今日から5月19日に行ってきた唐招提寺のうちわまきの話をお届けしていくね。

 

 こちらが唐招提寺の入口、南大門だよ。

 

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 それじゃあ、唐招提寺の中に入ってみ…イテッ!誰だよ。後ろから蹴飛ばしてたヤツは…

 

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 お父さん、中に入る前にぼくの紹介を忘れてるじゃない。

 お父さん、そんな肝心なころを忘れてどうするの?

 お父さん、ホントに頼りないよねって?

 

 コラ、せんとくん。あんたはそうやって人のことを蹴っ飛ばしたりしたらダメでしょ。

 それに今日のお話は唐招提寺を紹介する話であんたを紹介する話じゃないんだからね。

 

 

 というわけで、この日もやっぱりうるさいヤツがついてきたよ(コラ、そこ。何拍手してるの)。

 

 では、唐招提寺の中に…とその前にこちらの写真も載せておくね。

 

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 こちらは南大門の西…国道24号線方向から見ると南大門の奥に建っていたよ。

 

 えっ?せんとくん、何だって?…お父さん、写真撮ってよって?

 

 しょうがないなぁ。じゃあ、ここは人通りが多いからサッと撮るんで、早くそこに立って。

 

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 えっ?せんとくん、何なの?…お父さん、下手くそ。「史跡」の「史」の字が消えちゃってるじゃないって?

 

 ったく、あんたは撮らせておいて、文句を言うんじゃないの…。

 

 こちらが唐招提寺の拝観券ね。

 

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 そして、この日はこんなものも配っていたよ。

 

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「唐招提寺中興の祖覚盛上人770年御遠忌記念誌」ね。

 

 覚盛上人は、鎌倉時代の唐招提寺の僧侶であり、うちわまきが始まるきっかけを作った人物なんだけど、その由来については、これからおいおい話していくね。

 

それじゃあうちわまきの話…の前に唐招提寺の中を紹介していくね。

 

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 世界文化遺産の記念碑。

 南大門から入ってすぐのところ、左側(西)にあるよ。

 唐招提寺は「古都奈良の文化遺産」を構成する8つの資産の1つとして、1998年(平成10年)に世界文化遺産に登録されたよ。

 ちなみに「古都奈良の文化遺産」を構成する残りの7資産は、東大寺・興福寺・元興寺・薬師寺・春日大社・平城宮跡・春日山原始林ね。

 

 ここ、試験に出すから、ちゃんと復習しておけよ。

 

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 えっ?せんとくん、何だって?…お父さん、何こんなところで学校の先生になりきってるの?

 って言うか、お父さんみたいな頼りないオッサンに学校の先生が勤まるわけないじゃないって?

 

 コラ、せんとくん。あんたはまた余計なツッコミをして…。

 これはただのネタなんだから、そういう余計なツッコミはするんじゃないの?

 

 えっ?何だって?…お父さん、ネタをやるんだったら、面白いネタをしなよ。

 面白いネタならともかく、こんな思わずグーで殴りたくなるようなくだらないネタはいらないよって?

 

 ったくl、あんたはどうしてそういう言い方しかできないの…?

 

 では、唐招提寺を紹介する前に、唐招提寺の境内のマップを載せておくから、みんなくれぐれも迷子にならないようにね(って、そう言ってるあんたが.一番アブナイんだってば)。

 

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 それでは、まずは唐招提寺の奥まで行って、純に手前に戻ってくる感じで紹介をしていくね。

 

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 こちらは鑑真和上御廟だよ。

 唐招提寺は758年に鑑真大和上が新田部親王の旧宅地を賜って、翌759年に戒律の専修道場を創設したのがはじまりとなったわけね。

 

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 この鑑真和上御廟は、その鑑真大和上の墓所というわけね。

 

 鑑真大和上についてもう少し言及すると、唐の僧侶であった鑑真大和上は、742年に日本からの招きに応じて日本に渡る決意をしたものの、当時は航海が難しく鑑真大和上も5度の渡日に失敗して盲目になった。

 

 それでも鑑真大和上の決意は固く、753年に6回目の航海で渡日を果たしたわけね。

 

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 渡日を果たした鑑真大和上は、754年に東大寺大仏殿の前に戒壇を築いて聖武太上天皇を約400人の僧侶に戒を授けたんだって。

 これが日本初の正式受戒なんだって。

 

 鑑真大和上は5年間東大寺で過ごした後、唐招提寺で過ごしたんだって。

 

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 えっ?せんとくん、何だって?…お父さん、そんなえらい鑑真大和上の墓所を紹介するのにこの下手くそな写真は何なの?

