鬼滅の刃、劇場で起きていたこと | NobunagAのブログ

NobunagAのブログ

家庭菜園、ゲーム、アイドルなど趣味の話題や、子育て、介護関係のことをつらつらと書いています。



通常、映画の最後に流れる
エンドロールに関しては、
最後まで観るという人と、
終わったからと席を立つ人の
2種類いる。

最後まで文字を観るのが
単純にめんどくさい人もいれば…

観たいけど!
礼儀として最後まで
エンドロールも観たいけど!
漏れちゃうッ!!!

という人がいるのも
常あることである。

しかし!!!

鬼滅劇場版に関しては、
なんと最後まで誰一人
席を立たなかった…

ほとんど満席にも関わらず、
俺の見回す限りは一人として
席を立たずに最後まで
座り続けていた。

鬼滅は音楽も素晴らしい。

エンディングで流れる
「炎」
歌詞も彼らのことを歌った
素敵な内容でみんな、
聴き入っていた。

うちの奥さんも、
最後の歌までよかったと
感動していた。

そしてその素晴らしい音楽に
酔いしれていたくて、
最後の一秒まで観ているのも
すごいことなのだが、
もっと驚いたのは
エンドロールも終わって
上映が終了し館内が
明るくなってもなお、
ほとんどの人が
余韻に浸るようになかなか
立ち上がることすら
なかったことだ。

誰もがあの煉獄さんの姿に、
彼の炎の強さにあてられたように
ある人は涙を拭い、
ある人は大きくため息をつき、
なかなか立ち上がれなかった。

俺もそうである。

子供たちも。

隣にいた知らない少年も。

もっと横にいたおばちゃんも、
女子高生たちも、みんな。

しばらく沈黙の時間が
流れたあとようやく、
少しずつみんなが
席を立ち始めた。

これが映画のすごさなんだと
久しぶりに感じた。

最後の瞬間、
エンドロールの
最後の一秒まで感動を届け、
その感動が上映が終わってなお、
心に残り続ける。

考えてみたらこの映画は、
物語の途中を切り取っていて、
ここが始まりでもなく
終わりでもない。

原作やテレビの総集編的な
紹介を流すこともなく、
唐突にストーリーの
途中から始まって、
良いところで終わる。

映画だけを観にきた人は
訳がわからないかもしれないし、
そもそも原作やテレビを
観ている前提で作られた
作品であるから、
その時点で人を選び、
映画作品としては
本当は不利な作りだろう。

実際、上映前の列の中で

「私、テレビで観たことが
ないんだよね、
この映画で初めて鬼滅を観る」

と会話してる人すらいた。

それがここまでヒットしている。

そしてそんな人までも
感動の余韻に引きずり込む
内容になっている。

本当にすごいことだと思う。