命について思う… | NobunagAのブログ

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家庭菜園、ゲーム、アイドルなど趣味の話題や、子育て、介護関係のことをつらつらと書いています。

女優の竹内結子さんが
40歳という若さで亡くなった。

自ら命を断ったと
見られているとのこと。

人それぞれに好きな女優は
いると思うのだが、
少なくとも竹内結子さんを
嫌いだという人は
非常に少なかったと思う。

いわゆる誰からも愛される、
素敵な女優さんであった。

再婚されたばかりで
小さなお子さんもいる彼女が
自ら死を選ぶというのは、
彼女にしかわからない
苦しみが存在していたのだろう。

先日の三浦春馬さんをはじめ、
ここ最近、芸能界での
若い方の訃報も増えていて
つらい気持ちになる。

傍から見ているとき、
その人がどんなに成功して
どんなに幸せに見えても
その人が本当に幸福かどうかは
本人にしかわからないものだ。

以前も少し書いたけれど、
俺の弟も何度か自ら死を
選びそうになったことがある。

いま、生きてくれているから
こうして話題にもできるが、
誰かの生と死とは実は
紙一重でしかない。

弟の場合にはうつ病や
双極性障害、身体の難病もあり
彼にしかわからない苦しみを
抱えていたと思う。

あの頃たくさん、
話をしたけれど
俺が彼の苦しみのすべてを
わかってあげられたとは
到底言えない。

おそらくは一生、
全部はわからないだろう。

たとえ家族であっても
誰かの苦しみを完全に
理解してあげることは
他人には出来ないんだ。

生きることは、
同時に苦しみを抱えて
生きることを意味する。

うちの母親もそうだろう。

癌になって3年。

抗がん剤も続けているわりに
至って普通に生活していて、
パッと見は元気な人にしか
まったく見えないから
近所の人でもほとんどの人は
母が病気であることすら
気づかないんじゃないか、
というくらいだ。

でも1年後のことはわからない。

一見、元気で明るく過ごしていても
母の本音はどうなのか、
どんな苦しみを抱えているのか
俺にはわからないんだ。

他人というのは無力であり、
であるにも関わらず
生きていてほしいと、
望んでしまう。

なぜなら生きている限りは
その人の持つ可能性は
無限に広がっているから。

人は必ず亡くなるものでもある。

仕事柄、たくさんの人の
死を見てきた。

老衰、病気、あるいは事故でも
人間が死ぬ確率は100%で、
必ずどんな人にでも
そのときは訪れる。

それがいつくるのかは
誰にもわからない。

こんなことを書いていたって、
明日俺が生きているかは
誰も知らない。

つい2ヶ月前に山道で
壮大に転んでいまだに
膝が痛いのだけれど、
あれも崖下に落ちていたら
膝が痛いどころか、
子供の目の前で死ぬところで
あった。

人の人生というのは、
そういうものだ。

であるからこそ、
せめて自らの手で
命を断つことだけは
しないでほしい。

いつくるかわからない
最期の瞬間までは、
生きてほしいと願う。

生きてくれていること、
ただそれだけでうれしいと
思ってくれる人が
誰にでもいるはず。

親、恋人、配偶者、子供、友人。

生きていることで
開ける可能性はきっとある。

たとえそれが今わからなくても
それを探す日々が、
生きる意味のひとつだと思う。