こんにちは、スタルペスです。

 

「古墳」と呼ぶのは、古墳時代の墳丘をもつ墓のことを「古墳」と呼びます。

概ね3世紀半ばから7世紀頃にかけての墳丘墓のことを言います。古墳時代より古くて墳丘を伴う墓は、たとえ古墳時代より古い墓であっても「古墳」とは呼びません。

弥生時代のの墳丘を伴う墓は、「墳丘墓」と呼びます。一方、奈良時代以降の墳丘を伴う墓のことを「墳墓」と呼ぶそうです。

 

今回紹介するのは、南北朝時代に活躍した「懐良親王(かねよししんのう、かねながしんのう)」のお墓です。

古いお墓ですが、「古墳」とは呼ばずに「墳墓」と呼ぶお墓になります。

 

今回伺った「懐良親王墓」は、八代市妙見町にある宮内庁の陵墓です。

 

 

 

※宮内庁が管理する「後醍醐天皇皇子懐良親王墓」です。

 

 

 

※墓域は静寂に包まれています。

 

 

 

※墓域は玉石が敷かれ、綺麗に整備されています。

 

 

 

建武の新政が崩壊した後、後醍醐天皇は自分の皇子たちを全国各地に派遣して、味方を増やそうと考えます。

「懐良親王」は征西大将軍に任命され九州に向かわされます。

 

 

 

※何か白い標柱が建っています。近づいてみます。

 

 

 

※ここは「懐良親王墓」ができる前は、妙見宮の首坊・護神寺が建っていたところだそうです。

 

 

 

※礎石や柱の大きさから護神寺には三重塔が建っていたとのことです。

 

 

 

九州において各地の豪族を勧誘する中で肥後の菊池武光や阿蘇惟時らを味方につけることに成功します。菊池氏の居城「隈府城」に入り「征西府」を開き九州攻略を開始します。

 

 

 

※いよいよ「懐良親王」のお墓にお参りをします。

 

 

 

足利幕府も博多に「鎮西総大将」として「一色範氏」や「仁木義長」らを置いて、「懐良親王」方と対峙していきます。

懐良親王を擁する菊池武光は、豊後の大友氏を破り、一色氏を九州から追い出します。

 

 

 

※石囲いの中を入ると、厳粛な気持ちになります。

 

 

 

また、当初は菊池氏と共に南朝方だった小弐頼尚が幕府方に寝返ったために、小弐市も駆逐し九州の拠点である”大宰府”を制圧し、1361年(康安元年/正平16年)12月に事実上の九州政権を樹立することとなります。

足利幕府は、今川了俊(貞世)を九州探題に任命し、九州に赴任させます。大宰府が「懐良親王」に抑えられている中、了俊は1371年(建徳2年/応安4年)に長門から豊前に入ります。合わせて嫡男の貞臣を豊後から九州入らせます。同時に弟の今川仲秋には肥前(松浦半島)から九州に入ります。

 

 

 

※これ以上は近づくことはできません。墳墓は円墳状の墳丘があります。

 

 

 

まさに、九州の南朝政権からの奪取を目的とした3方向からの水も漏らさぬ万全の進軍でした。

これにより、懐良親王と菊池武光は太宰府から追われ、菊池氏の居城である肥後隈部城まで退くこととなり、足利幕府は念願だった太宰府奪回を果たすことになります。

 

 

 

※鳥居の向こうに「懐良親王」の塚があります。

 

 

 

劣勢に立たされた南朝方の懐良親王らは1374年(文中3年/応安7年)には、現在の八代市水島の地まで追い詰めます。

「水島の会戦」で大敗した南朝方は菊池氏の居城の隈部城に退き再起を図ることとなります。

 

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あっ!!ここで八代が出てくるんだ。だから、懐良親王の陵墓が八代市にあるんだ!

と理解することができました。

 

 

 

※「懐良親王」の墳墓を横から撮らせていただきました。

 

 

 

こんどは「懐良親王」の墳墓をうしろから撮りました。(戦前だと不敬罪で捕まるかも)

 

 

 

「懐良親王」は、その後「良成親王(よしなりしんのう)」に征西将軍の職を譲り筑後矢部で病気により薨去したといわれていますが、はっきりとした没年は解っていません。

 

ただはっきりしていることは、1381年(天授7年/弘和元年)に母の31回忌として、八代市の妙見寺に宝篋印塔を奉納したものがあるので、少なくともこの時期までは生存していたことは事実のようです。

 

このようなこともあり、宮内庁はいくつかの伝承地の中からここ八代市妙見町を正式な陵墓としたのだと思います。

 

 

 

※「懐良親王」が母のために奉納した「宝篋印塔」がありました。

 

 

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ただ、調べていくうちにこの「懐良親王」の墓所としてこの八代市以外にも2か所が伝承されています。

 

1か所は福岡県八女市星野村の大円寺です。亡くなった地が”筑後矢部”ということなので想定の範囲内ですが、もう1か所の伝承地は、私の地元(故郷)の大分県中津市下池永の「将軍塚(雲雀床)」という処だそうです。

地元なのに初めて知りました。今度実家に帰った時に調べてみたいと思います。

 

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さて、今回の八代市のランチを紹介します。

 

結婚式場「八代ホワイトパレス」内にあるレストラン「グルメラータ」そんに伺いました。

「グルメラータ」さんは、フランス料理が中心だと思いますが、中華料理も和食もあるファミレスのようなレストランです。

でも、店内は全くファミレスではなく、フランス料理店という雰囲気です。

 

 

 

※「八代ホワイトパレス」

 

 

 

この「グルメラほータ」さんのお店の位置がどうも不思議です。結婚式場「八代ホワイトパレス」の1階ロビーのスペースにお店を作ったような感じです。

この「八代ホワイトパレス」は、結婚式場だけではなく、会議室や法事などにも利用される施設なので、建物を建てた後でレストランが必要ということで無理やりロビーに追加したのかも知れません。

 

 

 

※「八代ホワイトパレス」のロビー、右側がレストラン「グルメラータ」さんです。 

 

 

 

※1Fロビー脇にある「レストラン グルメラータ」さんです。

 

 

座席に案内された私たちは、しばらくメニューとにらめっこ!!

 

出した結論は・・・

 

私は、麵ランチの中から「担々麺セット」を注文!!

教は、なぜか「担々麺」の雰囲気でした。

 

 

 

※私が注文した「担々麺セット」、ほかにもご飯とデザート・ソフトドリンクが付きます。

 

 

 

家内は、洋食メニューから「Aランチ」を注文!!「Aランチ」は、自家製ハンバーグ シポラタ風にスープ、サラダ、デザートが付きます。

”シポラタ風”ってなんだ!?

 

 

 

※家内が注文した「Aランチ」

 

 

 

 

※自家製ハンバーグシポラタ風です。

 

 

 

※「Aランチ」にはサラダ・スープが付きます。

 

 

 

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家内曰く、フランス料理が本業のレストランだけあってもハンバーグは、間違いない味だとのこと。

私の担々麺も、本格中華で期待を上回る”おいしさ”です。

デザートもおしゃれで豪華です。

 

 

 

※家内が注文したデザートとドリンク

 

 

 

※デザートはプリンのようです。

 

 

 

※私の注文したデザートは、杏仁豆腐とアイスコーヒー

 

 

 

※シフォンケーキにキャラメルソースがかかっています。

 

 

 

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コスパもよく、とてもおいしいランチを頂きました。

大満足!!でした。ごちそう様でした!!