2016年4月18日(月)
この日は、「四国・16日間歩き旅」の第8日目。
第8日目は、讃岐街道「丸亀~端岡(6)を歩く。
前回の離脱地点、丸亀城大手門前、出発、午前6時50分。
朝の丸亀城がかわいく見えるのだ。

朝の丸亀城がかわいく見えるのだ。

丸亀市役所を経て、「京極通り:県道33号」に合流して北東に向かう。
「昔の渡し場」の名残りの「バス停渡場」?
「昔の渡し場」の名残りの「バス停渡場」?
「蓬莱橋」(土器川 )(7:00)
「讃岐富士」の全貌が真近に見える。
「讃岐富士」の全貌が真近に見える。
県道33号を左に分け旧道に入る。(7:06)
再び県道33号に合流。(7:19)
その先で右折して、旧道へ。(7:22)
再び県道33号に合流し、「岸落地蔵院」(7:25)
再び県道33号に合流。(7:19)
その先で右折して、旧道へ。(7:22)
再び県道33号に合流し、「岸落地蔵院」(7:25)
高架トンネルをくぐり、地蔵堂のある旧道へ。(7:31)


「指図へんろ道標→」で右折して坂を上がる。(7:33)
十字路に出て、左手に「宇夫階神社」(うぶしな)(7:41)


