秀頼殿の10人、五奉行 | NobunagAのブログ

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さて、先日紹介した五大老の他に

実務を司る五奉行がいる。


これがまた、歴史初心者の方には

いきなり登場人物が増えて

理解しづらい可能性が高い…。


五大老はまだ大名クラスなので

あまり詳しくなくても、

毛利とか上杉なんかは

名前くらいは知ってるよ、

という人も多いとは思うが… 


五奉行、になると

そこまで有名なわけではなく

と言っておそらくは

ドラマでも石田三成以外は

そこまで掘り下げないと思うので

一応、簡単に紹介を。


ドラマの世界観を理解する、

ひとつの補完になると

良いかなと思います。




浅野長政


1547年生まれ。


元は安井家の出であるが、

叔父の浅野長勝に、

息子がいなかったために

浅野家の婿養子となる。


秀吉の妻、寧々がこの

浅野長勝の養女だったため

秀吉とは相婿同士の間柄。


若い頃から秀吉の与力となる。


秀吉が城持ちになると

長政も領地を与えられ、

以降も秀吉に付き従った。


本作では無理に朝鮮出兵を

進めようとする秀吉を批判し

斬られそうになっているが

それができるくらいには

秀吉とは近い関係性であるということ。


なおかつ親族ともいる

浅野長政にも

見限られつつあった

晩年の秀吉、という描写で

あったともいえる。


五奉行の中では主に

司法を担当している。


従五位下、弾正小弼、

甲斐甲府22万石。



徳善院玄以


1539年生まれ。


「前田玄以」と呼ばれることが

多かったが、

元々、僧であったことから

徳善院表記のほうが

正しいのかも?


信長、信忠、信雄と仕え

京都所司代をつとめた。


秀吉が台頭すると

朝廷との交渉も担当し

重用されていた。


五奉行の中では僧侶らしく

宗教関係を任されている。


秀吉政権下でも

バテレン追放令に従いつつも、

秘密裏にキリシタンを

保護するなど理解も深く

むしろ日本の僧たちの俗世に染まる

現状を嘆いていたとも言われ、

穏健派であったと思われる。


民部卿法印、とされているから

正四位下相当か?


