2024年3月26日(火)

 

日光例幣使街道「栃木~楡木」(5) つまみ食い街道の旅(GSV)

 

街道地図は下記クリック

 

2009年12月16日、「栃木県ふれあいの道」で、

「巴波川沿い」から新栃木駅まで歩いた。

以下、一部再掲

 

この日、栃木県ふれあいの道11番に続いて、12番連絡コース「蔵と柳と鯉のみち」を歩いた。

 

NO11とNO12の分岐点、出発午後12時40分。

 

なんとも良く整備された「巴波川」沿い散策道だ。

 

 

途中、お店で「蔵の街のんびり散策」のパンフレットを入手。

それを、参考にして、「新栃木駅」まで歩いた。到着、午後13時30分。

 

栃木の町

例弊使街道宿場町としての栃木。

そして、巴波川の舟運での江戸との交易で、江戸の終わりごろ、

栃木の商人達は興隆を極めたという。(パンフから)

ところで、栃木に入って、気づくのは、農家に、白塗りの新しい「蔵」が、

競うように建てられている。「蔵」は、そこに、入れておく物資や、

お金があるというシンボルなのだ。栃木の農家はお金持ち。

 

 

 

県道153号は北に向かう。

 

「開明橋」(巴波川)を渡る。(うずまがわ)

「室町交差点」直進。

 

右に、「栃木室町郵便局」(栃木市室町)

左に、「とちぎ山車会館」(栃木市万町)

右に、「山本有三ふるさと記念館(栃木市万町)

左に、「栃木市役所」(栃木市万町)

右に、「栃木蔵の街郵便局」(栃木市泉町)

 

「万町交番前交差点」(栃木市万町) 写真あり

ここで、左折して、次の十字路を右折して現日光例幣使街道を行く。

 

右に、「畠山陣屋跡」(栃木市嘉右衛門町)

嘉右衛門新田村には畠山藩の陣屋も置かれた。

 

「嘉右衛門町伝統的建造物群保存地区」を行く。

 

日光例幣使道に沿って、平柳新地、嘉右衛門新田村など、

近世初期に開発された村々が発展してできた町並みで、

天正期(1573~1592)に足利から移り住んだ岡田嘉右衛門によって開発されたと伝わる。 

 

変則十字路に「庚申塔道標」(栃木市嘉右衛門町)直進。

 

左に、「油伝味噌中蔵」(栃木市嘉右衛門町)

 

「例幣使通り交差点」直進

右に行けば、新栃木駅 写真あり

「栃木大町郵便局のY字路」右。

ここに、道標 日光例幣使街道。

「平柳町1交差点」で、県道3号に合流して、左折。(栃木市大町)

 

東武日光線を横断。

「合戦場交差点」直進。

左に、「合戦場郵便局」(栃木市都賀町合戦場)

右に、「日立製作所創業者小平浪平生家」(栃木市都賀町合戦場)

「合戦駅東交差点」直進。

「バス停升塚」(栃木市都賀町升塚)

 

「家中駅入口交差点」直進。(栃木市都賀町家中)

県道221号を行く。

 

E50をくぐる。

県道3号を横断。

 

十字路、直進。(栃木市西方町金崎)

左に行けば東武金崎駅

 

「藤田鮮魚店のY字路」(栃木市西方町金崎)

ここで、県道131号と分かれ、右折して、現日光例幣使街道を行く。

国道293号に合流して、「小倉橋」(思川)を渡る。

 

栃木市→鹿沼市

 

右に、「磐裂根裂神社」(鹿沼市亀和田町)

E4をくぐる。

 

「追分交差点」(鹿沼市楡木町)

ここが、「日光例幣使街道と日光街道壬生通り(日光西街道)の追分」