2016年10月20日(木)
「羽州街道26日間歩き旅」の第24日目は、羽州街道「碇ヶ関~弘前」(
23)を歩く。
23)を歩く。
JR奥羽本線「碇ヶ関駅」、出発、午前6時25分。
「道の駅:碇ヶ関」(6:28)
ここに「関所の高麗門」がある。
「この門は桃山時代以降の城郭建築に現れた様式であり、一般には城郭外門として建てられている。碇ヶ関の関所は御本陣を控えた関所であるために、地域一帯は城下町の様相を呈して作られている。弘前城から見れば出城と見られ、碇ケ関構えといいうるのである。そのためにこの高麗門を建て、正面には平川を横たえ、番所大橋を渡って関所に入るようになっている第一番目の門である。」(案内文より)
1821
ここに「関所の高麗門」がある。
「この門は桃山時代以降の城郭建築に現れた様式であり、一般には城郭外門として建てられている。碇ヶ関の関所は御本陣を控えた関所であるために、地域一帯は城下町の様相を呈して作られている。弘前城から見れば出城と見られ、碇ケ関構えといいうるのである。そのためにこの高麗門を建て、正面には平川を横たえ、番所大橋を渡って関所に入るようになっている第一番目の門である。」(案内文より)
1821国道7号を北に向かって、平川沿いを歩く。
1824
1824「古懸バス停」(6:47)
「碇ヶ関陸橋」を渡ると、「大鰐町」に入る。(6:53) 1831

「碇ヶ関陸橋」を渡ると、「大鰐町」に入る。(6:53) 1831

国道7号を離れ、右折して、旧道へ。(7:02)
「唐牛集落」を行く。
1836
「唐牛集落」を行く。
1836国道7号線に合流、(7:20)
「福島橋」(平川)(7:31)
「駒木入口交差点」(7:37)
「九十九森公民館」(7:40)
「福島橋」(平川)(7:31)
「駒木入口交差点」(7:37)
「九十九森公民館」(7:40)
JR奥羽本線「長峰駅」(7:46)
雲に隠れた山が、「阿闍羅山」
阿闍羅山は古代から山岳信仰の対象になり、さらに中世には、
山頂に大日堂、不動堂、観音堂が建てられ、これらを含め「阿闍羅千坊」と
いわれていたという。
1859
阿闍羅山は古代から山岳信仰の対象になり、さらに中世には、
山頂に大日堂、不動堂、観音堂が建てられ、これらを含め「阿闍羅千坊」と
いわれていたという。
1859「羽州街道の石標」と案内板。(7:54)
コンビニで、一休み(8:07 8:38)
Y字路で、国道7号を離れ、大鰐温泉街に進む。(8:43) 1871
コンビニで、一休み(8:07 8:38)
Y字路で、国道7号を離れ、大鰐温泉街に進む。(8:43) 1871
「大鰐〔おおわに〕宿」大鰐温泉(8:55)
円智上人により建久年間(1190年から1198年)に発見されたと伝わる。
江戸時代には津軽藩の湯治場として津軽氏の歴代藩主も訪れ、
御仮屋と呼ばれる館が設置された。また江戸時代には津軽地方の人々の
療養の場として広く利用された。
1895年に奥羽本線が引かれて大鰐駅(現=大鰐温泉駅)が開業し、
花柳街としても繁栄した。現在、9つの共同浴場のある温泉街になっている。
その一つ、「霊湯大湯」 1878

円智上人により建久年間(1190年から1198年)に発見されたと伝わる。
江戸時代には津軽藩の湯治場として津軽氏の歴代藩主も訪れ、
御仮屋と呼ばれる館が設置された。また江戸時代には津軽地方の人々の
療養の場として広く利用された。
1895年に奥羽本線が引かれて大鰐駅(現=大鰐温泉駅)が開業し、
花柳街としても繁栄した。現在、9つの共同浴場のある温泉街になっている。
その一つ、「霊湯大湯」 1878

高伯寺(大円寺)(9:01)
奈良時代、聖武天皇の国分寺建立に際し、本尊大日如来を阿闍羅山の大安国寺に安置したが、大安国寺は荒廃し、1191年に阿闍羅山千坊〔せんぼう〕と称された「高伯寺」に移奉された。1650年に、津軽三代藩主・信義が鷹が本尊を京都で補修させ御堂を現在の地に建立し「神岡山〔じんごうざん〕高伯寺」と号した。
神仏分離(1871年)の際、弘前市から大円寺が移った。
1886
奈良時代、聖武天皇の国分寺建立に際し、本尊大日如来を阿闍羅山の大安国寺に安置したが、大安国寺は荒廃し、1191年に阿闍羅山千坊〔せんぼう〕と称された「高伯寺」に移奉された。1650年に、津軽三代藩主・信義が鷹が本尊を京都で補修させ御堂を現在の地に建立し「神岡山〔じんごうざん〕高伯寺」と号した。
神仏分離(1871年)の際、弘前市から大円寺が移った。
1886JR奥羽本線を越える。(9:07)
雨が降り出す中、「宿川原地区」を行く。(9:24)
「稲荷神社石柱」(9:28)
1902
雨が降り出す中、「宿川原地区」を行く。(9:24)
「稲荷神社石柱」(9:28)
1902国道7号に合流。(9:35)
旧道へ。(9:41)
「境明神](9:44)
旧道へ。(9:41)
「境明神](9:44)
「鯖石交差点」で、国道7号に合流。(9:52)
ここに、古い追分石がある。
ここに、古い追分石がある。
国道7号を離れ、「小金崎の集落」を行く。(9:59)
1918
1918ほぼ、国道7号を横断して、
「石川入口交差点」から県道41号を行く。(10:09)
「石川入口交差点」から県道41号を行く。(10:09)
「御幸橋」(平川)(10:19)
「石川の集落」を行く。
「石川公民館」(10:25)
1932
「石川の集落」を行く。
「石川公民館」(10:25)
1932コンビニの先で左折。(10:38)
JR奥羽本線を越える。(10:43)
Y字路、右。(10:45) 1941
「弘南鉄道大鰐線」を横断。(10:47) 1943
JR奥羽本線を越える。(10:43)
Y字路、右。(10:45) 1941
「弘南鉄道大鰐線」を横断。(10:47) 1943
「弘南鉄道大鰐線:義塾高校前駅→」(10:49)
これから先、リンゴ畑がしばらく続く、
アップルロードなのだ。(10:51) 1946

