2024年3月2日(土)
陸前浜街道「双葉~原の町」(8)つまみ食い街道の旅(GSV)
街道地図は下記クリック
左に、「相馬妙見宮初發神社」(双葉町長塚町)
「その先の十字路」
本線は直進。左に行けば、「JR双葉駅」
2021年4月18日,「双葉駅付近散策」(7:15 7:45) をした。
下記再掲
左に、「相馬妙見宮初發神社」(双葉町長塚町)
「その先の十字路」
本線は直進。左に行けば、「JR双葉駅」
「前田川」を渡る。
県道256号に合流して、右折。
「寺内前交差点」で、国道6号に合流して、左折。
その先で、国道6号を離れ、左折して、常磐線西側の旧道を北に向かう。
(双葉町長塚寺内迫)
双葉町→浪江町
「高瀬川」を渡る。
県道253号を行く。
JR常磐線を横断。
県道167号を横断。
左に行けば、JR浪江駅。
下記再掲
2021年4月18日(日)
JRで、「双葉駅」から「浪江駅」へ
「浪江駅周辺散策」(8:18 8:36)
2~3名のひとが歩いている
高原の駅よさよなら誕生の駅・浪江出身の作曲家佐々木俊一の碑
浪江町
2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災で被災。
揺れや津波による被害に加えて、震災により発生した
福島第一原子力発電所事故の影響を受けて、同月15日以降、
仮役場が同県内の二本松市に設置され、多くの住民が移動・避難した。
避難民と避難所は他にも散在している。
2019年3月31日に一部の全域避難指示は解除されたが、
2020年2月までは「帰還困難地域」が町内の大半を占め、町内の居住人口は
事故前より大幅に減少し、現時点で約1100人余が居住している。
以下、つまみ食い街道歩き(GSV)
新町通りを北に向かって歩く。
国道459号を横断。
「諸戸川橋?」(諸戸川)を渡る。
県道120号を行く。
左に、「酒田のから堤」(浪江町酒田堤中)
浪江町→南相馬市
南相馬市小高区上浦木曽迫地区を行く
左、石段を上がって、「桃内駅」
JR常磐線を横断
左奥に、「大悲山の石仏」
県道120号はJR常磐線西側沿いを、北に向かう。
福島コンピュータ・サービスのT字路で直進。(南相馬市小高区岡田北ノ内)
「工芸品店我楽多焼の十字路」(南相馬市小高区東町1)直進。
右に行くと、「JR小高駅」
2021年4月118日、小高駅から「原の町駅」まで歩いた。
下記再掲。
JRで、「浪江駅」から「小高駅」へ。
駅前通りを西に向かって歩く。(9:20)
「野馬懸の碑」(9:34)
「野馬懸」は小高神社で行われる相馬野馬追いの行事。
右折して「相馬小高神社」に立ち寄る。(9:34 10:05)
「相馬小高神社と小高城跡」(9:45)
相馬氏が小高を本拠地にした要因は、南隣の岩城氏(本拠地:四倉、飯野平)を
牽制する目的であった。 ところが、北隣の伊達氏(本拠地:米沢、岩出山)との
抗争が激化すると、相馬氏は中村に城代を置いて伊達氏と睨み合った。
1600年の関ヶ原の戦いでは、相馬氏は佐竹氏(本拠地:常陸太田、水戸)に与した為に、
関ヶ原の結果として領地を没収された。
しかし、伊達政宗が相馬義胤を擁護して徳川幕府を説得した為に、
相馬義胤は旧領である浜通り夜ノ森以北への復帰を果たし、
1611年には本拠地を城代所在地であった中村城に完全移転して、中村藩を立てた。
この本拠地移転も、この小高城の狭さゆえであると思われる。
Y字路、右。(10:36)
右側にあるはずの県道120号に向かって、滑り降りる。(10:45)
「西田橋」(鶴江川)(11:29)
「?十字路(12:07)
「太田橋」(太田川)(12:14)
「?十字路(12:22) 。右に行くと、相馬太田神社。左は岩屋寺。
「相馬野馬追祭場」(12:54)
「南町1交差点」(13:57)
南相馬市役所」(14:10)
所内に「中の陣屋跡の碑」
「南町1交差点」に戻って、左折して「JR原ノ町駅」へ。
到着午後14時40分。
この日は、原ノ町駅近くのBHに宿泊。