先日お知らせしましたが、
母が亡くなりました。
新潟から19歳で嫁いできて、
それ以来あまり旅行などにも
行くことなく、
とにかく家事が好きで
ほとんどの時間を
この我が家で過ごしてきた
お母さん。
実家に戻ることすら、
あまり好きではないと言うほど、
今の家が大好きで
家族を支えるために
ずっと頑張ってきてくれた
大切な存在です。
なんとか退院させてあげて、
10日間、自分なりに全力で
母が少しでも長く愛した家で、
家族と共に過ごせるように
サポートしました。
仕事で介護をしているとはいえ、
こうした重い病気、
ましてや失われようと
している命に対して
自分などは本当に無力です。
しかも身内であればあるほど、
苦しむ姿を見るのは
身を切られるように
自分もつらいものでした。
とくに最後の3日間は、
とても苦しく悲しい時間でした。
母のお腹はパンパンに
腫れ上がってしまい、
食べることはおろか、
しゃべることすら
苦しい様子で…
一般的な腹水ではなく
どうもガスが溜まって
しまっているとのことでしたが、
どうしてもお腹が
苦しいから本人は、
なんとか吐き出したい…
何度も嘔吐し、
それがうまく出ないと
もう自分で指を突っ込んで
吐いてしまう状態でした。
昼も夜も何度も吐き、
そのたびに背中をさすり
綺麗に拭いてあげました。
下のほうからも、
水様便が繰り返しになり…
それでも、
どんどん水分が出てしまうと
口がカラカラになるので、
水を欲しがります。
仕事では…
もうこの状態では、
水は最低限しか
あげないんですよね…
飲ませてもこうして
苦しくなる、
余計に苦しい時間を
長引かせるって
わかっているから。
それでも水を飲むと
「おいしい…」
と言って何度も
欲しがる母を見ていると
家族だから…
切なくて悲しくて、
少しでも喜んでほしくて、
おいしいならば
飲ませてあげたくて
水をあげてしまうんです…。
そして本人も、
お腹の中のものを
出したいから、
あえてわざと水を飲んででも
嘔吐するという、
とても見ていられない
悲しい時間が続きました。
何度も、何度も、
俺は何をしているのか、
自分の存在が母にとって
プラスになっているのか、
繰り返し考えました。
夜はほとんど寝ずに付き添い、
お腹をさすり、
肩や足をマッサージし
自分に出来ることは
どんなことでもしました。
普段、仕事を休むことなんて
ほとんどないのですが
この期間は会社でも
協力してくれて、
ずっと休んで付き添っていました。
大人になって最初で最後の母と
長く一緒にいる時間でした。
なんとかしてあげたかった。
それでも人が、
死に向かう流れは
止められないものです…
亡くなる前の日にも、
訪問入浴が来てくれて
お風呂に入っているときだけは
「気持ちいい」
と笑ってくれました。
その日の午前中、
訪問にきた先生から
「あまりに苦しみすぎていて
これでは僕にも何も
してあげられない…」
と告げられました。
確かに在宅で出来る治療では、
限界があります。
薬を飲ませれば吐いてしまい、
座薬を入れても、
下からも出てしまう…
これでは麻薬もほとんど、
効いていない状態なんです。
治療もなしで
癌の痛みに耐えるのと
ほとんど変わりません…
母は
「先生、助けて」
と言っていましたが
先生は
「これでは助けられない、
これを見るのは自分も苦しい、
もう残された時間は
わずかだと思うから
入院させてあげて
せめて痛み、苦しみを
なくしてあげたほうがいい」
とおっしゃいました。
すごく悩みました。
入院だけは嫌がっていた母。
「入院する?」
と尋ねても、
うんとは言いません…。
でも
「こんなに子供に迷惑をかけて…」
と言っているのを聞いて、
ハッとさせられました…
迷惑なんていくらでも
かけてくれていい、
どんなにつらくて苦しくても
俺は自分が力尽きても
支えてあげたい、
そう心に決めていましたが
母が親としてそんな俺を
見たときに、
心配しているのでは
ないかと…。
母を苦しませているのは、
俺ではないかと。
入院させるのがいいのか、
たとえ苦しくても
最期は家が良いのか…
一生分くらい悩みました。
その日の夜、
俺の子供たちも一緒に
母との最後の家族写真を
撮りました。
父は
「俺なんかと結婚しない
ほうがお前は幸せに
なれたのかな…」
と力を落としていましたが
「それを言ったらいけない、
もしそうなら俺は
生まれていない、
俺の子供たちも生まれていない」
と俺は言いました。
すると母は小さな声で
「幸せだった」
と言いました。
それが聞けたことは、
俺も幸せに感じました。
でも多少なりとも、
家族らしいというか
あたたかい時間は
そこまでで…
もうそこからは、
やっぱり苦しい夜になりました。
夜中にお腹をさすって
いるときに、
朦朧としながら母は
「起きなきゃ…起きなきゃ」
と言いながらも…
「もう起きたくない、
目を開けると苦しいから
もう起きたくない…」
と繰り返しました…
それを聴いていて、
もう、終わらせてあげなきゃ
いけないと思いました…。
