こんにちは、スタルペスです。

 

ここがどの古墳だったかも忘れてしまいそうなくらい紹介が遅れてきています。

訪問した古墳や遺跡をほぼ訪問した順番にブログで紹介してきていますが、徐々に遅れてとうとう周回遅れになりました。

今回は、昨年12月25日訪問した、福岡県みやま市の古墳を紹介します。

 

みやま市の古墳は、2年前にも訪れており、蜘蛛塚古墳、権現塚古墳、車塚古墳、堤古墳群と4つの古墳を紹介させて頂いたので、今回は「みやま市の古墳【第2弾】」というところです。

 

みやま市は、2007年に瀬高町、山川町、高田町の合併してできた新しい市ですが、2年前に訪問した古墳は旧瀬高町の古墳でしたが、今回訪問したのは、旧山川町の古墳たちです。

 

 

 

※青字が2年前に訪問した古墳、赤字が今回訪問の古墳(国土地理院地図より)

 

 

 

本来なら古墳を1基ずつ紹介するところですが、この調子でブログに投稿していくと、2周遅れになりそうなので今回は「みやま市山川町」の古墳を2基同時に紹介させて頂きたいと思います。

 

まず最初に「クワンス塚古墳」です。

クワンスといは、どんな意味か解りません。以前の山川町時代の説明板には「観塚」と書かれていました。

語源はなんでしょうか?

 

 

 

※周提の上に立てられているクワンス化古墳の説明板

 

 

 

※クワンス塚古墳は、竹林となっています。

 

 

 

この古墳、以前は円墳と考えられていたようですが現在は、前方後円墳ということが解っています。

なぜ、墳形がはっきりと分らなかったか? 現地に行けば納得できるように思います。

このクワンス古墳は、一面鬱蒼とした竹藪になっていて、墳丘に入ることも至難の業です。

ただ、素人の私でもはっきりと確認できるのは、「周溝」が残っていることです。特に「周提」がしっかりと残っているのには驚かされます。

 

 

 

※周溝がはっきりと解ります。右側が周提の盛り上がりです。

 

 

 

※この周提には竹が生えていいのですね。どうして・・版築??

 

 

 

後円部の直径60m、高さ4mで周溝まで含めると長さ84mという大きさは、みやま市のみならず県南有数の大きさを誇るものです。前方部が短い「帆立貝型」のようです。

後円部の墳頂には、墓石がいくつも転がっています。

少なくとも江戸時代までは、この地域の人々の先祖の墓域として整備していたと思うと、現在の竹林の状態は残念でなりません。

表面採取された円筒埴輪片から5世紀末の築造と考えられています。

あたりには、陪塚と思われる3基の円墳が発見されていますが、現在はほとんどが削平・破壊されています。

 

 

 

※後円部の墳頂あたり。墓石がいくつも転がっています。

 

 

 

※江戸時代の墓石のようです。しっかりと供養してあげないとこのままではかわいそう!!

 

 

 

※これは、葺石??緑色の石(緑泥片岩のようです)。

 

 

 

ここ、「みやま市」は、邪馬台国論争発祥の地です。

江戸時代の政治家で学者だった「新井白石」は、ここ山門郡(山門県)をヤマトと同音のため邪馬台国ではないかと言われています。

以前私もブログで紹介した、蜘蛛塚は神功皇后がこの地の女酋長「田油津姫(たぶらつひめ)」を征伐した伝説が残っている地であり、地元では「田油津姫」こそ卑弥呼ではないかともいわれています。

 

 

 

 

 

この古墳は、未盗掘の可能性が高いそうですが、まだ発掘調査されていません。円墳と思った古墳が前方後円墳と分かったことで首長墓ということが確実になったので、ぜひ発掘調査をしてほしいと思います。

また、ついでにこの竹林もなんとかしてくれると見学しやすい古墳になと思います。

 

 

 

※クワンス塚古墳のすぐ近くに小さなお堂があります。

 

 

 

※12体のお地蔵様が古墳を守るように祀られています。

 

 

 

さて・・クワンス古墳の近くの神社に古墳があるということで行ってみました。

中尾天満宮という神社です。鳥居を潜ると古びた神門があるのですがこの神門の繊細な彫刻に驚いてしまいました。

「宮彫り」というのでしょうか?欄間の龍の彫刻と、木鼻の獅子はこちらに飛び出してきそうな迫力のある彫刻です。

たいへん失礼ですが、小さな集落には不釣り合いな贅を尽くした豪華な装飾の山門です。

当時の村人たちの信仰心の高さを現在の私たちに教えてくれているような中尾神社の神門です。

 

 

 

※みやま市山川町尾野地区にある中尾天満宮

 

 

 

※鳥居を潜ると山門に向かう階段があります。石造りの階段も古そう!!

 

 

 

※階段を登ると中尾天満宮の神門が私たちを迎えてくれます。

 

 

 

神門を通ると、広い境内の中に拝殿と本殿がありますが、この建物は至って質素な造りです。どうも神門が造られた時期と拝殿・本殿が築かれた時期は違うように思います。

微妙な違いかも知れませんが、「気持ち」の入れ方が少し違うように感じてしまうのは私だけでしょうか?

 

 

 

 

※飛び出してきそうな神門の阿形の獅子(狛犬)

 

 

 

※神門の横木に彫られた龍の彫り物

 

 

 

※上半身も目玉も飛び出している吽形の獅子

 

 

 

※神門を潜ると狛犬に守られている拝殿が迎えてくれます。

 

 

 

※広場のように広い境内です。

 

 

・・・・

 

 

広い境内の端っこに、みやま市独特の家形の説明板があります。

あれが古墳??

 

 

 

 

 

墳丘がないので、ここが「裏山古墳」なのか半信半疑で近づいていきます。

えっ!これが・・・・

 

 

 

 

 

境内の地面には一面に落ち葉が敷き詰められている中に少しだけ「穴」があいています。

墳丘もなく平面に”ぽかっ”と空いた穴だけなのでどうしても古墳とは思えません。

 

 

 

※裏山古墳の穴の中にカメラを突っ込み撮ってみました。

 

 

 

※東西に2mの石室で、東側の幅は約70cmだそうです

 

 

 

家形の説明板には、石棺系竪穴式石室と書かれています。石材は地元で産出する緑泥片岩だそうです。

そういえば、他の古墳には緑色の板状の石がいくつもあったので不思議な石だったと記憶しています。

 

 

 

※これが西側にある鏡石のようです。(幅80cmです)

 

 

 

※石室は近くで産出される緑泥片岩の割石が積まれています。

 

 

 

カメラを差し込んで、写真を撮ってみてみます。

竪穴式石室のようです。

石室は東西に約2mの長さです。

西側の方が少しだけ幅広のようで、西側にある鏡石のほうに遺体の頭が置かれたようです。

説明板には築造年代は書かれていませんでしたが、竪穴式石室であれば、少なくとも5世紀以前ではないかと思います。