井伊直政、本多忠勝、そして家康の辞世の句 | NobunagAのブログ

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家庭菜園、ゲーム、アイドルなど趣味の話題や、子育て、介護関係のことをつらつらと書いています。

まだまだ本編では活躍を
してもらわないと困る、
家康及び徳川四天王…

しかし大河ドラマというのは
主要な登場人物たちとの
別れというのもまた、
見どころのひとつです。

昨年などは悲惨な別れが多くて
終盤は毎週、つらかったのを
覚えています。

そこは今年もどうしても、
後半になると避けられないかも
しれません。


ところで日本の風習として

「辞世の句」

というのがあります。

イメージ的には切腹する前に、
武士が何やら俳句を
書き残してる…みたいに
思う人もいるでしょうが
厳密にはそういうもんでもなく
俳句に限ったわけでもありません。

死を間近にしたときに
最後に書き残した文章が
辞世の句として伝わる、
というケースが多く
もしかしたら本人は
それが辞世の句として、
伝わるなんて思っては
いなかったものも、
あるのかもしれません。


とはいえせっかくなので、
せめて徳川四天王の
辞世の句を…

と、思ったのですが
酒井忠次と榊原康政は
その辞世の句が残されていない…

あまり、何かを書くのは
好きではなかったのかも
しれませんね。

それは当然、人によって
差はあるものです。

「辞世の句を書かなければいけない」

なんて決まりはなくて、
こうしてブログを書くのが
好きな奴もいれば、
そうじゃない人もいる、
それが普通のこと…

あるいは発見されてないだけで
もっと後の世になってから
辞世の句と思われるものが
発見されるということも
ありえるかもしれません。

我々の知る歴史というのは、

「今、わかっていること」

でしかないですからね。



さて、井伊直政の辞世の句と
言われているものを紹介します。


祈るぞよ 子の子のすへの 末までも
まもれあふみの 国津神々


これがあの苛烈な赤備えを
率いた猛将、井伊直政の
最後に託した思いです。

自分の子供、子孫たちまでも
近江の国津神(土着の神様)に
守られてほしい

井伊直政は功績が認められ、
彦根城主となり近江を
治めました。

(ひこにゃんも有名ですね)

