武士を描くということ | NobunagAのブログ

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■武士を描くということ■

大河ドラマ西郷どんを
観ていてあまりにも
その時代の空気、
価値観を無視した作りに
呆れさせられてきました。

非常に残念だった点の
ひとつして挙げられるのが
西郷の妻、糸が
西郷との別れの場面で

「旦那様が西郷隆盛で
なければ良かった」

などと言ったことです。

これは本当にひどい。

もちろんそれだけ悲しい、
ということの愛情表現なんですが
糸さんは現代人なのでしょうか。

この場面、
武士の妻としては

「西郷隆盛の妻で幸せでした」

と言わせるべきですよね。





あなたが西郷隆盛じゃ
なかったならば、
私の側で生きてくれる人なら
どんなに良かったか…

もちろんそれが本心でしょう。



でも武士の妻なんです。



夫が心置きなく、
最後の戦いに臨めるように
悲しくて寂しい気持ちは
ひた隠しにして、
本心とは別の言葉を
言うのが武家の女性というもの。

本心にある悲しみなんかは
言葉にさせるのでなく
女優さんの表情と涙で
表現すればいい。

夫だってバカではないから、
本心を押し殺してでも
自分の背を押してくれる妻に対して

「すまん…」

と抱き寄せる、
これが武士のラブシーンかと…



真田丸は良かったなぁ…

「源次郎さまのいない
世にいてもつまらないから」

とつぶやくきりちゃんを
思わず抱き締めて
キスする信繁。

キスされながらも

「せめて10年前に…
あの頃が私、
一番綺麗だったんですから」

とモゴモゴ言ってるきり。

出会って30年、
やっと結ばれる二人…

コミカルなんだけど、
観ている側が
ものすごく切ないのが
この翌日、永遠の別れが
二人を待っていることを
視聴者は知ってるんですよね。

きりちゃんという
キャラ自体が、
なぜか現代っ子が
戦国時代にワープ
してきたような
おかしな存在で。

ドラマ開始当初は
ものすごい批判に
晒されたんですが…

それなのに不思議と
視聴者の多くが彼女に
魅了されて、
もはや中高年になり
やっと結ばれたシーンに
涙したわけです。

その悲しい結末も
わかっていながらこそ。

どうせ創作をするなら
これくらい弾けてるなら
いくらでも受け入れるのに。



まぁ、西郷どんの
文句を言い始めると
まさにきりがないのですが。

なぜ戦争をしたのか、
なぜ勝てると踏んだのか、
何にも伝わってはこない。



みんなに乗せられて
決起してみました。

敵は近代兵器がすごくて
まったく歯が立ちませんでした。

ハツラツと戦いましたが
ボコボコにされました。

西郷どんいい人!

大久保って悪い奴だよね~!

以上。



アホかと!!!


誰もが最初から死ぬために
戦争なんかしないですよ。

どこかに勝てると思う
部分があるからこそ、
武器を手に取る。

当然、西郷だってそうです。

少なくとも視聴者には

「あれ?もしかしたら
これ西郷が勝つんじゃない?」

って思わせてほしい。

史実は負けるって
わかっていてもです。



真田丸観ているときには
最終回のギリギリになっても
幸村勝ちそうじゃない?
って期待感があった。

そこに至るまでのプロセスで、
幸村の強さ、すごさが
伝わってきていたから。

もちろん結局は
史実通りになるんだけど
だから切ないんですよ。

どんなに頑張っても
どんなにいい奴でも、
どんなにすごい軍略を持っても
勝てないものは勝てない。

一見悪役であって、
そして憎かったはずの
家康がどうして強いのか、
それは幸村が持つ正義と
同等以上の強い思いで、
戦国の世を終わらせる
気概を持っていたからなんです。



武士を描くというのは、
そういうことだと思う。