
明日はクリスマス。
今日はクリスマスイブです。
クリスマスといえば
何の日?って問われると
恋人と過ごす日であるとか
家族で楽しむ日というのが
我々日本人の一般的な
感覚です。
キリスト教においては
イエス・キリストの
降誕祭を意味しています。
正確には誕生日、
ということでは
ないみたいですが…
ちなみに俺は普段は
お仏壇に手を合わせ、
神社にお参りをする
生粋のジャパニーズ
多神教徒ではありますが。
でもちょっとした関係で
キリスト教の
牧師さんの話を聴く
こともありますし
家に聖書もあります。
もちろん宗教家ではないので
くわしいことはわからないし、
偉そうなことも書けませんが、
やはりクリスマスというと
イエス様が生まれたことを
お祝いする日であると
いう認識も、
心の中にはあるのです。
イエス様という人を
かいつまんで紹介するのも
失礼だとは思うのですが、
誰にでもわかりやすく言うと
神様を信じるようにと
多くの人に教えを伝え、
弱い人、罪を犯した人にも
手を差し伸べながら
最後は自身があらぬ罪に問われ、
十字架にかけられて
人々の代わりに罪を
背負うようにして
亡くなりました。
しかしその後、
イエス様の弟子であったり
多くの人達が、
彼の教えを伝えていくように
なったことにより、
今のキリスト教が
生まれていきました。
宗教者としての
イエス様が神の子であるとか、
様々な奇跡を起こした、
という点については
現代科学という意味では
捉え方も色々だと思います。
ただ、少なくとも当時の
人達にとって、
イエス様という方が
人々の心の拠り所となり、
しかしそれによって
恨みや妬みの対象にもなり
そんな人々の罪を背負う形で
命を落とされたことに、
多くの人間が悔い改め、
イエス様の功績を伝えようと
してきたこと。
それが2000年続いていて、
実際にその信仰によって
救われている人が
たくさんいるというのは
紛れもない事実です。
ですからイエス様の優しさが
多くの人に毎日の安らぎを
もたらしていることは
ただそれひとつをとっても、
2000年を経てもなお
讃えられるべき
素晴らしい方であったことの
証明であるとも思います。
宗教はときに争いも
呼んでしまいますし、
であればこそ俺自身は
過剰に特定の宗教に
依存することもないのですが、
やはり一人の人間として
見たときに、
自分には出来ないことをし、
たくさんの方を救っている
イエス様という方は
素敵な人だったのだろうと
素直に思います。
2000年という時を経ても、
人は弱いままです。
生きていれば必ずどこかで
罪を犯したり、
他者を妬んだりして
しまいます。
俺自身、自分を顧みて
素直な人間だとか
優しい人間だなんて
胸は張れません。
本当は自己中心的で弱く、
他者のことをうらやましいと
思ってしまったり、
誰かのことを疎ましいと
感じてしまったりする
弱い人間です。
仕事柄、他者の命を
救うような場面はありますし、
人の助けになることも
しているとは思いますが、
それも一表面なだけで
本当の自分は弱くてずる賢い、
小さい存在なのです。
それを見せたくないから
一生懸命に取り繕い、
なるべく正しくありたいと
自分を律しているだけです。
そしてきっと、
多くの人はそうだし
それが人間なのです。
だから正しく生きられる人、
人に寄り添うことが
できる人のことは
心から素晴らしいと思います。
2000年前にイエス様が
おられたということは、
きっと多くの人に
希望をもたらしたのでは
ないでしょうか。
クリスマスだからこそ、
心の片隅でいいから
自分以外の人のことを
考えようと思います。
いま、自分は幸せではあるけど
世界中にはたくさん、
つらい思いをしている人々が
暮らしています。
自分が10幸せならば、
そのうちの1か2は
減ってもいいから、
他者にも幸せが訪れますように。
今日くらいは、
そう思ってもいいかなと
感じます。
繰り返しますが、
単なる普通の人間の
たわごとですので、
キリスト教徒でもないので
解釈に間違いがあったら
ご容赦くださいませ…
まきびとひつじを 見守るその夜、
はじめて天使は ノエルを伝えた
ノエル、ノエル、ノエル、ノエル、
主イエスは生まれた。