こんにちは、スタルペスです。
今回は、今年5月に訪れた熊本県芦北町の古墳を紹介します。
この頃は、新型コロナで県外への移動ができず県内の古墳や遺跡を巡っていましたので、とってもニッチな古墳が多くなりますがご容赦ください。
今回、訪問したのは熊本県南の芦北町にある「鬼塚古墳」です。
以前は、田浦町(たのうらまち)と言われていましたが、平成の大合併により芦北町に合併された町です。
※道路脇にある「鬼塚古墳」の説明板、古墳はここから200mです。
※この山の頂上あたりの森の中に「鬼塚古墳」はありました。
国道3号線から少し西に入ったところあたりにあるはずですが、詳しい場所は解りません。
道路脇の説明板にはここから200mのところにあるとのことですが、200m以上歩いて探しても見つけることができません。
そこへ向こうからお年寄りが歩いてきています。80歳前後の男性だと思います。この辺に古墳がないか伺ってみることにしました。
普段だと、この年代ともなれば我が町の遺跡や古墳はご存じの人が多いのですが・・・
この方は「古墳??」「さぁ~?生まれてからいままでここに住んでいるけど古墳があることは知らないなぁ~」ということです。
そのくらい芦北町の「鬼塚古墳」は無名の古墳のようです。
では自力で探すこととします。
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※ありました!「鬼塚古墳」です。
何度か迷いましたが、やっと見つけることができました。やはり山の中にありました。
すでに石室の一部の巨石が露出していて石室の形を残していません。
ただし、この石材ひとつひとつが巨石で構成されていることから鬼が造ったという「鬼塚古墳」と言われているのかもしれません。
※石室の石材が露出しています。
この鬼塚古墳の説明板には、この山腹には数基の古墳が確認されており、築造年代は不明なもののいずれも横穴式石室であり古墳時代後期(6世紀~7世紀)の築造ではないかと書かれています。
また、説明板にはなぜか「水俣地方以南にみられる地下式板石積石室古墳(隼人式古墳)は田浦町では確認されておらず横穴式石室ばかりである」と書かれています。
※この板石は、石室のどの部分でしょうか?
この説明板の文章を書いた人はいったい何を言いたかったのでしょうか?
「ここは隼人族ではありませんよ!」と言いたいようにも受け取られます。
※山から下りる山道からの景色、「海浦」の海が目の前に現れます。
「地下式板石積石室墓」は現在は「板石積石棺墓」と言われています。以前は隼人族の墓と言われていましたが現在は隼人と墓制は一緒に考えるものではなく、板石積石棺墓は北薩地方と天草諸島をはじめとする九州西部の島嶼部に分布する地域特有の墓制と考えられています。
同じく宮崎県南西部や大隅半島、熊本球磨地方にみられる「地下式横穴墓」も隼人族の墓制とみられていましたが、これも地域特有の墓制であり隼人族の墓制とは考えられないようになりました。
もちろん、「隼人族」という民族は存在しません。そのような意味からもこの説明板の記述内容には少々違和感を感じます。
※3年前に訪れた板石積石棺墓の「横岡古墳群」のブログです
宮崎県の西都原古墳群にも生目古墳群にも、鹿児島大隅半島の塚崎古墳群にも、ヤマト王権の墓制といわれる前方後円墳と地下式横穴墓が混在しています。
また、板石積石棺墓も鹿児島県の長島や熊本県の天草諸島でも見られますが、同じように墳丘のある高塚古墳とも同居しています。
このことは何を物語っているのでしょうか?
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さて、この芦北町(旧、田浦町)の鬼塚古墳の解説書からは、水俣以南にしか板石積石棺墓はないと書かれていましたが、次に向かったのは芦北町にある板石積石棺墓群のある「宮浦古墳(みやうらこふん)」です。
別の資料には「宮浦地下式板石積石室古墳群」と記されているものもあり、正式名称が「宮浦古墳」かは少し疑問ですが、ここではとりあえず「宮浦古墳」ということにしておきます。
水俣以南しかないと書いていた芦北町の説明板でしたが、同じ芦北町にも「板石積石棺墓」がありました。
※鬼塚古墳から6Kmほど南に宮浦古墳(板石積石棺墓)があります
情報では、宮浦阿蘇神社の境内にあるということで、芦北町宮浦にある神社に向かいます。
※宮浦阿蘇神社(1533年、この地を治めていた相良長唯により創建されたようです)
※宮浦阿蘇神社の拝殿です。22体の男女の像が祀られているそうです。
まずは、神社にお参りをして境内にある古墳を探します。
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なんと・・・・
どこにも、遺跡らしきものがありません。
※この広場の地下に「板石積石棺墓」4基が埋まっています。
※神社の境内にあった古墳の説明板
神社の隣にある広場に解説板があったので、読んでみると、この広場は地元のゲートボール場で、目的の「宮浦古墳」はこのゲートボール場の地下40cm~50cmにあるとのこと。
残念ながら、見ることはできませんでした。
この古墳群は、昭和45年の調査で4基が発見されているそうです。説明板ではこの調査で弥生時代の土器や鉄鏃、鉄剣等多数が出土しているとのことです。
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※遺跡が埋められたゲートボール場で愛犬の散歩です。
※まだ、生後7か月の女の子です。
弥生時代??
この板石積石棺墓は、4~5世紀の墓制と理解していましたが・・弥生時代?
いや~ それはないように思いますが・・・
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いろんな意味でちょっとがっかりの「宮浦古墳」でしたが、芦北町にも板石積石棺墓があるっていことは、九州本土西海岸の北限はこの芦北町かもしれませんね
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では、今回のランチを紹介させていただきます。
今回訪れたのは「芦北うたせ直売食堂 えび庵」さんです。
この「えび庵」の名前が示す通りなんといってもメインは「えび」です。その中でも「足赤えび」といって車エビよりも一回り大きなえびが人気です。正式名称は「クマエビ」というそうです。
※待ち行列ができている「芦北うたせ直営食堂 えび庵」さんの入口
「足赤えび」は芦北町の名産ですが、車エビのように養殖されているエビではなく、すべてが天然のエビなので、とても希少なエビと言われています。
この「えび庵」さんでも数量限定で販売しており私たちが11:30頃に入店した時はなんとか注文ができましたが、私たち帰るころにはすでに売り切れていました。
私は、一番人気の「足赤えび天丼」を注文、家内は足赤えびではなく、「シラサエビ フライ定食」を注文しました。
※私の注文の「足赤えび天丼」
※足赤エビは、車エビより濃厚な感じです。
「足赤えび天丼」は大きなえびの天ぷらが2尾が頭部分を切り離して盛り付けられていますが、それでも器からはみ出る大きさです。
家内は、しらさえびのフライが3尾の他にも、新鮮なお刺身などがついていてお得感のある定食です。
お互いにエビの量に持て余しながらおいしくいただきました。
※家内が注文した「シラサエビ フライ定食」です。
※新鮮な刺身がお得感あります。
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ところで、皆さんはエビの”しっぽ”は残します?
私は天ぷらやフライのえびのしっぽ部分は残すのですが、家内は、このエビのしっぽが大好物です。
私が残した足赤えびの大きなしっぽも食べてくれました。
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「えび庵」さん、ごちそう様でした。おいしかったです!!