右手の道を行くと、旧道を感じさせる道がつづく。
「町の名は宇多津町網の浦」
「町の名は宇多津町網の浦」
Y字路、右折して「78番郷照寺」へ寄る。(7:46 7:57)
四国札所中、唯一の時宗の寺。
「厄除けうたづ大師」
四国札所中、唯一の時宗の寺。
「厄除けうたづ大師」
Y字路の右に、閻魔堂(浄泉寺(7:57)
「宇多津のえんまさん」 香川県一の大きな閻魔像。
「宇多津のえんまさん」 香川県一の大きな閻魔像。
「西光寺と大束川」(8:03)
JR高架をくぐり、33号のトンネルをくぐる。(8:13)
JR高架をくぐり、33号のトンネルをくぐる。(8:13)
坂を上がり、県道33号を横断。(8:21)
ここから坂出市に入る。
ここから坂出市に入る。
ここで、右手に、手すりの付いた石段が見えたので、旧道かもしれないと思って
雑草がからむ石段を上がる。
「石仏」が並び、親鸞聖人の立像、さらに山道を進むと祠があった。
その先には、「道」はなかった。(8:30)
雑草がからむ石段を上がる。
「石仏」が並び、親鸞聖人の立像、さらに山道を進むと祠があった。
その先には、「道」はなかった。(8:30)
元に戻って、「へんろ道」案内に従って、素直に進む。(8:38)
約20分のロス。
約20分のロス。
瀬戸大橋の高架をくぐる。(8:40)
ここは「田尾坂公園」を抜けるのだ。
「本街道」の道路標識。(8:44)
「八幡神社への入口」(8:46)
「州賀金比羅社」(8:53)
ここは「田尾坂公園」を抜けるのだ。
「本街道」の道路標識。(8:44)
「八幡神社への入口」(8:46)
「州賀金比羅社」(8:53)
「HONMACHIアーケード」に入る。(9:00)
古い建屋の「奨油画資料館」(9:04)
古い建屋の「奨油画資料館」(9:04)
「MOTOMACHIアーケード」に入る。(9:05)
抜けると、右に「JR坂出駅」(9:08 9:21)
抜けると、右に「JR坂出駅」(9:08 9:21)
賑やかな駅前を過ぎると、閑静な道が東に向かってのびる。
「坂出金山郵便局」(9:34)
「坂出金山郵便局」(9:34)
「指図へんろ道標→」を見て、右手旧道へ。(9:41)
JR予讃線を渡る。(9:45)
坂道を上がって行くと、「遺跡天王城址→」の案内がある。(9:50)
坂道を上がって行くと、「遺跡天王城址→」の案内がある。(9:50)
「八十場(やそば)の清水」
泉の脇には弥蘇場地蔵堂があり、
そして名物トコロテンを食べて、一休み。(9:53 10:00)
泉の脇には弥蘇場地蔵堂があり、
そして名物トコロテンを食べて、一休み。(9:53 10:00)
「白峰宮」と「79番天皇寺」(10:02 10:07)
保元の乱(1156年)によって讃岐国へ配流された崇徳上皇は、
長寛2年(1164年)に崩御するまでの9年間を讃岐で過ごした。
上皇の崩御後、遺体を当地の清水に浸しておいたところ
神光が輝いたことから、二条天皇の宣旨を受け
長寛2年(1164年)に造営されたと伝える。
後嵯峨天皇の時代には荘園などが施入されている。
江戸時代には崇徳天皇社野沢井宮・崇徳天皇明の宮などと呼ばれ、
金華山妙成就寺摩尼珠院と一体の存在として
四国八十八箇所の七十九番札所であった。
摩尼珠院は空海(弘法大師)の創建と伝えられ、
崇徳上皇もよく訪れたという。崇徳天皇社が創建されてからは
その別当となり、天皇にゆかりの深い寺ということから
「天皇寺」と称するようになった。
しかし、明治の神仏分離で崇徳天皇社は白峰宮となり、
摩尼珠院は廃寺とされたため、筆頭末寺の高照院がその跡に移転し、
天皇寺を再興して札所を引き継いだ。
現在、白峰宮の鳥居から社殿に向かう参道の両脇に
天皇寺高照院の境内がある
保元の乱(1156年)によって讃岐国へ配流された崇徳上皇は、
長寛2年(1164年)に崩御するまでの9年間を讃岐で過ごした。
上皇の崩御後、遺体を当地の清水に浸しておいたところ
神光が輝いたことから、二条天皇の宣旨を受け
長寛2年(1164年)に造営されたと伝える。
後嵯峨天皇の時代には荘園などが施入されている。
江戸時代には崇徳天皇社野沢井宮・崇徳天皇明の宮などと呼ばれ、
金華山妙成就寺摩尼珠院と一体の存在として
四国八十八箇所の七十九番札所であった。
摩尼珠院は空海(弘法大師)の創建と伝えられ、
崇徳上皇もよく訪れたという。崇徳天皇社が創建されてからは
その別当となり、天皇にゆかりの深い寺ということから
「天皇寺」と称するようになった。
しかし、明治の神仏分離で崇徳天皇社は白峰宮となり、
摩尼珠院は廃寺とされたため、筆頭末寺の高照院がその跡に移転し、
天皇寺を再興して札所を引き継いだ。
現在、白峰宮の鳥居から社殿に向かう参道の両脇に
天皇寺高照院の境内がある
参道を下って行くと、左手に、JR「八十場駅」(10:12)
JR線路沿いを歩いて、国道11号高架前で、JR線を横断。(10:15)
県道33号に合流して東に向かって進む。
雨が降り出してきた。
JR鴨川駅(10:41 10:56)
JR線路沿いを歩いて、国道11号高架前で、JR線を横断。(10:15)
県道33号に合流して東に向かって進む。
雨が降り出してきた。
JR鴨川駅(10:41 10:56)
鴨川駅の先で。JR線を渡って旧道に入る。(10:59)
「本坊自治会場」(11:04)
「県社城山神社→」の案内あり。(11:24)
「本坊自治会場」(11:04)
「県社城山神社→」の案内あり。(11:24)
「史跡府中町史跡案内図」の案内板。(11:25)
Y字路右(左の方が正解?)。(11:27)
「鼓ケ岡神社」(11:30 11:40)
崇徳上皇は雲井御所で3年間過ごされたあと、坂出市府中町にある
鼓ヶ岡の「木の丸殿」に移らた。この鼓ヶ岡で6年間過ごされ
長寛2年8月、この地で崩ぜられた。
現在は「鼓岡神社」が建っている境内には行在所の建物を復元したという
木ノ丸殿、擬古堂がある。
崇徳上皇は雲井御所で3年間過ごされたあと、坂出市府中町にある
鼓ヶ岡の「木の丸殿」に移らた。この鼓ヶ岡で6年間過ごされ
長寛2年8月、この地で崩ぜられた。
現在は「鼓岡神社」が建っている境内には行在所の建物を復元したという
木ノ丸殿、擬古堂がある。
神社前方100m先に「讃岐国府跡」がある。(11:48)
JR予讃線を渡る。(11:59)
「綾坂橋」(綾川)(12:03)
「綾坂橋」(綾川)(12:03)
「南海道綾坂峠→」の案内(12:05)
国道11号に少し触れ、国道脇の細い道を下る。(12:15)
ここが「綾坂峠」?
国道11号に少し触れ、国道脇の細い道を下る。(12:15)
ここが「綾坂峠」?
国道11号高架をくぐる。(12:26)
「へんろ道」の案内。(12:27)
「三ッ子山」(自称?)が見え出す。
JR予讃線「国分駅」(12:37)
「へんろ道」の案内。(12:27)
「三ッ子山」(自称?)が見え出す。
JR予讃線「国分駅」(12:37)
「讃岐国分寺跡」(12:41 12:51)
隣の「現79番国分寺」(12:55)
創建当初の本堂(金堂)の礎石
創建当初の本堂(金堂)の礎石
県道33号に並行する旧道をゆく。
「大道公民館」(13:22)
「国分端岡公民館」(13:29)
「常夜燈」(13:32)
「大道公民館」(13:22)
「国分端岡公民館」(13:29)
「常夜燈」(13:32)
「讃岐国分尼寺跡」の案内で、旧道を離れ、
「讃岐国分尼寺跡」へ寄り道。(13:37 13:58)
国分寺跡の北東約2キロの位置にあり、東西180~210m、
南北180mの範囲が史跡指定されており、現在は、そのほぼ中心に
法華寺がある。その法華寺境内には、自然石の金堂の礎石と
推定される石が残っている。
「讃岐国分尼寺跡」へ寄り道。(13:37 13:58)
国分寺跡の北東約2キロの位置にあり、東西180~210m、
南北180mの範囲が史跡指定されており、現在は、そのほぼ中心に
法華寺がある。その法華寺境内には、自然石の金堂の礎石と
推定される石が残っている。
「高松コミュニテセンター」横に各種の道標が集まる。(13:59)
県道33号に合流して、JR予讃線「端岡駅」に到着。
午後14時10分。
午後14時10分。
この日は、高松市「瓦町駅」近くのBHに宿泊