こんにちは、スタルぺスです。

 

福岡県みやこ町の古墳巡りの旅の途中ですが

、近くに国指定史跡「豊前国分寺跡」がある

そうなので伺うことにしました。

 

 

※豊前国分寺跡講堂跡

 

 

※講堂基壇(正面)

 

 

※講堂基壇

 

 

 

741年(天平13年)、聖武天皇は全国に

国分寺、国分尼寺を建てることを命じる詔を

出しました。

ここ豊前の地でも、756年(天平勝宝8年

)国分寺・国分尼寺が建立されました。

 

当時の豊前国分寺は、南門・中門・塔・金堂

・講堂・鐘楼・回廊などが配置されており、

国庁とともに豊前国で最大の建物でした。

また、国分尼寺はここから東に200mほど

離れた丘の上にあったそうで、まさに古代豊

前国の中心地となっていました。

 

 

※豊前国分寺三重塔

 

 

 

しかし、「国立」で創建された国分寺ですが

、奈良時代末期には律令制度が機能しなくな

るとともに国分寺は廃れてきていきます。

この豊前国分寺も平安時代に入り天台宗の勢

力下に入り寺院としては鎌倉・室町時代まで

存続していきましたが、戦国時代に入り戦国

大名の大友宗麟の戦火によって全ての建物が

焼失したと伝えられています。

 

 

※現在の国分寺

 

 

 

江戸時代に入り、小倉藩主の小笠原氏によっ

て再建されます。

現在の本堂は1666年(寛文6年)、鐘楼

門は1684年(貞享元年)に建てられたも

のになります。

 

 

※1684年建立の鐘楼門

 

 

 

明治に入り多くの人々の寄付により1895

年(明治28年)に三重の塔が建立されまし

た。この三重の塔は、層塔と多宝塔の折衷形

式という珍しいもので中尊には大日如来が安

置しています。木造の仏塔としては九州には

三宇しかないことから昭和32年に県文化財

に指定されています。

 

 

※木立に囲まれた三重塔

 

 

※夏の青空に映える三重塔

 

 

この豊前国分寺跡は史跡公園だけではなく、

「国分寺案内所」と書かれた建物があります。

 

中に入ってみると女性の職員の方がいて「暑

いですね~」と声をかけてくださいました。

公園内を見学したあとに入館したので汗だく

の私の姿を見て声をかけてくれたのだと思い

ます。

 

 

※豊前国分寺案内所

 

 

ここは「案内所」とは書かれていますが、国

分寺の「ミニ博物館」になっています。この

遺跡から出土した塼(せん)や豊前の古代寺

院から出土した瓦などが展示されています。

塼(せん)とはレンガのことで、国分寺の基

壇に使われていたレンガだそうです。

 

 

※古代寺院「上坂廃寺」から出土の瓦

 

 

※国分寺創建時の基壇の表面を飾った「塼(せん)」

 

 

 

駐車場の脇には奈良時代当時の中門の「礎石

」がありました。

 

 

※豊前国分寺の中門の礎石

 

 

意外に見どころの多い史跡でした。