丹波亀山5万石。



増田長盛


1545年生まれ。


長浜城主だった頃の

秀吉に見出されて仕える。


取次役や外交官としての

活躍が多かったが、

小牧・長久手の戦いや

朝鮮の役での戦功もあった。


おそらくは万能タイプの

武将だったのではないか。


秀吉の弟、秀長、そして

その息子の秀保が若くして

亡くなってしまったため

大和郡山の領地を引き継ぐ。


このことから見ても

秀吉からの信頼は

厚かったのだろう。


五奉行の中では主に土木を担当。


従五位下、右衛門少尉、

大和郡山22万石。



長束正家


1562年生まれ、と

言われているが詳細は不明。


仮にそうだとすれば、

石田三成と同世代と思われる。


丹羽長秀に仕えていたが、

秀吉の奉行衆に抜擢される。


丹羽氏の不正が疑われた際は

帳簿を提出して抵抗して見せた。


その後、秀吉の直参となる。


秀吉も認めたくらいの

高い内政能力を持っており

豊臣家の財政面を支え、

小田原攻めでも兵糧奉行を担当。


ちなみに実は本多忠勝の

妹を正室にしている…


五奉行としては秀吉時代より

財政担当。


従四位下、侍従、近江水口12万石。




石田三成


1560年生まれ。


秀吉に仕えた経緯は

諸説あるが、

本作では紀行で「三献の茶」の

エピソードに触れられていた。


これは鷹狩りの帰りに、

寺に立ち寄った秀吉が

少年時代の三成に茶を求めた話。


三成は喉が乾いた秀吉が

すぐ飲めるように最初は

ぬるい茶を、次には少し熱い茶、

3杯目はゆっくり飲めるよう

熱い茶を出したという。


その賢さに驚いた秀吉が

三成を子飼いとして、

登用したと言われている。


これが史実かは不明だが、

父や兄も同時に仕えている。


秀吉の側近として中国毛利攻めや、

小牧・長久手の戦いにも従軍。


秀吉から4万石をもらうと、

その半分の2万石を

武勇で名高い嶋左近を

登用するために使った…


病を抱えた親友の

大谷吉継の膿が落ちた茶を

気にせず飲んでやった…


などの度量の広そうな

逸話も残っている。


ドラマで描かれたような

あまり人の心を読むのが

うまくない面と、

三献の茶や左近、

吉継との友情などの

他者の気持ちを理解する

三成の逸話は噛み合わない

部分とがあるのだが…


気に入った人に対しては

心が広かったのかもしれない。


本作においても、

当初は家康と気が合う姿が

描かれている。


これもまんざらフィクションではなく

最近の研究ではそもそも、

ある時期までは家康と三成は

不和ではなかった、とされる。


秀吉政権末期では、

老害化する秀吉が

ひどいことをしまくっており、

その側近であった三成に

皆の怒りが向いてしまい

やすかったため不憫でもある。



秀吉に対して非常に

高い忠義心を持っており

そこが今の人からも愛され、

しかしながらそれゆえに

家康との対決が避けられなく

なってしまう。


五奉行の中では行政を担当。


従五位下、治部少輔、

近江佐和山19万石。




先日、紹介した五大老に比べると

五奉行たちは従五位下あたりの

官位が多く…


また、治めている領地は

多くて20万石前後である。


大老たちは100万石前後、

家康に至っては250万石、

これはもはや秀吉の

220万石すらも超えているので

五奉行は小粒だと思って

しまいがちではあるが…


実際の政務は五奉行が

主導権を握っていた面も大きく

実務能力という点では、

五奉行の政治力は高かった。


言うなれば官僚みたいなものか。


石田三成と長束正家以外は、

実は年齢的にはそこそこ

上の方だったりもする。


ちなみに厳密には


「五奉行」


ではなくて単に


「奉行」


と呼んでいたのでは?とも

言われている。


ドラマにも出ている

大谷吉継や小西行長なども

奉行ではあり、

必ずしも5人だけが格別、

というわけでもなかったり

その時々で増減もあったようだ。



それでも石田三成が

目立っているのはやはり

秀吉の秘蔵っ子のような

存在であった面も大きいだろう。


が、ちょうど年齢的にも近く、

三成とは違って武名で

名を挙げてきた加藤清正や

福島正則らから見ると、

どうしても頭のよさだけで

出世しているように見える

石田三成を気に入らないと思って

しまった面もあったのだろう。


三成の武功が少ないのを

気にした秀吉は北条攻めの際、

忍城の攻略で戦果を

挙げさせてやりたかったようだが

無理な水攻めをしようとして

失敗した…


が、

これも三成よりも秀吉が

それくらい派手にやれ、と

命じたみたいな話もあるのだが…。


なんにせよ、

本来ならば加藤清正らと

石田三成とが仲違いしなければ

豊臣政権の衰退や家康の台頭も

そう簡単に起きなかった

かもしれないのだが…


年齢も近いうえに、

若い頃から共に秀吉に仕え、

武将として育て上げられた、

という同じ過去を持つからこそ

清正らと三成とは

喧嘩になるとお互い譲れない、

みたいな面もあったのだろう。


そのために三成を気に入らない

武将の多くは家康派に

なってしまっており、

三成ら奉行衆は力をなくしていく。


もったいないことではある。


また、こうした争いに

家康に反発する毛利輝元らの

後ろ盾が出来てしまったのが

関ヶ原の戦いの原因の

ひとつにもなっていく。


五奉行も一枚岩ではなく

もっとも秀吉に近い関係性のはずの

浅野長政は家康に味方している。


おそらく本作で、

秀吉に異を唱えた長政が

斬られそうになったとき

家康が


「浅野殿には自分が

言い聞かせるから」


と秀吉を止めたシーンは、

このことで長政が家康に

恩義を感じた、

という理由のひとつにも

なっているのだろう。




五奉行それぞれに、

そこまで多くの出番は

ないかもしれないが、

こうした背景を知っていると

当時の政治情勢であったり

どうして五大老、五奉行が

関ヶ原でぶつかることに

なってしまうのか多少は

理解しやすくなるかも?