2020年11月14日(土)

 

「西近江・能登・飛騨のつまみぐい街道、12間の旅」の第5日は、

 

西近江路(5)「敦賀~木の芽峠~今庄」のつまみぐい街道歩き。

 

木の芽峠の登り口の「新保」へのバスの始発時間が遅すぎる。

思い切って、「敦賀駅~新保」の間は、タクシーを利用。

 

木の芽峠の登り口の「新保」、出発、午前7時20分。

 

武田耕雲斎が逗留した陣屋。

水戸天狗党が木ノ芽を越えて、この新保に達したのは12月11日(1864)のこと。

降雪の猛威に悩まされ、ついにここで進退窮まったのである。

 

登山口(7:38)  

「道元禅師入越慕古の道」の石柱。

 

国道476号高架をくぐる。(7:46)

「木の芽峠→1.6k」(7:47)

「親鸞聖人ハ越後ノ国国府ヘ・連如上人は越前ノ国吉崎へ」の石柱(7:49)

「木の芽峠→1.4k」(7:54)

紅葉がよい。

「木の芽峠→0.8k」(8:09)

「弘法の爪描き地蔵さん」(8:11)  

 

「木の芽峠と茶屋」(8:48)  875  877 876

道元大禅師碑

道元大禅師碑が建つ。師は病気療養のため、この木ノ芽峠を越え(1253)、京都へ向かった。

見送りの弟子と涙ながらの訣別だった。

  

 

言奈地蔵堂(905  9:31)

スキー場を下る(9:35) 

途中、ここで左折。(9:35)

石畳の坂を下る。(9:36)896

「笠取峠案内板」(9:37)

「旧北陸道↓二つ屋」(9:38) 900

舗装道路に合流して左折。(9:51)905

 

「首切り谷」(10:08)

「二ッ屋関所跡」(10:49)

「二ツ屋制札場跡」(10:52)

「日吉神社」も苔蒸してきた。924

宿場跡」(10:59) 928

江戸時代には、この辺りが宿場。今の集落は2km程先である。

「往還一里塚跡」(11:04) 932

現・「二ツ屋地区」(11:25)939

「北陸道の案内板」(11:27)

険しい悪路だったが、山中峠越えより大幅に時間短縮できたので、こちらが中世の主道となる。

県道207号を横断して、新道集落を行く。(11:53)  

「鹿蒜神社」(11:56) 

県道207号に合流して、「鹿蒜かひる)地区案内板」(12:09) 

 

「南今庄駅」(12:11 12:35)

「鹿蒜川」を渡り、旧道へ。(12:46) 

旧道を行く。

「コツラの清水」(12:57)

 
「文政の道標」(13:03)  978

「右 京 つるが 己可佐(ワカサ)道」

「左 京 いせ 江戸道」

「蓮如の道」「北陸道」「北国街道」等の新しい石碑が立っている。

 ここが今庄宿の南端に当たるところで、西近江路と東近江路がここで合流する。

古来、越前への道は山中峠を越える古道(万葉道)と木ノ芽峠を越える北陸道(西近江道)だけだったが、

柴田勝家が北ノ庄に封じられ、信長の居城安土城に赴く最短路として天正6年(1578)栃ノ木峠の大改修を行って以来、

人馬の往来が頻繁になったという。

 

今庄駅まで、「北陸街道歩き」で歩いた。

 

「今庄宿出口案内」(13:08)

これより南は、京・江戸に至る。

 

「雪きらら 畠山酒造」(13:10)

「新羅神社(しんら)」(13:13) 

「観音堂、燧ケ城址、藤倉山登り口」の標柱。(13:14)

「JR北陸線・今庄駅」 到着、午後13時20分。

 

電車で金沢へ。

この日は、金沢駅近くのBHに宿泊。