勇猛果敢で有名だった直政が、
心の何処かでずっと
成さねばならないと
思っていたのが、
ドラマでも触れられたように

「井伊家の再興」

なのです。

一度、没落してしまった
井伊家を近江という
新しい地に立て直すことができた。

だからこそせめて、
自分の子供たちの世代まで
この地が守られてほしい、
近江に住む神様たちに
力を貸してほしい。

そんな切実な願いが
伝わってきます。

当時の武将たちは、
さんざん戦場では相手を
殺しているので
信仰心などないかのように見えて
実はまったくそんなことは
ありません。

むしろ、たくさんの敵を、
自分の目的のために倒して
そこに立っているからこそ、
大義や正義を信じて、
神仏の守りを信じました。

井伊家の再興に人生を
捧げた井伊直政、
若くしてこの世を去った彼は
心の何処かでは、
神様の加護を信じて
戦っていたと思います。



次に本多忠勝。

こちらはかなり切ない…


死にともな 
嗚呼死にともな 死にともな
深きご恩の君を思えば


「死にともな」とは
「死にとうない」を
意味しています。

もちろんこれは、
死を前にした本多忠勝が
弱気になって命ごいをする
ように書いたわけでは
まったくありません。

本多忠勝が死にたくなかったのは、
深いご恩のある家康に、
まだまだ恩返しがしたいから、
という思いからです。

戦場においては、
かすり傷ひとつ負ったことなし。

そんな伝説を持つ、
戦国最強とか無双の勇士だと
言われている本多忠勝。

ドラマにおいても、
戦場では何度も自ら槍を振るい、
その武勇の強さというのは
際立っています。

でもそんな彼がただひとつ
恐れたものが

「殿に天下を取らせずに死ぬこと」

なんですよ…

ドラマでも

「まだ死ねない」

と述べていましたよね。

本多忠勝はその思いを抱えながら、
病でだんだんと弱る身体に
迫りくる死を予感しながら

「まだ、死にとうない。
殿に恩を返していない」

と、嘆きながらこの世を去った…

最強の勇士であるがゆえに、
どれほど無念だったか。

ラオウのように

「我が生涯に一片の悔い無し」

であるとか

信長みたいに

「是非も無し」

と言えたらそれもかっこいいですが、
本多忠勝の

「まだ死にたくない」

というのもまた、
人間らしくて素敵な言葉です。



最後に我らが神の君。

よく知られているのが
ふたつあります。

ひとつめは



先に行く 
あとに残るも 同じこと 
連れてゆけぬを わかれぞと思う


自分は先にあの世に行くが
後に残った者もやがて
その時が来る。

だからこそ連れて行かない
ことを別れだと思っている。

これは殉死することを
固く禁じた句であると
言われています。

こういうところに、
家康の優しい性格が
よく出ていると思います。

自分と一緒に死んでほしい、
なんて全然、思っていない。

後に残された者は、
その時が来るまでは
その生を全うしてくれ。

共に連れて行かないことが、
自分にとっての別れなんだ、と。

創業の臣の多くは、
家康より先に亡くなっていて、
この頃には家康の周りには
若い世代の家臣が
多かったと思います。

そんな彼らに殉死したら
いけないよ、
お前達に託してるんだよ、
そういう気持ちで
書いたのでしょう。

ちなみにこの1ヶ月後に、
家康の生涯の友と言われた
本多正信が亡くなっています。

殉死したのでは?と
言われることもありますが、
家康のこの思いを受けて、
それはないんじゃないかなとも
思います。

ただ、周りの者から
どうしてお前は殿と親しく
していたのに、
殉死しないんだ!と責められ

「俺はもう死んでいるよ」 

と答えたともいいます。

つまり、家康が死んだ時点で
正信はもうそれ以上、
生きる気力はなくして
しまったんだとは思います。

彼は家康より年上だったし
そこはもう仕方ないし、
それだけ大切な「友」で
あったのでしょうね。



さて、家康の辞世の句と
言われているもうひとつ。



うれしやと 
ふたたびさめて ひとねむり
浮世の夢は 暁の空



もう目覚めないかなぁと
思っていたら、
また目覚めてしまったことを
嬉しいと思う。

この世で見る夢は暁の空のようだ。

さぁ、もう一眠りしようか。



これ、いいですよね、
家康らしい。


「暁の空」

なんですよ。

ファンの方はわかりますよね?

あのタイトル曲です。


家康自身は死に怯えるでもなく、
でも目覚めたらまだ
生きていたからそれはそれで
嬉しいことだな、
でも、また寝ようか。

この世で見る夢は
暁の空のように美しい。


我慢の人、と言われた
これまたのんびりと
優しい部分が伝わってくる、
そんな辞世の句だと思います。



秀吉が

「なにわのことも夢のまた夢」

と感じていたのと、
似た心境にあったのかもしれません。

ただし秀吉の場合には、
懸命に駆け抜けた末に
辿り着いたものも、
夢のようなものだった、と
一抹の寂しさもあるんですが
家康の句にはやりきった者が
到達した境地、
という感じがします。



今回は徳川四天王と家康、
それもわかる範囲に
留めましたが、
他にも素敵な辞世の句は
色々とあります。

現代以上に誰もが、
必死に生きた時代。

彼らが死を前にして
どんな気持ちに辿り着いたか。


大河ドラマでの死のシーンは、
もちろん寂しいものなんですが
そこにこめられた思いを、
我々が心に刻むこと。

これはドラマ内に限らず
実際にその時代に生きていた
武将たちのご供養になる、
大河ドラマを構成する
大切な要素のひとつです。


辛いけど、最後まで
観ていきましょう!