2024年7月1日(月)
西通道「田名部~脇野沢」つまみ食い街道の旅(GSV)
街道地図は下記クリック
下北半島の西通(にしどおり)は、田名部から大湊、川内、宿野部を経由して脇野沢に向かう街道。
名前の由来は、 田名部から西に向かうことによる。
街道の各岸には田名部七湊のうち、大平、川内、脇野沢の3湊があり、諸湊と田名部代官所の連絡路として活用されていた。
起点・「青森銀行 むつ支店のある十字路」(むつ市本町)
「田名部街道と西通りの追分」とみた。
田名部は、古くから下北の物資の集散地として経済の中心的役割を果たしていた。
田名部町は湊ではなかったが、田名部川には、舟着場があり、川舟が川内・大平の両湊との間を往来し、
ほかの湊から船荷も陸路駄送されて田名部の蔵屋敷に搬送され、
また、当地で集積された物資は陸路で大畑・野辺地など周辺の村々に運ばれた。
国道338号に合流して、右折。
国道338号は、田名部川と並行して、西に向かう。
「大湊地区」
田名部川河口が「大湊」で、昔の地名は安堵
古くは陸奥国糠部郡に属して安渡(あんど)と呼ばれ、
明治22年(1889年)に、城ヶ沢村、大湊村、大平村の3村合併で新たに大湊村となった。
明治38年(1905年)に大湊要港部が設置され、以後軍港(大湊港)として機能することになる
昭和34年(1959年)に田名部町と合併して大湊田名部市となった。
昭和35年(1960年)に市名を「むつ市」と改称した。
第二次世界大戦後も海上自衛隊が大湊地方隊を設置。
斗南藩士上陸の地の碑が立つ、(むつ市大湊新町)
左に行けば、「JR大湊線大湊駅」
「小松野川」で、国道338号を離れ、左折して、旧道。
左に、「大湊郵便局」(むつ市大湊上町)
右に、「むつ市立大湊小学校」(むつ市大湊上町)
海上自衛隊大湊造修補給所で、旧道は消滅。
むつ市桜木町辺りで、国道338号を行く。
海上自衛隊 大湊航空基地 第25航空隊で旧道は消滅
むつ市 城ケ沢地区集会所辺りで、旧道復活。(むつ市城ヶ沢早崎)
右に、松林?の中を、城ケ沢海岸沿いを行く。
国道338号に合流。
「バス停近沢」
左に、「角違漁港」(むつ市城ヶ沢下田)
「バス停角違」(むつ市城ヶ沢角違)
「バス停戸沢」で、陸奥黒埼灯を避け、海岸沿いから山道へ。
国道338号を離れ、右折して、旧道へ。(むつ市川内町戸沢)
右に、「三島神社」(むつ市川内町戸沢)
高野川沿いから海岸沿いに出て、国道338号に合流しれ、右折。(むつ市川内町田野沢)
右に、「陸奥川内郵便局」(むつ市川内町川内)
「川内橋」(川内川)を渡る。
左、「川内港」
右に、「桧川公民館」(むつ市川内町桧川川代)
右に、「八幡宮」(むつ市川内町桧川)
右に、「旧宿野部小学校」(むつ市川内町宿野部しな木平)
宿野部川を渡る。
右に、「野部郵便局」(むつ市川内町宿野部)
「バス停蛎崎」(むつ市川内町蛎崎)
右に、「蛎崎八幡宮」(むつ市川内町蛎崎)
右奥に、「蠣崎城跡(錦帯城跡)」(むつ市川内町蛎崎)
陸奥湾の出入口を押さえる位置にある。
右に、「小沢八幡宮」(むつ市脇野沢)
「バス停小沢」(むつ市脇野沢小沢)
小沢の集落を過ぎ、民家のない海沿いを約6k進むと、
「バス停フェリー前」から、脇野沢地区に入る。(むつ市脇野沢本村)
「脇野沢郵便局の十字路」で、国道338号を離れ、直進して、県道175号を行く。(むつ市脇野沢本村)
「バス停脇野沢本町」(むつ市脇野沢本村)
「へいわばし」(脇野沢)を渡る。
右に、「愛宕山海水浴場」(むつ市脇野沢黒岩)
バス停海釣り公園のT字路で、道は、二つに分かれる。
(1)直進して、県道175号を行く
「市杵島神社」から、山の中へ。(むつ市脇野沢黒岩)
「バス停新井田」(むつ市脇野沢新井田)
山道から、
左方向に牛ノ首岬が見える、海岸線に出る。「むつ市脇野沢寄浪」
(2)県道175号を離れ、「瀬野川」沿いを行く。(GSVできない道)
右に、「むつ市 瀬野地区コミュニティーセンター」(むつ市脇野沢瀬野川目)
さらに、「瀬野川」を離れ、「東北自然歩道」になって、山道を行く。
「バス停芋田」辺りで、県道175号に合流して、右折。
「九艘泊漁港」(むつ市脇野沢九艘泊)
ここをゴールとした。
九艘泊は、むつ市脇野沢にある下北半島の南西端の漁村。
江戸時代ころには既に港町として栄えたという。
脇野沢と佐井を海岸沿いに結ぶ舗装道路はなく、この区間は船で移動したという。
今は国道が開通したがバスはなく、航路は残っているという。