳ファンであることに幸せを感じます。

 

 

 

※墳丘北側から撮影

 

 

 

※位登古墳の東側の道路から古墳全景を撮影しました。

 

 

 

次に訪れたのは田川市伊田にある「セスドノ古墳」です。

彦山川東岸の標高約45mの低丘陵上に立地する5世紀末から6世紀初頭の大型円墳です。
「セスドノ」古墳の「セスドノ」の謂れがどのような意味なのか気になるところです。

 

 

 

※セスドノ古墳の全景(住宅街の公園になっています)

 

 

 

※北側から撮影したセスノド古墳、美しい円墳です

 

 


墳丘の直径は37m、高さ5mで周囲に幅5mの周溝が巡らされ、その外側には基底部で幅15m、上部で幅8mの周堤が築かれていたことが解っています。
築造は5世紀後半から6世紀初頭で単室の横穴式石室構造です。

 

 

 

※周溝の目印のために石の配列がありました。

 

 

 

※墳丘西側から見ると、円墳の墳丘の一部が欠けていることが解ります。

 

 


墳丘を1周めぐってみましたが、南側は削られていて石室の痕跡は解りませんでした。
しかし、先ほど訪れた「位登古墳」といい、今回の「セスドノ古墳」にしろ大型古墳が築かれているということは、4世紀から6世紀にかけてこの地方には大きな権勢を誇る豪族がいたことを物語るものです。

 

 

 

※墳丘南側から写しました。

 

 

 

墳長に上って香春岳方向に目をやります。

 

 


豊の国というのは、ついつい現在の大分県をイメージしがちですが、ここ田川市も旧国名は「豊前国」となります。
豊前と筑前の跨る地域を「筑豊」と呼ぶものこのためです。
豊の国は古代から気候も比較的温暖で作物が実る豊かな土地だったと思います。また、弥生時代には大陸から秦氏をはじめとする渡来人が多く訪れ灌漑技術をはじめとする土木技術などを伝え、さら豊かな土地となり我が国の文化を牽引した人々だったのではないかと想像しています。
 

ところで、先週のNHKの番組「フロンティア」で「日本人は何者なのか」という番組を録画して見てみました。

とても興味深い話い番組に引き込まれていきます。

 

 

 

※NHKフロンティア #1「日本人とは何者なのか」は12月18日(月)午前0:25から総合テレビで再放送されます。

 

 

 

アフリカで誕生したホモサピエンスが最初に東アジアに到達した人々が私たち日本人のルーツだとのことです。

最近の最先端の技術で古代人の人骨からもミトコンドリアDNAが採取でき、徐々に全容が解ってきたようです。

 

番組では縄文人のミトコンドリアDNAは、中国や朝鮮やベトナムの人々とは全く違う種類に分類されるそうで、驚くことに東南アジアのタイ南部の密林に縄文人よろしく今でも狩猟採集生活を営んでいる少数民族「マニ族」と共通のDNAを持っているそうです。

 

 

 

※タイ南部マレー半島の密林に住む「マニ族」の男性

 

 

 

アフリカを脱出した私たちの先祖は、西アジア(いまの中東あたり)でヨーロッパに向かった人たちとアジアに向かった人たちに分かれます。

アジアを渡った人たちも北側を移動し中央アジアから中国・朝鮮半島に広がっていった人たちと、インドを通り東南アジアに向かった人たちのグループに別れるそうです。

 

この東南アジア向かった最初の人たちの一部が東南アジアから北上し日本列島に入ってきたとのことです。

この人々が私たちの最も古い先祖である縄文人となっていったということです。

 

 

 

※縄文人のDNAや私たち現在に本日のDNAは東アジアの人たちと系統が違うことが解っています

 

 

 

2021年に青森県の三内丸山遺跡や北海道や岩手県などの東北の縄文遺跡が世界遺産に指定され、我々現代日本人のルーツとして、豊かな日本列島で火焔土器をはじめとする創造的な土器を生み出し、ストーンサークルや土偶をはじめとする争いのない多様な精神社会を生み出した人々が我々日本人のルーツであるということが注目を集めています。

