ケアマネの信頼が大事な理由 | NobunagAのブログ

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■ケアマネの信頼が大事な理由■

昨日の続きにもなりますが
大変な方をお世話するのが
不満であるということでは
ないのです。

僕が一番残念に思うのは、
こういうことの繰り返しが
利用者さんのために
なっていないということ。

嘘をついてでも、
なんとか入居させようとする
ケアマネさんというのは
支援のゴールを

「施設に入れること」

に置いていると思います。

しかしそれは支援される
本人にとっては、

「入れた瞬間に
手を離される」

ということなんです。

でも実際には施設に
入ったらその方の人生は
ゴールなんでしょうか?

新しい始まりですよ。

そして最終的には
誰もが死に行き着くのですから
それだって真面目に
考えておかないといけない。

「どうやって生き、
どうやって死ぬかはしらない。
ただ施設に入ってくれれば
アタシの手は離れる、
家族も助かる」

こういう姿勢で
支援されることが
本人にとっていかに
不幸なことか。

「施設に入れること」

というゴールは、
介護プラン上でも
あり得ないことのはず。




もちろん入れるために
施設があるわけだし、
誰も来なくなったら
施設もつぶれますから
結果的に施設に入れるのはいい。

でも、であるからこそ
居宅のケアマネさんと
施設のケアマネとは
信頼感で結ばれて
いるべきだと思いませんか?

道具を扱っているんじゃ
ないんですよ。

相手は人間なのです。

人間を支援しているからこそ、
その方を託すのならば
信頼できるケアマネに
預けたい、
僕も信頼できる方から
預かりたい。

そういうことです。

「この方にとっては
施設に入居することが
一番幸せになる方法である。
また施設で暮らすことに
抵抗もないし、
まわりの方にも馴染んで
おだやかに暮らせる。
そういう生活を送りながら
最終的にはそちらで
お看取りもお願いしたい」

ちゃんとそういうニーズを
しっかり汲み取れていて、
そのうえで相談を
持ってきているなら
ぜひ受けてあげたいと
思います。

前の記事にも書きましたが、
それでも家族がなりふり
構わずになんとか入居を!
と訴えるのは、
仕方ないんです。

家族ですからね。

介護のプロではない。

僕が言ってるのは、
ケアマネのことです。

ケアマネはプロなのですから
ちゃんと自分なりに
本人がいかに生きて
いかに亡くなっていくか
一生懸命に考えて
支援をおこない、
分析をおこない、
その行き着いた先が
施設入居であるなら
それでいいと思います。

「本人が無理やり
入居させられて
不本意だろうが
それはしらない。
アタシも家族も手を離れて
ラクになればいい」

では支援のプロとは
言えないと思います。



多数の居宅ケアマネと
関わっていますから、
わかるんですが…

結局のところは
利用者さんの病気
そのものよりも、
誰が支援してきて
どこまでやってくれたのか。

それによって大きな差が
出ていることを
日々痛感します。

とても大変な方であっても
しっかりしたケアマネが
支援してきていれば、
そんな状況も長くは
続いていないし、
結果的には利用者さんも
救われています。



これは居宅に限らず
施設でもそうでしょう。

僕も人のことは
言えないとは思うけど
ダメな施設はダメ、
良い施設は良い。

これはその施設の
ケアマネの能力に
差があるからです。

能力というのは
何も分析力があるとか
介護プラン作りが
上手だとかそういう
ことだけではないです。

そのケアマネがちゃんと
スタッフから信頼されて
スタッフのほうが、
ケアマネの言うことを
聞いてくれているか。

それによって
全然違います。

だから僕自身も
スタッフとの話し合いは
何時間でも時間は
割いているのです。



ケアマネが周りの人から
信頼される人であるなら
助けられる利用者は
増えていくはずだし、
そうでなければ
他のケアマネの負担が
極端に増えるのです。

そう考えると本当に
ケアマネ個々のスキルアップは
必要なもので…

だから資格の更新制度なんて
つまらない仕組みを
作られてしまうのですが…


しかしホント更新する
気力が…わかない…。