アップルロードなのだ。(10:51) 1946

「大沢の集落」をゆく。
「八幡宮」(11:07 11:23) 1957

「八幡宮」(11:07 11:23) 1957

「大沢橋」(大沢川)(11:31)
「松木平の集落」を行く。
一面、リンゴ畑。(1:38)
1974
一面、リンゴ畑。(1:38)
1974「東洋橋」(牛沢川)(11:48)
「松木町民会館」(11:53)
「小栗山橋」(稲刈沢川)(12:09)
「小栗山の集落」を行く。1992

「松木町民会館」(11:53)
「小栗山橋」(稲刈沢川)(12:09)
「小栗山の集落」を行く。1992

「小栗山公民館」(12:15)
「←小栗山神社」(12:16)
「弘南鉄道大鰐線」を横断。(12:20)
「←小栗山神社」(12:16)
「弘南鉄道大鰐線」を横断。(12:20)
「千代松原」という松並木の跡。(12:23) 1999
「上千歳橋」(大和沢川)(12:25)

「上千歳橋」(大和沢川)(12:25)

「弘前宿」
「中野橋」(三岳川)(12:46)
「富田の枡形」 休憩(13;01 13:30)
「弘前大学」(13:40)
その先、右折して、県道109号を行く。
改装中の「旧弘前偕行社」 (13:49) 2034

「中野橋」(三岳川)(12:46)
「富田の枡形」 休憩(13;01 13:30)
「弘前大学」(13:40)
その先、右折して、県道109号を行く。
改装中の「旧弘前偕行社」 (13:49) 2034

その先で左折。(13:55)
「弘前天満宮・駒肩神社」(13:59)
「弘前天満宮・駒肩神社」(13:59)
「県道127号・現羽州街道」''に合流。?4:05)
本線は右折だが、この日の「歩き旅」は終了。
2039
本線は右折だが、この日の「歩き旅」は終了。
2039ここから、直進して「市内巡りから弘前城見物」(14:05 15:40)
「弘前昇天教会聖堂」(14:10)
「弘南鉄道大鰐線・中央弘前前駅」(14:11)
2047
「弘前昇天教会聖堂」(14:10)
「弘南鉄道大鰐線・中央弘前前駅」(14:11)
ちょっと汚れた感じの始発駅。
2047弘前の繁華街(14:15)
2047
2047青森銀行記念館」(旧第59銀行本店本館)(14:25) 2058


「弘前城巡り」 (14:32 15:18)
「追手門」から入って、「下乗橋」。
石垣整備のため、天守閣は移動してるため、TVで見る、
あの桜姿の弘前城の姿が無いのだ。
石垣修理が行われ、100年ぶりとなる大規模なもので、内濠を埋め立てたり、
弘前城が曳屋(ひきや)され石垣の工事が終わるまでは約10年かかるという。
2072
石垣整備のため、天守閣は移動してるため、TVで見る、
あの桜姿の弘前城の姿が無いのだ。
石垣修理が行われ、100年ぶりとなる大規模なもので、内濠を埋め立てたり、
弘前城が曳屋(ひきや)され石垣の工事が終わるまでは約10年かかるという。
2072位置をずらした「五層の天守閣」2092
天守閣に上がっても、窓がほぼ閉じられ、天守からの風景は得られない

天守閣に上がっても、窓がほぼ閉じられ、天守からの風景は得られない

「東門」から、城外へ。(15:18)
外堀の外に「藩祖・津軽為信公銅像]2105

外堀の外に「藩祖・津軽為信公銅像]2105

江戸時代には弘前藩津軽氏4万7千石の居城として、津軽地方の政治経済の中心地となった。城は津軽平野に位置し、城郭は本丸、二の丸、三の丸、四の丸、北の郭、西の郭の6郭から構成された平山城。
1590年(天正18年) - 南部氏に臣従していた大浦為信は、小田原征伐の際に豊臣秀吉より南部氏に先駆けて4万5千石の所領安堵の朱印状を受ける。大浦を津軽と改姓。
1594年(文禄3年) - 為信、堀越城(弘前市堀越)を築き大浦城より移る。しかし、軍事に不向きであることを理由に新城の候補を鷹岡(現在の弘前城の地)に選定。
1600年(慶長5年) - 為信は関ヶ原の戦いで東軍に付き、徳川家康より2千石の加増を受け4万7千石の弘前藩が成立。
1590年(天正18年) - 南部氏に臣従していた大浦為信は、小田原征伐の際に豊臣秀吉より南部氏に先駆けて4万5千石の所領安堵の朱印状を受ける。大浦を津軽と改姓。
1594年(文禄3年) - 為信、堀越城(弘前市堀越)を築き大浦城より移る。しかし、軍事に不向きであることを理由に新城の候補を鷹岡(現在の弘前城の地)に選定。
1600年(慶長5年) - 為信は関ヶ原の戦いで東軍に付き、徳川家康より2千石の加増を受け4万7千石の弘前藩が成立。
本線・離脱地点近くのBHに着く。午後15時30分。