今まで私の授業を受けてくれていた人の中で現在教員をしている方は少なくない。中学校、高校、塾、予備校など様々ではあるが。

公立の中高は部活、分掌、生活指導などで激務なようだ。しかし公務員という職の生涯賃金は高い。50代で年収800万を超える。教頭、校長となれば1000万に届く。退職金も高額である。
若いうちは苦労ばかりかもしれないが、歳を重ねるにつれ裕福になり幸福度が増していくのが公務員だと思う。同級生で公立の教員をやっている人は皆、将来に不安などなく充実した生活を送っている。たぶんこの職に就いて良かったと思っていると思う。少なくとも私の友人の中には後悔している人はいない。
ただ若いうちは部活等で休みがない。それに伴う出張で掛かる交通費も払って貰えない事があると聞く。大抵の場合高校の教員になる人はその教科に対する愛情からその職に就く場合が殆どであると思う。にも関わらず現実は教科指導どころではない学校が少なくない。昔の自分は教室にはいないのである。公立の場合、赴任先が希望通りになるわけではないので赴任校に合わせて自分を変えていく必要がある。
近年現場において授業という仕事が占める割合は全体の2割程ではないだろうか?今や公立学校の教員は24時間教員である事の出来る、かつそれが苦にならない何でも出来るスーパーマンにしか務まらない職になってしまったのかもしれない。

同じ教員でも私立だとまた状況が違う。学校にもよるが進学校であればハイレベルな教科指導も可能で生活指導はほぼ必要なく、給料も高額な所が多い。知り合いの卒業生は40代で年収800万を超えている。駐車場にはベンツやジャガーが並んでいるそうだ。彼らは皆明るく楽しそうに働いているように見える。
教科指導をしたくて教員になる人は給与の高い私立の進学校を勧める。一般に大学付属校が好条件であるようだ。

昔は教員という職は比較的楽で、それでいて周りから一目置かれる存在であった。しかし今や激務で気苦労の多い職業になってしまった。本当に部活にまつわる問題は早急に改善すべきで、今のままだと公立の教員になりたがる大学生がいなくなってしまう危惧さえある。近年は部活指導をやりたくて教員になる人もいるようだ。きっと部活にいい思い出があるのだろう。ただそのテンションを全教員に期待するのは酷であると思う。
教員の仕事の質はある意味時間的余裕から生まれると思う。クラスの子供達の顔をふと思い出して、「最近あいつ暗いなあ、何かあったんだろうか?」そんなふうに思って次の日に声を掛けてみる。次から次へと雑務に追われていたらそんな心ある指導は中々出来ないと思う。

次に塾講師だが大抵の場合、授業だけしていれば済む職業ではない。昼間は教室運営、営業、事務処理。夕方から授業。多くの場合、帰ってから自宅で明日の授業準備する事になるのだろう。
ただ進学塾というものは保護者からの強い信頼と感謝が向けられるがゆえ苦労が報われるやりがいのある仕事だと思う。うちの息子の通っている塾を見ていてそう感じる。

教科指導だけをやりたければ予備校講師しかないだろう。しかしこの業界の未来は暗い。子供が減り学歴の価値は下がり、浪人してまで上を目指そうという人生観は廃れている。それゆえ収入も昔のようには高くはならない。それでも人気もあり生徒の合格に貢献している評価の高い講師は今でもいる。彼らに共通するのは、「親切な常識人」であると言う事である。
昔の講師に求められていたカリスマ性や気をてらう型破りな講義など誰も求めてはいない。 
昔の予備校講師に憧れてこの職を目指している人にとっては気を削ぐようなことばかり書いたが、私は今でもこの職業はいい仕事だと思っている。自分が昔面白いと思って熱中したことが、若い人の人生に役立てられる数少ない仕事なのだから。
ただ本当にやりたい人だけにしか勧めない。なりたくもないのになって、あてが外れたと嘆くのは人生がもったいない。よく最後の授業で話すのだが、どこの大学を選んでも大差ないが職業は絶対に間違えるわけにはいかない。単純に教えることが好きで、生徒が合格するのが待ち遠しいと思える人にとっては今でも素晴らしい仕事だと思う。
しかし今後はグローバルに仕事を広げていった方がいい。教室で授業するだけでは駄目だと思う。それが具体的に何なのか私にはわからない。若い人達には、また予備校講師がいい意味で脚光を浴びるような時代を作ってもらいたい。
若い講師の情熱は生徒に奇跡を起こす。それこそ予備校講師の真の仕事であると思う。