こんにちは、スタルペスです。

福岡県粕屋郡宇美町にある「宇美八幡宮」に
家内とドライブに行ってきました。

宇美町は、神功皇后が三韓征伐から帰国し、
この地で応神天皇を産んだことから、"産み
"→"宇美"になったといういうことです。


※宇美八幡宮

今は、福岡市のベットタウンとして古い町並
みと新しい町が混在する町として栄えていま
す。

この宇美八幡宮は、今でも安産の神様・育児
の神様として多くの人が訪れています。


※宇美八幡宮の注連縄と注連縄掛け石

私たちが伺った時も、4~5組の家族がお宮
参りに来ていました。

「日本書紀」によれば、熊襲討伐をために夫
の仲哀天皇とともに九州にきていた神功皇后
ですが、この九州の地で仲哀天皇を亡くしま
す。


※宇美八幡宮の神門

しかし、めげることなく熊襲を討伐した皇后
は、あるとき住吉大神のお告げ(ご神託)によ
り朝鮮半島に渡り新羅の国を攻めることにな
ります。


※宇美八幡宮の拝殿

このとき、神功皇后は身重の体で応神天皇を
おなかに宿しています。

気丈な神功皇后は出産を遅らせるために、石
を腰に巻きつけて海を渡ります。新羅は皇后
の軍隊の威光に恐れをなして戦わずして白旗
を上げ朝貢を誓います。併せて高句麗・百済
も朝貢を約束させます。


※拝殿の神額

意気揚々と引き揚げてきた神功皇后はこの宇
美の地で出産をすることになるのですが、妊
娠から実に15ヶ月が経っていたと言われて
います。・・・あくまで伝説です。

この宇美八幡宮のシンボルか2本の老大楠で
す。

社殿に向って右側が「湯蓋の森(ゆふたのもり
)」と呼ばれ、左側が「衣掛の森(きぬかけの
もり)」と呼ばれています。いずれも樹齢二千
年以上といわれている大楠で国の天然記念物
に指定されています。


「湯蓋の森」の大楠

「湯蓋の森」は、応神天皇がお産まれになっ
た際に、この木の下で産湯に浸かったことか
ら「湯蓋の森」と言われています。

また、左側の「衣掛の森」は、産衣を掛けた
木だそうです。


※「衣掛の森」の大楠


また本殿の左脇に、「子安の木(槐)」があり
ます。

"えんじゅ"という種類の木で、神功皇后が出
産にときに、この木に取りすがり応神天皇を
安産で産んだとの伝承が残っています。


※「子安の木」

境内の北隅に「産湯の水」があります。応神
天皇の産湯に用いた水が湧き出ているところ
です。


※「産湯の水」

境内にある末社「湯方社」には、"こぶし"大
の「石」が山のように積まれています。「子
安の石」と呼ばれるものです。安産祈願を終
えた妊婦が"お産の鎮め"としてここの石を預
かって持ち帰り、めでたくご出産した暁には、
別の新しい石に子供の名前を記して健やかな
る成長を願い、お宮参りの時にお礼として、
預かった石と一緒にお納めするのが慣しとな
っています。

神功皇后がお腹に巻いた"月延石"の縁起を担
いでのことと思います。


※「子安の石」


神功皇后が実在の人物だったかは、不明です
が全国に多くの伝承が残っていることも事実
です。

神功皇后は「卑弥呼」ではないか?いやいや、
斉明天皇のことだ。持統天皇だと色々な説が
あるようですが、戦前に神功皇后伝説が朝鮮
半島支配の象徴や根拠として利用されたこと
も厳然たる事実です。