思った以上にたくさんの方が
参列してくださったり、
弔電もいっぱいいただき、
こんなに多くの人達に
支えられて、
家族というものも
存在しているのだなと
改めて学びました。
セレモニーホールの
スタッフの皆さんも、
様々な要望に応えてくださり
親身になって対応して
くださいました。
最後に母が好きだった
XJAPANの FOREVERLOVEが
流れる中で式を終えることが
できました。
本当にありがたく、
そして感動的なお別れを
することができました。
自分は元々お経が好きで
時々自分で本を借りたりして
お経の内容を勉強したり
しているのですが…
般若心経で述べられている
内容というのは、
とてもありがたく、
そして心が救われる
ものだったりします。
全てのものは皆、
本当は「空」なのだと
いうこと。
「空」とは「空っぽ」
ではなくて、
実体がない、
くらいの意味です。
人間もたまたま人間の形は
とっているわけですが、
それは水や細胞や、
いろんなものが集まって
例えば脳や心臓を
生命の源として
形成してくれているのです。
元々「空」であるはずのものが
それによって
「人間」として自分を
認識しているし、
誰かに「人間」として
認識してもらっている。
そこで初めて「人間」として
生きることができています。
つまりそれは
実体があると自分で認識していて、
誰かに認識されているからこそ、
人間というものが
成り立っているということ。
であるけれども、
人間であるからこそ
痛みや苦しみもまた、
人生の中で存在しています。
でも元を正せば本来は
人間だって「空」なのだから
痛みや苦しみだって、
「空」なんですよね。
本当は存在しないもの、
とも言えます。
そう思えば全ての
悩みや痛みや苦しみに
とらわれる必要だって
本当はないはずなんですよ。
「空」であったものが、
人間として生きられている、
それ自体がすごく
ありがたいことなのだと
再認識させられます。
…まぁ、難しいですけどね。
ごく簡単に言うなら
悩みも苦しみも、
気にするなよ、
そんなもんは最初から
本当は存在しないんだから
ラクに生きろよ、
人間なんてそんな
もんなんだよという
教えと言っても
良いかもしれません。
それができないからこそ、
なかなか人間は悟りの境地には
至れないのだとは
思いますが。
ふとした瞬間に、
やはり母がいない寂しさは
感じます。
セレモニーホールの方も
心配してくださっていたのは、
やはり若い身内が亡くなる、
というのは80歳、
90歳の身内を亡くす人よりも
心が負うダメージが、
大きいのではないか
ということです。
お年寄りの場合には、
大往生というか
天寿を全うした!
よくやった!
ここまで生きたらじゅうぶん!
という割り切り方も
出来なくはないからね…
それが若い人だと
もっと生きたかったはず、
なぜこんなことに…と、
どうしても感じてしまうので。
確かに今年の初めまで、
本当に病人と思えないくらい
元気だったから…
まさかこんなに早く、
この日を迎えるなんて
1ミリも考えては
いなかったし。
そういう意味では、
心の準備をするには
まだまだ時間が
欲しかったなとは思います。
全力は尽くしたけれど、
100%じゃなく、
120、150%でも
もっとやってあげたかった。
それが本音でもあるし。
だけどそんなことを
言い始めたら、
世の中にはもっと
早く身内を失う人もいたり
事故や災害で本当に突然、
そうなってしまう人も
たくさんいます。
うちだけが、
うちの親だけが、
自分だけが…
そんなふうに考えることは
止めようと思っています。
生きていればたくさんの
不幸もそこにはあり、
であるけれども
それなりに幸せもあります。
天寿は人それぞれに違い、
ある意味ではそれこそ
是非もないこと、
人の力ではどうにも
できないことです。
できることは、
大切な人を失っても
残された者は強く
生きるということだけです。
悲しいことに出会ったぶん、
誰かに優しくしたり
同じ悲しみに出会う人に
寄り添いながら生きること。
そうしてみんなで
支えあいながら、
どこかで、誰かを助けて
やがて自分も人生を
終えることができれば
と思うし、
それが人の出来る限界
なのでしょう。
まだいくらか手続きなどの、
やることは残っていますが
少しずつ元の生活に
戻していこうと思います。
桜を見せてあげたかったなぁ。
母は花が大好きだったので
戒名に「花」の文字を
入れていただきました。
いつかまた、
母が俺の母として
生まれ変わってくれたら
いいなぁと思います。
別れの手紙も棺には
納めたんですが…
本当はそんなものも
必要ないのだと思う。
これからは心の中で
たくさん話しかけるし、
お仏壇にも手を合わせて
母を忘れないで
生きていくのだから。
火葬は…悲しいかなと
思っていましたし、
怖かったのですが、
いざ火が入ると
そうでもなかったかな…
これで母を苦しめた
病魔を火で一掃できる!
なんて思ったりもしましたし。
病気ってのも、
アホだなと思うよね。
宿主の命を奪ってしまえば
自分も生きられないのに。
人間の遺体というのは、
ずっとそのままでは
いられないから、
綺麗なうちに焼いてあげる、
それも大事なことなんですよね。
つらくて悲しい
つとめではありましたが
そこは乗り越えました。
いつかまた、
母に会えますように。
その日までは、
自分なりに精一杯
自分に残された人生は
頑張って生き切ろうと
思います。