ちょっと穿った見方をすると、この縄文ブームは私たち日本人の先祖は、争いをする弥生人ではなく、縄文人であってほしいという心理が働いているのではとも思います。

 

 

 

※宮崎県立総合博物館で開催された発掘された「日本列島2022」で展示品、藤内遺跡の縄文土器(双眼五重深鉢)

 

 

 

その反面、弥生時代に米作と一緒に「争い」をもってきた弥生人について現在の人々は、縄文人とともに私たち日本人のルーツの一つであると考えられますが、なぜか弥生人はルーツと思いたくない心理が働いているようです。

 

番組「フロンティア」では、現在の東京に住む人々の縄文人のDNAは約1割しか残っていないそうです。

沖縄の人たちは縄文人の遺伝が約3割の割合で残っているとのこと。

では、残りの要素は、弥生人のDNAを私たちは受け継いでいるのと今までは思われてきましたが、古代人DNAの分析技術が進展したことにより、私たち現代人は直接的には古墳時代の人々「古墳人」いほぼ一致していることが明らかになりました。

 

 

 

※私たち現代の日本人は古墳時代の人達と同じDNAを持っていることが解りました。

 

 

 

弥生人は、中東あたりで北アジアルートで移動をしたホモサピエンスが中国東北部を経て朝鮮半島から日本列島に訪れ先住の縄文人との混血が始まったことによります。

 

しかし、古墳時代に入ると大陸の様々なところから同時多発的に膨大な人々が日本列島に渡ってきて先住民との複雑な混血を重ね現代人とほぼ同じ遺伝的要素を持った「日本人」が出来上がったようです。

 

古墳時代の人々の研究はまだまだ進んでおらず今後、古墳時代の日本人の研究が進むにつれ私たちの先祖の姿があきらかになるとともに、古墳時代の姿も明らかになるものと思います。

 

いよいよ古墳時代が注目されるようになるのではと期待しています。

 

・・・・

 

さて、この日のランチを紹介します。

田川郡川崎町にある喫茶店「伽羅(きゃら)」さんにお邪魔しました。「位登古墳」のすぐ近くにあり地元では人気店ということで11時過ぎに入店しました。

 

内部も昔ながら”ザ・喫茶店”という内装で、若い頃まだインベーダーゲームが置いていなかった時代の喫茶店に行ったときの感覚がふっとよぎります。

 

 

 

※喫茶伽羅さん。グリム童話に出てきそうな外観です

 

 

 

※内部も純喫茶の雰囲気です

 

 

 

10時開店なので店内は既に多くのお客さんが来ていました。

家内はAランチを注文、私はメニューに”一番人気”と書いてあった「生姜焼き定食」を注文!!

Aランチはハンバーグ、白身魚フライ、サラダ、スープです。

家内曰く、白身魚フライはサクサク度がこれまで食べたフライとレベルが違うとのこと、どうも感動のサクサク感だったようです。

また、フライにかかっているタルタルソースがとてもおいしてソースで、どうも手作りではないかと想像しています。

 

 

 

※家内が注文した「Aランチ」(タルタルとフライが絶品です)

 

 

 

※白身魚フライをもう少しアップで・・・

 

 

 

私も白身魚フライを1つ頂いたのですが、家内の言うようにハンパないサクサク感でした。

私の注文した「生姜焼き」は一番人気ということもあり、文句なしの絶品です。

家内は、サクサクの白身魚フライを食べ終わったら、私の生姜焼きでごはんを食べていました。

たぶん・・・この味の染み込み具合からいうと、その日にショウガのタレに漬けただけではなく、前日から仕込んでいたのは間違いないことだと思います。

 

 

 

※私の注文の「しょうが焼き定食」

 

 

 

※写真では絶対に伝わらないのが「味」です

 

 

 

驚きはこの定食のごはんです。半端ない量です。普通のお店だと大盛飯以上の量です。

64歳のシニアにとってこの量は少し多すぎる量です。

生姜焼きの半分は家内に食べられたので、私は家内のハンバーグを”おかず”に完食させて頂きました。

 

 

 

※このご飯の量は常識外です

 

 

 

もう腹いっぱいです。ごちそうさまでした。