こんにちは、スタルペスです。

前回、紹介した「亀塚古墳」は、古くから「
海部王(あまべのきみ)」の墓だと伝えられ
ており、日本書紀にもこの地に「海人部(あま
べ)」が設置されていた記録があります。

海部とは、漁業によってヤマト王権に使えた
部民のことで、代表格は安曇(あずみ)氏と
言われています。

大分県は、平成の大合併が多く行われた県で
ほとんど"郡"という単位が無くなってしまいま
したが少し前までは県南地域は全て「海部(あ
まべ)」と呼ばれていました。


※海部古墳資料館(地上1階地下1階の2階建です)

関アジ・関サバで有名な大分市佐賀関や臼杵
市・津久見市を中心とした地域は「北海部郡
(きたあまべぐん)」で、佐伯市や蒲江町を中
心とした地域を「南海部郡(みなみあまべぐ
ん)」と呼んでいました。

リアス式海岸で平野部が少ないこの地域は、
古代より海を拠り所として生活をしていたこ
とが窺えます。

まさに、"海の民"の地域だったのです。

この、「亀塚古墳古墳公園」には「海部古墳
資料館」が併設されていて、無料で見学する
ことができます。


※海部古墳資料館の全景(かまぼこ形です)

この資料館には、「亀塚古墳」からの出土品
や、周辺の古墳からの出土した副葬品等が展
示されているのをはじめ。「海部(あまべ)の
民」の暮らしの様子が解りやすく解説されて
います。

特に横穴式石室の変遷や近隣の古墳の石室模
型など意外に突っ込んだ展示もされていて勉
強になります。


※亀塚古墳出土の朝顔形埴輪

また、前回「小亀塚古墳」の際にも触れまし
たが、この公園の近く「辻1号墳」のものだ
と言われている「王ノ瀬石棺(おうのせせっか
ん)」の実物が展示されています。

屋内展示を目の当りにすると大きさが更に実
感できます。

この石棺をはじめこの地域の古墳には畿内の
古墳の特徴が多くみられます。


※「王ノ瀬石棺」の実物が展示されていました。

この地域の人々は海の民として高度な航海術
で畿内との交流が早くからあったことを物語
っています。 

瀬戸内海で畿内とひとつに繋がっているここ
海部の地は、古代からヤマト王権に一番近い
九州だったのです。


※公園の片隅で四つ葉のクローバーを見つけました。