していたんですが、
自分はひたすら外観の清掃…
ホースの水圧で壁の汚れを
吹き飛ばしたりしてました。
わりと暖かい日差しでしたが、
跳ね返った水で
びしょ濡れになるのが
なかなかきつかったです。
そんなことをしながら、
ふとなんとなく
今年も何人か亡くなった方の
ことなどを思い出しました。
これまでにもう、
たくさんの方を看取って
いますので、
過剰に悲しんだりすることも
あまりないのですが、
それでも毎回、
貴重な体験をさせて
もらっているなぁと
命に感謝しています。
人の亡くなり方は
本当に様々で、
どうしても未練を残して
亡くなる方もいますし、
あまりにも家族と
ケンカしすぎていて
身内の方も来てくれないような
寂しい最期もあります。
でもそのほとんどのときに、
自分だけは隣にいさせて
もらっていること。
これは本当に貴重なことでは
あるのです。
目の前で人が亡くなることなんて、
普通は人生でも数える程度にしか
ないわけですが、
僕はそれを一年に
何度も何度も経験します。
だからこそそこで得た、
亡くなっていく方の思いを
誰かにつなぐためにも、
次の方に活かしていくことは
課せられた責務かなと
思っています。
来月は他の施設が
看取りを始めるので、
話し合いの席に出てほしいと
言われているので
行かせていただく予定ですが、
何か伝えられたらいいなと
思います。
看取りについては、
何かすごいことであるとか
過度に素晴らしいことであると
持ち上げる人もいますが、
決してそういう
美しいだけのものではないです。
人の死を受け止めるだけの
心のゆとりがなければ、
負担にもなりえます。
できる人がやるべきだし、
できない人は無理は
しないほうがいいなぁと。
でもそれを言ってしまうと、
やりたくないって人が
増えてしまうでしょうから、
伝え方が難しいですね…
ある意味では単純に
人を助けることのほうが
気が楽だし報われる行動で、
助けられないことを
受け入れて見守ることが
求められるので…
こればかりは何年やっても
明確な答えなどは
ないのかもしれません。
今年亡くなった方々は、
どうだったのだろうか。
その人が望む最期を
迎えられたのだろうか?
その手伝いは本当に
出来ていたのか?
そんなことをふと
思った今日でした…