 お父さん、こんな下手くそな写真しか撮れないなんて、やる気あるのって?

 

 うるさい。あんたはそうやって余計なことばっかり言ってないで、さっさと鑑真大和上にお参りをしてきなさい。

 

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 その鑑真和上御廟は、こんな自然豊かなところにあるよ。

 

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あっ、せんとくん。ここは鑑真大和上がお眠りになってる神聖な場所だから、この自然豊かな場所で毒をまき散らしたらダメだからね。

 

 その鑑真和上御廟には、

 

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 趙僕初居士之碑もあったよ。

 

 この碑の表側…いや、裏側になるのかな?…まあ、どっちでもいいや、はこうなっていたよ。

 

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 えっ?せんとくん、何だって?…お父さん、「表側…いや、裏側になるのかな?」って、どっちなの?

 しかも「まあ、どっちでもいいや」って、何いい加減なことを言ってるのって?

 

 コラ、せんとくん。あんたはまた余計なツッコミをして…。

 ったく、こういうときは余計なツッコミをしてスルーしないとダメでしょ。

 

 それじゃあ、この碑の表か裏かは分からないけど、とにかく書いてある文字を拡大してみるね。

 

 

 それじゃあその下の説明も拡大。

 

 この超僕初居士は中国仏教協会の会長で1980年に鑑真和上像の中国への里帰りを実現させたんだって。

 これは、当時唐招提寺の住職であった森本孝順氏が超僕初居士に要望する形で実現したものだったんだって。

 

 その趙僕初居士の御逝去1周年には日中韓国際仏教交流協議会も発足して、去年の9月には神戸で第21回の交流会議が開催されたんだって。

 

 この交流会議の挨拶で日中韓国際仏教交流協議会の会長である伊藤唯眞浄土門主はこの碑にも書かれている日本・中国・韓国仏教徒を結ぶ「三国の絆」の存在を強調していたんだって。

 

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 えっ?せんとくん、何だって?…お父さん、こうやって宗教界に限らず国際的にあらゆる国と交流をして固い絆を結ぶことは大事なことだよね。

 

 宗教だけでなく文化やスポーツの面でも交流が進めばお互いにとってプラスになるわけだし…。

 

 政治的には難しい問題があってもこうした交流で絆ができれば、そこから風穴を開けて、政治的な問題の解決への糸口になるかもしれないよねって?

 

 ホントにそうだよね。

 あんたもたまにはいいこと言うじゃない。

 

 えっ?何だって?…でも、その交流もお父さんみたいな頼りないのがでていったんじゃ、うまくいくものもうまくいかないよね。

 そもそもお父さんは、病気に.なる前は韓国語をやってたけど、何年やってもハングルの読みすらアヤシイ万年初級だったくらいだからねって?

 

 そうそう、お父さんは何年やってもハングルの読みすらアヤシイ万年初…って、コラ、せんとくん。何余計なことを付け加えてるの?

 

 ったく、あんたはせっかくいいことを言ったのにどうしてそうやって余計なことを付け加えるの?

 これだったら、さっき誉めるんじゃなかったよ。

 

 

 こちらが鑑真和上御廟の前にある石燈籠ね。

 

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 といったところで今日はここまで。

 この続きは次回お届けするね。、

 

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 えっ、せんとくん、何だって?.…お父さん、あれだけ時間がかかって、これだけしか書けなかったの?

 それでなくても、うちわまきからもう10日以上もたってるのに、ここまでしか話が進んでないって、これじゃあ話にならないよね。

 お父さん、ノロマなのにもほどがあるよって?

 

 

 コラ、せんとくん。あんたはそうやって最後まで余計なことばっかり言うんじゃないの…。

 

 

 

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