2022年9月30日(金)

 

東城往来・備中新見路(つまみ食い街道の旅(GSV)

 

東城より新見や美作国に至る道。

 

「街道東城路」より、西に向かう。

東城川(成羽川)を渡る。(東城町東城)

JR芸備線を横断。

左に、「得能商店」(東城町川東)

 

国道182号に合流して、左折。(東城町川東)

 

金本商店より約350m手前で、国道182号と分かれ、左折して旧道へ。(東城町福代)

 

JR芸備線のガードをくぐる。

 

「集落の十字路」を直進。 

ここに、道標がある。(右大山?、左東城?)

 

「番所跡」(浅野藩?)

 

備後・備中の国境県境  国境の門「二本松峠」 

  

広島県庄原市東城町→岡山県哲西町

 

「二本松峠の碑」 

 

復元茶屋「熊谷屋」 

 

「若山牧水の歌碑」

 明治40年(1907)の夏、早稲田の学生であった和歌山牧水が、

詩人有本芳水を岡山に訪れたあと、高梁川沿いに新見を経て、

備後の東城へ行く途中、行き暮れて、二本松峠の茶屋「熊谷屋」で一夜を過ごす。

この時、備中新見から有本芳水宛に送った葉書に「幾山河・・・」ともう一首記してあったという。

「幾山河 こえさりゆかば さびしさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく」

 

 中国縦貫自動車道のガードをくぐる。

国道182号に合流。

備中新見路は。ここから先、国道182号に並行する旧道があったのだろう。

だが、先は、よくわからない。

 

 

次は、JR芸備線・新見駅から「新見御殿場町」に向かう。 

 

 高梁川右岸(県道8号)を行く。 

 

JR芸備線を横断。

高梁川を渡り左岸沿いを行く。

 

 商店街通りを行く。 

「田原屋」にぶつかる。

 

 左折、右折して商店街を行く。 

 

「新見御殿町」に着く。 

 

「太池邸」

当時は、呉服店や新見初の百貨店として、さまざまな物を販売していた。

現在は、地域活性化の拠点施設として、イベント開催や立ち寄りスポットとして利用されている。

 

「カツマルしょうゆう醸造」

 

これから先は、「新見往来」で岡山へ。

 

江戸や明治時代の風情や歴史が感じられるまち「新見御殿町」

江戸時代に初代新見藩主・関長治候によってつくられたまち。

元禄時代には城を造ることができなかったため、御殿(館邸)を建てたことから、

現在は「新見御殿町」と呼ばれている。

 

「新見の歴史」

1650年 備中松山藩藩主水谷勝隆が高梁川に、新見から松山の城下町までの水路を開通。高瀬船による水運を実施。

1697年 徳川幕府により松山藩領の阿賀、哲多、上房、川上を割いて、 関長治が新見藩を立藩