2019年(令和元年)10月9日(水)
「11日間の街道歩き旅」の第4日目は、丹後街道「小浜~若狭高浜」(4)を歩く。
JR小浜線「小浜駅」、出発、午前6時00分。
「はまかぜ通り商店街」を歩く。
「まちの駅・旭座」(6:18)
ここに、明治期の芝居小屋「旭座」がある。
ここで左折し、郵便局の先の十字路に、「丹後街道石標」(6:24)
左手にある「八幡神社」へ。(6:24 6:42)
足にできたマメの治療。
丁字路で、右折して、「小浜海岸」に寄り道。(6:46 6:58)
朝の静かな海。
丁字路に戻って左折。(6:58)
「瀧天満宮」(7:03)
「常高寺」(7:05 7:10)
石段の先に、小浜線が走り、その先に「常高寺」
浅井長政と織田信長の妹、お市との間に生まれた浅井三姉妹の次女お初(常高院)が、
夫京極高次の菩提を弔うために建立し、小浜出身の槐堂周虎禅師を迎えて開山しました。
常高寺にはお初の貴重な肖像画や自筆の消息、書院に遺る壁画など往時の盛運を偲ばせている。
また、尾崎放哉もここで寺男として住んでいたという。
「正法寺」(7:13)などお寺さんが続く。
JR小浜線ガードをくぐって、坂を上がって、国道27号に合流して、右折。(7:21)
歩道のない「勢浜トンネル(562m)」(7:31)
「伝説人 八百比丘尼」の案内。
JR小浜線「勢浜駅」(8:04)
国道27号に合流して、左折。(8:21)
「加斗トンネル」(8:31)
JR小浜線「加斗駅」(9:13)
国道27号に合流して、左折。(9:26)
「岡津製塩遺跡」に寄り道。(9:26 9:37)
古墳時代後期~奈良時代の製塩炉(9面)、焼土面(1面)の遺構が見つかっている。
若狭で生産された塩は、奈良の都へ税(調塩)として納められていた。
このことは藤原宮や平城宮出土の若狭からの送り状(木簡)がそれを物語っている。
ここからの「若狭富士(青葉山)と青戸大橋」
青戸の入江に面し万葉集の歌枕にもよまれている「若狭富士と称せられる青葉」が見える。
「鯉川交差点」(9:43)
「道の駅:うみんぴあ大飯」で休憩。(10:21 10:58)
「こども家族館」(10:58)
「本郷大橋」(佐分利川)(11:04)
国道27号を離れ、右折して旧道へ。(11:10)
「本郷中央大橋」(副ヶ裏川)(11:19)
本郷村は高浜から小浜への物資運送の継ぎ場でもあり、
町場には宿屋、茶屋などの店が開かれ宿駅的な機能を有していた。
「おおい町役場」(11:27)
「本郷交差点」で国道27号に合流。(11:32)
休憩(11:41 12:05)
「大飯原子力防災センター」(12:11)
「高浜町」に入る。(12:12)
「道の駅シーサイド高浜」(12:37 13:17)
「西の鯖街道」の言葉?
福井県若狭地域と京の都を結ぶ道は「鯖街道」として知られ、数か所の街道があった。
中でも一番西の福井県高浜町→おおい町→京都府南丹市美山→京都市北区京北→京都御所へと続く道は「周山街道」と呼ばれ、京都・若狭と結ぶ主要街道として往来は頻繁でその歴史は古く、奈良時代に始まり若狭地域は御食国(みけつくに)として、
水揚げされた海産物を奈良平城京まで運びました。鯖街道の歴史で培われた豊かで伝統のある食(鯖寿司、鯖のへしこ、地酒、ボタン鍋、海の幸)を食しながら楽しめる。全3日間の行程。
「エルどらんど」(13:26)
「若狭西街道」の案内。(12:31)
「若狭和田ビーチ交差点」で、国道27号を離れ、右折して和田港方面に向かう。(13:39)
左手に、「若狭和田駅」が見える。
地形的には青戸入江の末端部分で大島半島の根っこの部分になる。
「和田橋」(13:43)
「十字路左折」(13:56)
「岩神地区」を過ぎる。(14:37)
「堀川橋」(笠原川)(14:41)
民宿が多いのは「白浜海水浴場」が近いから?
「丹後道の石碑」(15:06)
「こんぺい橋」(子生川9(15:29)
「JR小浜線・若狭高浜駅」、到着、午後15時40分。
この日、小浜駅近くのBHに連泊。