こんにちは、スタルペスです。
いまだに昨年の10月の大隅半島の古墳巡りをした記事を掲載させていただいています。
今回は、鹿児島県最大の古墳群「唐仁古墳群(とうじんこふんぐん)」の紹介です。
※唐仁古墳群の説明板(ここの他にも同様の説明板が数か所あります)
唐仁古墳群は、鹿児島県で最大の古墳群です。また宮崎県の西都原古墳群や生目古墳群と並び南九州を代表する古墳群でもあります。
5世紀の古墳群とのことで、約130基もの古墳が点在しています。
わくわくしながら、1基目の古墳です。
古墳の案内板と石碑のある辺りから、歩いてみたいと思います。
※唐仁古墳群の石標
まずは、121号墳です。直径11.5mの円墳です。
墳頂に立っているのは、標柱ではありません。樹木の切り株です。
写真手前に見えるのが121号墳の標柱です。
※唐仁古墳群121号墳
※121号墳の標柱のアップ
121号墳のすぐ隣(南側)にあるのが119号墳です。
松林の中にあるからか、墳丘の盛土なのか?自然の地形なのかよく分かりませんが、標柱があったのでなんとか識別できました。
直径16.3mの円墳だそうです。
※唐仁古墳群第119号墳
その隣には、118号墳があると思うのですがよく分かりません。
道路際に標柱が立っていたので確認したところ117号墳のようです。
墳丘の大部分が道路で削られていますが、これが直径15.6mの117号墳のようです。
※唐仁古墳群117号墳
117号墳沿いの道路を南に歩いていき、右に曲がったところに唐仁古墳群の最初の前方後円墳100号墳に会うことができます。
この古墳群で一番美しい古墳といっていい端正な顔立ちの前方後円墳で、その名を「役所塚古墳(やくしょづかこふん)」と言います。
※唐仁古墳群100号墳(役所塚古墳)の全景
※西側からの100号墳の全景
きれいに、下草が刈られており手入れの行き届いた古墳だということが分かります。
全長56.6m、後円部の直径25.5mで古墳群で2番目に大きな古墳です。
北側(後円部)には葺石も残っています。
※前方部墳頂から後円部の眺め
※後円部から前方部の眺め
この役所塚古墳(100号墳)には、怖い言い伝えが残っています。
大正3年の桜島の大噴火のあと、串良川の河川改修工事が行われた際に、この役所塚古墳の葺石を掘り出して利用した人がいました。この人は掘り出したその日から、石が喉に詰まって息ができない夢を何日も続けてみたそうです。これは古墳の祟りだと思い葺石を掘り出すのはやめたそうです。
それで、この古墳は北側だけに葺石が残っているのだそうです。
でもこの話、大正時代の話なので伝説ではなく本当のことかも知れません。
※100号墳の後円部(墳頂の大きな木がシンボル)
この役所塚古墳は、前回のブログで紹介した鹿児島県大崎町の「横瀬古墳」と同時期の築造と考えられています。
大隅半島の首長墓が塚崎古墳群からここ唐仁古墳群へ移動し、横瀬古墳に移っていったと見られていますがまさにその過渡期の古墳と言えるものだと思います。
※前方部東側に立つ石標
※前方部の樹木に掲げられた「役所塚」の標識
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さて今回の鹿児島県大隅半島の古墳巡りの旅は、まだ第3波がくる前だったので政府のGoToトラベルを使って家内と2人で1泊でやってきました。
宿泊先は、志布志大黒(大黒リゾートホテル)です。
少し前までは、「志布志だいこ~く~いきづ~くり~」と、テレビCMをしていましたが、最近はしていないようです?
※志布志大黒リゾートホテル
10月は伊勢海老の活き造りということで期待してやってきました。
料理も食べきれないほど出て、家内は好きなビール(生中)を4杯も飲んで満足してくれたようです。
※伊勢海老の活き造りは刺身にされても元気よく跳ねていました。
※地域共通クーポンの半分以上はビール代に消えてしまいました。
※眼下には美しい志布志湾(軍艦が数隻見えます)
ホテルの部屋からは志布志湾が一望です。
ても気になるものが、海の中に浮かぶ、あの船体はなんでしょうか?
カメラをアップして覗いてみると、どうも軍艦のようです。
自衛隊でしょうか?
※米軍の軍艦だそうです。
ホテルの方に聞いてみたら、あれはアメリカ軍の軍艦だそうです。
日本の自衛隊と米軍が、宮崎県(新田原基地)で日米共同軍事演習をする際に、米軍が宮崎市内のホテルに宿泊することに対して新型コロナ感染拡大を防止するため宮崎県が米軍の上陸を反対しており、その宿泊場所として米軍が艦船を準備して志布志湾に来たそうです。
へぇ~
新型コロナでアメリカも日本も世界も大変な時でも軍事演習はするんだ!!??