無題 | NobunagAのブログ

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家庭菜園、ゲーム、アイドルなど趣味の話題や、子育て、介護関係のことをつらつらと書いています。

■無題■

最近、ネット、テレビで

「一人で死ぬべきという
表現が正しいか
正しくないか」

という議論が
繰り返されている。

自分なりに色々と
思うこともあり、
触れないほうがいい
話題かなぁと思った。

でも落語家の志らくさんが
父親として子供が
犠牲になることが
許せないという思いで
発信しているのは
よくわかったので

「自分も同じことは
感じたし、
親としての情の部分では
志らくさんの言うことも
間違ってはいない」

という意味で志らくさんあてに
つぶやいたのだが。

それを読んだうつ病の方が

「こんなことを言う親はひどい。
自分は親だと思えない」

みたいな感じで、
わざわざコメントつけて
リツイートしてきたので
なんだか嫌になって
ツイートを消した…。

リツイートしてほしくて
書いたようなことじゃ
ないしね。

楽しい話題や誰かを
褒めたものについては
どんどんリツイートして
ほしいけれど、
そうじゃないのは
やめてもらいたい。

この記事もだけど。

フォロワーさんだけ
読んでくれれば
それでいいし、
そのうち消すかもね。


結局のところ、
Twitterなんかとくに
表現力が限られているから
ツイートの100文字で
伝えられることなんて
あまりにも少ない。

その100文字だけで
判断をされるなら、
苦しんだ経験もないくせに
苦しんでいる人を
批判しているだけの人と
とられるだけなのだろう。



実は俺の知人が
息子さんを殺されています。

その息子さんのことは
俺も知っていたのだが、
なぜ事件に巻き込まれなければ
いけなかったのか、
こんな理不尽なことが
あるのかととても
悲しかった。

かわいそうで、
涙が出ました。

そのお父さんはいまでも
本当に苦しんでいますし、
犯人のことを許せる
わけがありません。

遺族の感情として
当然のことです。

人を傷つけるというのは
そういうことなのです。




でも、事件というものが
何かの掛け違いで起こる、
事件を起こすほうも
苦しんでいるというのも
よく知ってる。



弟がうつ病がひどかったころ、
突然、包丁を買ってきた
ことがあった。

真意はわからない。

自分で命を絶とうとしたのか。

それとも他者を
傷つけようと思ったのか。

病気だったので、
理由なんか聞いても
よくわからないんだよね…

そのときには確か

「何があっても
他人を傷つけては
いけない」

ということは話はした。

最低限ね。

もちろん本人が、
死んでいいという
ことではないよ。




本当につらかったよね。

うつ病の人は本人が
一番苦しいというのは
よくわかってるんだけど
家族だって本当につらいんです。

いつ自殺してしまうか
わからない。

あるいはこないだの
犯人のように、
いつ人を傷つけるかも
わからない。

どっちも嫌なんです。

どっちもしてほしくない。

なぜならどちらも
悲しいからだ。

絶望的に悲しい。

このときの家族の
苦しさがわかるでしょうか。

いつも怯えてました。

こういう経験があるからか、
俺のところには
うつ病の知人が頼ってくれて
電話してきたりするけど
どうしてもあの頃の
苦しさがフラッシュバックして
今も俺の方が具合悪くなります…



うちの弟はさいわい、
今ではかなり良くなり
普通に仕事もしているし
もうそういう心配は
あまりなくなっている。

でもそうなるためには
家族のサポートは
すごく必要だったし、
あくまで自分としてはだが
できることは、
やってきたとも思ってる。





そもそも自分のしている
仕事自体が、
他者を助ける仕事です。

単純に認知症のお年寄りを
お世話しているだけじゃなく、
孤独で追い詰められて
そうなった人って大勢いる。

近所から助けてもらえず
万引きしてしまった人もいる。

過去に犯罪を犯した人もいる。

自分はそういう人達にも
できるだけ手を差し伸べてます。

だから犯罪を犯して
しまいそうな人を放置して
死ぬなら勝手に死ね、
などというふうに
突き放しているのでは
ないのです。

でも自分がそういう
仕事をしているからといって、
犯人にも事情があるから
仕方ないんだとか
犯罪が起きていいとか
とくに子供たちが
巻き込まれていいなんて
思えないんだよ。

そこまでいくと、
極論になるでしょ?

犯人が社会的に
弱者なのはわかるし、
だから犯罪を犯すのもわかる。

人が犯罪を犯すのなんて
紙一重なのは経験上、
よくわかっています。

福祉に携わる人は
優しくてどんな人にも
手を差し伸べたがるし
すごいと思います。

実際に自分もそういう
仕事をしていて、
考え方としてそれも
決して間違ってないと
思っているけれど。

それでも何の罪もない
子供が犠牲になるのを
見たときに、
福祉の専門家として

「犯人にも事情がある」

と声をあげるよりも、

「どんな事情があっても
子供だけは傷つけないで
ほしい」

と感じる自分のことを
ひどい父親とは思わない。

この感情というのは、
父親にならないと
わからないよ。

俺だって親になるまで、
わからなかったからね。

何もしないで、
しゃべっているのでなく
そこに何らか携わって
いるからこそ、
実際に誰かのことを
救ってきたからこそ
そこで得た経験として、
父親としては
それでも子供たちは
守られなくてはいけないと
いう意味で言っただけです。



ネットというのは
とても難しくて、
その人に対して
言ったわけじゃないのに

「自分のことを言っている」

と勘違いしてしまって
傷つく人が生まれます。

これは本当に難しいなと
いつも思います。





本来の俺の考えからすれば
誰も傷つかないのが
一番いいです。

そのために福祉の仕事を
しているのだからね。

犯人だってもしかしたら
どこかで立ち直れる
チャンスがあったのかも
しれないし、
でもそれに気づくことが
できなかったり、
周りの助けがなかったり
追い詰められてしまう
理由というのがあったと思う。

可能な限りそういうことが
ないようにしていきたいし、
だからそんな仕事をしている。

誰もが救われる世の中で
あってほしいです。

でもそれは理想論というか、
福祉の仕事をしている人間が
全ての人間を救えると
思うこと自体が傲慢で、
助けられない人も
きっといます。

社会というのは、
そんなに成熟してないんだ。

そんなのは、
例えば俺がいくら
自分の周りを救っても
全員救えてないの見たらわかる。

自分の見えている範囲しか
助けられないのです。

悲しいけれどそれも
現実の話です。



でもね、殺される子供たちは
本当に何の罪もないんだよ。

むしろ子供たちこそが
そういう社会を
変えていくための
未来を変えるための
社会の宝なのです。

だからこそ、
どんなにつらくても
子供たちだけは
巻き添えにしたり、
傷つけたりしないで
ほしいのです。

自分はどうしても
どちらかを選ばないと
いけないのであれば
子供を守りたいと
思います。

これってべつに
正しいとか、
間違ってるとか
そんな問題じゃないと
思うんだよね。

誰かに批判される
ことでもない。

大人である以上は
子供は守る。

どんな理由があっても
子供だけは傷つけない。

それを前提にしたうえで、
それでも誰かが傷つかない、
誰もが救われる
世の中がくるなら
それこそが一番いいと
俺だって思ってます。