2021年4月11日(日)
 

「陸前浜街道・つまみぐい街道・10日間の旅」の、第1日目は、「水戸~常陸多賀」。

 

「陸前浜街道」は、水戸から、岩沼までの約240kmの街道。

 

JR常盤線「水戸駅」出発は、午前8時15分。

 

「青天を衝け」の「徳川斉昭」、そして「水戸黄門と助さん格さん」に迎えられる。

 

 

まず、「弘道館」と水戸城跡を訪ねる。〔8:30 9:30〕

 

建久4年(1193)、源頼朝から地頭馬場資幹がこの地を賜り、大掾に任じられたのに始まる。

以後、馬場大掾は9代240年間、居城を構えた。

 

次いで那珂道辰の子孫、河和田城主・江戸道房が大掾満幹の留守に水戸城を占拠。

それ以来7代165年間にわたって江戸氏が支配。

 

天正18年(1590)太田城の佐竹義宣が(常陸」江戸氏を討伐、本拠とする。

佐竹氏の時代は慶長7年(1602)義宣の秋田移封まで僅か13年。

この間、武田信吉や徳川義宣が一時封じられている。

 

慶長14年(1609)、家康の11子頼房が城主になり水戸城は徳川家の居城となった。

その後、徳川氏は江戸常府ながら光圀、斉昭を経て昭武まで約260年間、35万石の水戸領を治めた。

 

「復元大手門」 

 

早朝のため「弘道館正庁」は閉館中。  

 

「弘道館公園内」を散策。  

 

弘道館は,1841年(天保12年)に水戸藩第9代藩主徳川斉昭により創設された藩校。

水戸城三の丸に建設された弘道館は、藩校としては日本最大の規模だった。

日本最大規模を誇る江戸時代の総合大学とも言える施設。

 

「公園内」
「鹿島神社」 

「八卦堂」

「水戸城三の丸空堀跡」

 

国道56号を歩き、「大工町交差点」で左折し、

 

「好文亭表門通り」から「偕楽園」。

 

「偕楽園散策」(10:00 10:45)

古くから日本三名園として知られている偕楽園。

水戸藩第九代藩主の徳川斉昭(なりあき)によって造園された、日本を代表する日本庭園。

 

「好文亭」

「千波湖」を眺める  

「梅林」  

 

まず、水戸駅から「桜川」を渡り、(11:15 12:40)

 

備前掘りを歩いて、

「水戸街道のゴール地点」の「たまげ橋」に向かう。

 

 

次に、近くの「陸前浜街道」の出発地点に向かう。

途中に,「市杵姫神社」

道明橋に立つ、「伊奈忠次像」

 千波湖の増水が下市に被害を与えた為、水戸初代藩主徳川頼房公の時の慶長15年(1610)徳川家康の家臣で

関東郡代の伊奈備前守忠次(ただつぐ)により造られた治水と利水を兼ねたかんがい用水。

 

「陸前浜街道起点碑」  

茨城県信用組合のある交差点の右手角に「旧本四町目 陸前浜街道起点」と書かれた碑が立っている。

 

 

次に、水戸駅からJR常磐線で勝田駅へ。

 

途中、那珂川を越えると「ひたちなか市」

1994年(平成6年)11月1日に勝田市と那珂湊市が合併して発足した。

 

JR勝田駅で下車して、その甲斐源氏の祖となった武田氏発祥の地「武田館」を訪れる。(13:20~14:40)

「武田新地交差点」の先で、道に迷い、ようやく到着。 

 

 

源義家の弟・新羅三郎義光が常陸へ進出。

源氏の勢力が及び、義光の子義清は那珂郡武田郷へ、

義業は久慈郡佐竹郷(常陸太田市)へそれぞれ土着した。(佐竹氏)

このような諸勢力の乱立状態のなか義清・清光親子は一族と対立し甲斐国(山梨県)へ配流され、

甲斐では巨摩郡市河荘を基盤に勢力を拡大し甲斐源氏の祖となった。

その17代後に信玄が生まれた。

今年・2021(令和3)年は、武田信玄公が大永元年11月3日に誕生してから500年という記念すべき節目を迎える。

(今日、来る電車のなかのスポットニュースで知ったのだ。)

住宅地近接にあり、前はこんな感じ。 

 

「武田屋敷」から「武田本町交差点」で左折して、県道8号を歩き、

 

「市毛十字路」で陸前浜街道・国道6号に合流。 (15:20 16:15)

 

 

国道6号となった陸前浜街道街道に昔の面影はほとんど無い。

 

この国道6号沿いに日立製作所の大きな工場が、那珂工場、佐和工場、東海工場とつづく。

途中、左に水戸刑務所、「田彦吉田神社」があった。

 

 

 

「稲田十字路交差点」で、本線を離れ、「佐和駅」に向かう。到着16時15分。

 

JR常磐線に乗り、「常陸」多賀駅」近くのBHに宿泊。