こんにちは。スタルペスです。

 

梅雨空の中、大分県佐伯市にきています。

佐伯市のシンボル「三の丸櫓門」に立ち寄った後、通称「山際通り」といわれる城下町の通りをいくと、「国木田独歩館」という建物がありましたので寄ってみました。

 

 

 

※若き日の国木田独歩

 

 

 

国木田独歩というと「武蔵野」という小説の名前くらいしか知らず、学生時代に試験にでるので名前だけは覚えさせられましたが・・

その国木田独歩がなぜ佐伯市とつながりがあるのか?

ちょっと理解できないまま、入場料を払って入館しました。

 

 

※国木田独歩館入口

 

 

 

※国木田独歩館(旧:坂本永年邸)

 

 

 

※独歩は二階の部屋に弟と一緒に下宿していました。

 

 

 

国木田独歩は、千葉県生まれ山口育ちで、東京専門学校(現,早稲田大学)を中退したのち、徳富蘇峰(とくとみそほう)の紹介でこの佐伯の「鶴谷学館」の英語と数学の教師として赴任します。

独歩22歳の頃です。

佐伯では、鶴谷学館の学長「坂本永年(さかもとながとし)」の邸宅の二階に学生として一緒にきた弟の収二とともに下宿します。

 

 

 

※主屋二階の下宿部屋(窓から庭が眺められます)

 

 

 

※二階下宿部屋の机

 

 

 

佐伯に移り住んだ独歩はとにかくよく歩き、よく泳いだ。と展示しているパネルにはそう書かれています。

 

佐伯に到着した翌日から、城山に登り、佐伯を去るその日まで毎日のように繰り返されたようです。

山野を駆け巡り、沐浴を楽しむ独歩に佐伯の自然は包み込むように彼を迎えました。

 

 

 

※下宿部屋から裏庭を見通す

 

 

 

※二階窓から裏庭園を屋根越しに見ました。

 

 

 

※裏庭園の池

 

 

下宿先の坂本家の娘さんは、彼は甘い物好きで、子供が大好きだったこと、一緒に来た弟とよく喧嘩をしていたことなど人間的な一面を回想しています。

 

 

 

※二階の下宿部屋から庭園(表)を観た図

 

 

 

「佐伯の柿には種なし、その形少しく平円なり。径ほとんど一寸五分、されど枝よりただちに口に運ぶことあたわず、湯ぬきもしくは樽ぬきにして始めて食らうに足る。三百個を酒樽に入れ、十日を経てその鏡を開けば、香気すでに尋常のものにあらず、手に取れば重し、汁多ければなり。握れば堅く、口に入るれば溶け、液透明にして冷ややかなり。大なるもの二個食らえば余は満足す、されどかつて鹿狩りの帰路、村女の背籠より五個を食らい、さらに五個を食らいしたことあり、朝飯代えたるなり。」

 

独歩の佐伯での生活の一端が垣間見える文章です。

 

 

 

※土蔵(一階は独歩の資料館になっています)

 

 

 

しかし、独歩がクリスチャンだったことを嫌う生徒や教師も多く翌年の7月には学校を退職することしになるのです。

 

 

 

※国木田独歩館入口からみた山際通り(武家屋敷)

 

 

 

その後佐伯を離れた独歩は、新聞記者をするなどジャーナリストとしても活躍します。

また、自然主義文学の第一人者として小説や詩集を精力的に執筆しますが、結核を患い36歳というの若さでこの世を去ることになります。

 

ここ、国木田独歩館では、若き独歩が過ごした佐伯での日々が脈を打つように生き生きとした存在感を私たちに伝えてくれます。