2022年3月8日(火)
日田往還・中津街道「山国~耶馬渓」(2) つまみ食い街道の旅(GSV)
「中津市山国支所」
日本新三景、国名勝、日本遺産の3大タイトルに輝く「耶馬渓」。
およそ200年前に頼山陽が耶馬渓と名付けて以来、
山国川流域に広がる本耶馬渓、耶馬溪、深耶馬溪、奥耶馬渓、裏耶馬溪を含む広大なエリアの
ブランド名として全国に知られている。
春は新緑、秋はもみじが彩りを添える奇岩と渓谷が織りなす自然美は、
一年を通して人々を魅了する。
「つり橋」(山国川)を渡り、国道212号に合流して、右折。
右手に中摩郵便局
国道212号に合流。
「耶馬渓町」に入る。
「神谷橋」(神谷川)を渡る。
「一ツ戸隧道」をくぐる
「一ツ戸城跡」の入口があり案内板が立つ。
一ツ戸城は建久6年(1165)に標高360mの断崖上に築かれた堅固な山城。
代々の城主は友杉氏(仲間、中摩氏ともいう)であった。
天正15年(1587)豊臣秀吉の九州平定で黒田孝高が豊前に入ると、
時の城主中摩六郎左衛門は城内家臣の意見を「入れ札」により取りまとめ、
黒田側に臣従することに決したということだ。その後細川忠興の出城となったが、
元和元年(1615)徳川秀忠の一国一城令により取り壊され廃城となった。
その先Y字路で国道212号を離れ、右折して旧道へ 。
朝吹商店前より、「?橋」(山国川)を渡る。
バス停下郷農協
国道212号に合流。
津留、杉畑地区を過ぎる。
右手に「三所神社」
「柿坂地区」
左手に、「中津市耶馬渓町支所」
左手に、「第2山国鉄橋橋」(今は、サイクリングロード
左手に、「御霊神社」(姫塚→表示あり)
右カーブして、国道212号を離れ、左折して「城井橋」(山国川)を渡る。(県道11号)
右手に、「城井神社」
平田邸
「旧羅漢橋駅」
その先、左折すると、「羅漢橋」(山国川)。
これは日本で唯一の8連アーチ橋で、日本最長の石造りアーチ橋でもあるという。
地元ではオランダ橋と呼ばれているが、これは長崎県の石橋に多い、
水平な石積みを採用しているため。
その先に、「中津市本耶馬渓支所」(曾木?)
「擲筆峰の景の案内」
文政元年(1818)頼山陽がこの地に立ち寄った際、景勝を描写しようとしたが、
感動がきわまり、「筆舌に尽くしがたし」といって筆を投げた(擲げた)という。
以後この地を「擲筆峰」と称されるようになった。