2020年11月15日(日)

 

「西近江・能登・飛騨のつまみぐい街道、12間の旅」の第6日後半は、

能登街道(1)「津幡~羽咋」のつまみぐい街道歩き。

 

 

「七尾街道(能登街道)」

北陸街道の津幡宿で分岐して宇出津に至る街道。

古代は、七尾付近に能登国の国府が置かれていたので、官道として整備された。

 

2018年10月28日(月)に、北陸街道「石動~津幡」を歩いた。

この津幡が七尾街道の出発地点とは知らなかった。

 

JR七尾線もここが出発点で、終点は七尾市の「和名倉温泉駅」だ。

 

「津幡~横山」はパス。

 

金沢から電車で、七尾線「横山駅」で下車。出発午前11時05分。

 

「横山駅から高松駅」の間を歩く。

 

横山駅から西に向かって歩き、国道159号を横断し、

県道162号に合流して右折。(11:19)

 

 

「高松交差点」(11:41)

海岸に向かって寄り道。(11:41 12:10)

  日本海は広いなあ。

 

 

「高松交差点」の近くに「かほく市歴史公園・口銭場跡地」」(12:10)

「能登街道 高松宿」の石柱。

地元出身の反戦川柳家・鶴彬(つる・あきら)の句碑もある。

高松は藩政時代、加賀と能登を結ぶ重要な宿場町として発展し、

旅人から通行銭を徴収した「口銭場(こうせんば)」があったという。

 

 

加賀と能登を結んだ能登街道「高松宿」 

高松は砂丘の移動との戦いの歴史でもありました。不作が続くことも多く,

漁業のハマグリや瓦の生産に力を入れたりした。

特に能瓦と呼ばれ,“光り窯”を用いた光沢のある黒色瓦は名産。


街道の中央に水路が流れ,その両側に桜が植えられています。

京文化の影響の濃い,格子のある町家が続きます。(12:19) 

 

 

「かほく市」について

2004年(平成16年)3月1日 - 河北郡宇ノ気町七塚町および高松町が合併して発足。

発足時の人口は約3万5000人。

能登地方と加賀地方をつなぐ街道に位置し、江戸時代には宿場町として栄えた。

 

「高松の鎮守・額神社」(12:21)  

「道路元標・高松町」(12:36)

 

「JR七尾線・高松駅」(12:45)

 

高松駅から電車で「羽咋駅」へ。

 

 

「羽咋散策」(13:35 14:00)

 

「羽咋神社」

羽咋神社の祭神は石衝別命(磐衝別命)。

かつて垂仁天皇の御代、羽咋地方一帯には疫病が流行し、盗賊が横行し住民を苦しめた。
このため鎮圧の使として、皇子である石衝別命が派遣される。石衝別命は賊や毒鳥を退治し、

また農業を奨励するなど仁政をしいたため、人々は安心して生活できるようになった。
命が亡くなった後、墓を築いて埋葬し、その恩徳を子孫に伝えるため神霊を社に祀ったのが

羽咋神社の起源と伝えられている。

石衝別命の命日である9月25日には旧別当寺の本念寺で報恩講が営まれ、

また、相撲好きであったという命を偲んで、唐戸山では古くから神事相撲が行われてきた。


 

「石衝別命の墓」 
石衝別命の墓と伝える社殿背後の大塚古墳(全長90mの前方後円墳)に加えて、

周辺に分布する大谷塚・水犬塚・宝塚・姫塚・剣塚・痛子塚を羽咋七塚という。

 

 

「羽咋神社」に隣接する「本念寺」

明治時代初頭に発令された神仏分離令に形式上は羽咋神社とは分離されているが、

羽咋神社の祭神である磐衝別命の命日には神社の例祭と共に大法要が営まれ

神仏習合時代の名残が残されている。

 

 

紺屋橋から眺める「長者川」  

 

次に、バスに乗って「バス停一の宮」で下車。

 

「気多大社」(14:40 14:55)

 

能登半島の付け根、羽咋市北方に日本海に面して鎮座する。

祭神の大己貴命は出雲から舟で能登に入り、国土を開拓したのち守護神としてこの地に鎮まったとされる。

古くから北陸の大社として知られ、中世・近世つうじて歴代の領主からも手厚い保護を受けた。

  

 

 

バスで「羽咋中央」で下車。約20分歩いて、「初音碧碧」に宿泊。  

 

地元の3000円のクーポンがついていた。1800円は追加食事、

1000円は翌日の駅までのタクシー代。