「家にいたい」
というのは確かに
母の希望ではあったけれど、
「家にいさせてあげたい」
という俺のエゴに
なってはいけない。
入院させたらもう、
会えないであろうことは
俺自身、何人もの人の
亡くなる姿を見ていますから
この状態を見れば、
よくわかることです。
入院をさせる。
苦しみをなくしてあげる。
それはお別れを意味しています。
無論、数日は生きるかも
しれませんし、
コロナがあったとしても
危篤状態であれば
面会もさせてくれる
病院です。
それでもおそらくは
入院すればすぐに
モルヒネを投与するしか
手はないだろうし
あとは眠るだけ。
母と話をすることは
もう二度と出来なくなる。
だからここまでの時間は、
もうそこで終わる。
あとは本当に命の終わりを
ただ待つだけ。
であればこそ、
つらくて悲しい選択でした。
だけどその選択を、
俺がしてあげなければ
母をこの地獄のような
苦しみから解放して
あげることは、
できないのです。
家族の誰もが、
もうじゅうぶんやったんだ、
あとは入院させてあげよう。
そう言っていましたし、
俺だってそう思うのに…
もっとやってあげたい、
もっと見てあげたい、
もっと家にいさせてあげたい、
家で死なせてあげたい、
それなのに…何もできない。
もっともっとやれるのに、
何をしたらラクに
させてあげられるのか、
本当はわかっていて…
それが俺にはできない。
翌日、以前入院していた
病院に搬送してもらいました。
主治医の先生はひと目見て
「あぁ、これは…」
と、もうかなり
厳しいことをすぐに
理解してくれました。
「ご家族もよく
ここまで頑張りましたね、
そうとうつらかったでしょう…」
と言ってくださいましたが、
もっと頑張ってあげたい、
なんとかしてあげたかった、
そう思うと悲しさも
こみ上げました。
それでもよく頑張ったのだ、
と先生からも言ってもらえたことは
救われた気もしました。
病室まで付き添わせてくれて
しばらくは見守りました。
そのうえであえて
帰るときには
「帰るよ」
とは告げませんでした。
それが最後のさよならに、
なるかもしれないと
どこかでは思っていたけれど
であればこそ、
母が寂しくないように
声はかけずに帰りました。
夜、急変の知らせを聞いて
駆けつけたときには、
もう息はありませんでした。
家族の誰も間に合わず、
主治医の先生も
一時間前に回診した
ときには薬も効いて
静かに寝ていたとのこと…
ある意味では、
みんなに迷惑をかけない、
そんな形で母は
旅立ったのかもしれません。
まぁ、最後の数日を見れば
やはり「壮絶」という
言葉には当てはまるのですが…
母の過ごした日々は、
苦しい地獄の闘病の毎日だった…!!
と言うと、まったく
違うのです。
少なくとも一ヶ月前まで
ごくごく普通、
癌のことなんて頭には
ないかのように
「コロナにかかりたくない!」
とそっちばかり
気にしている感じで。
普通に家事をし、
普通にみんなと過ごし、
笑い、怒り、
まったく自然な生活を
ずっと送りました。
いや、それはまぁ周りから
見てのことであって、
本人は苦しかった、
隠していたのかも
しれないのですが。
本当のところはわかりません。
でも家族の俺から見たとき
母は病人ではなく、
壮絶な闘病をしている患者でもなく、
毎日、普通の母でした。
おいしいごはんを
作ってくれて、
毎日おかえりと言ってくれる、
孫たちと遊んでくれる、
そんな普通のお母さんでした。
そのことに感謝しています。
まだ、葬儀などもあるので
身辺落ち着かず、
ブログなんか書いている
場合でもないんですが、
せめて今の気持ちは
忘れないうちに
残しておこうと思って、
つらつらと書きました。
母がいなくなっても
俺の人生も家族の人生も
ずっと続きます。
だから母はずっと、
心で生き続けるわけで
その母に恥じないよう、
強くて優しい人間で
ありたいと、
心から思っています。
Twitterでも皆さんから
励ましのいいねや
優しいリプをたくさん
いただきました。
普段、よくやりとりする方、
ゲーム仲間だった方、
はたまた全然、
知らない交流のない方からも…
本当にたくさんの方が
励ましてくださり
うれしく、心強く
感じました。
中にはNGTの件で、
意見が割れている
立場の方もいましたが、
同じ人間として
相手が悲しいときには
そんな対立は抜きにして
尊重して悼んでくださったことに
心より感謝しています。
自分もそうした
皆さんの優しさに対して
何か恩返しをしていければ
幸いと思っています。
状況が落ち着いたら
また以前のように、
皆さんと楽しい話をしたり
意見を交わしたり、
ゲームの記事なんかも
書いていきたいと思います。
また、世界中にたくさん存在する
病気で苦しんでいる方や
看病、介護でつらい思いを
している方々が、
一人でも多く救われる、
そんな未来になるよう
心から願っています。
俺は、俺に出来ることを
これからもひとつずつ
やっていきます。
まだやることがあるので、
あと数日がんばります!
