西郷どんの最終回 | NobunagAのブログ

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■西郷どんの最終回■

色々唖然とした。

もっともひどかったのは

「降伏すれば西郷の命は
助ける」

などという手紙を、
大久保が書いたことに
されている点。

なんでだよ…!

大久保は西郷追討を
命じた時点で、
もう戻れない、
命を奪うしかない、
それをわかっていたからこそ
苦しんできたんじゃないのか?

史実では大久保じゃなく、
山県有朋が

「このままでは西郷軍も
政府軍も多くの死者を
出すだけなので、
西郷さんが自刃することで
いくさを収めて
もらえないか…」

と断腸の思いで、
手紙を書いたんです。

命を助けるよ、
ではないんだよ。

せめてあなただけが
死んでくれと。

山県有朋は西郷に
大きな恩もあったし、
心から尊敬していた。

もちろん殺したいなんて、
本当は思っていないけれど
それでもこの事態を
収めるためには、
若者たちを犠牲にするより
せめて西郷の命ひとつで
解決してくれないかと
涙ながらに書いたのです。

でも西郷はそれを
受け入れることなく、
結局は殲滅戦になって
さんざん戦ったあと、
やっと切腹して
果てるのです。

最期は切腹ですよ!!!

なんでドラマでは、
撃たれて致命傷を負ったのに
切腹させてあげなかったの!?


彼らは武士なんですよ。

山県有朋の手紙を
無視してでも
最後の戦いに持ち込んだことも
好意的に解釈するならば
自分一人の命で解決する、
それでは甘すぎると
西郷は考えたのかもしれない。

多くの武士を道連れに、
自分が果てることによって
大久保が目指した

「サムライがいない
平和な世の中」

を西郷が完成させると。

この二人の間に、
友情というのか道を違えても
心は通じあってる、
という美しさがあるとすれば
その一点なのです。

そして、であるからこそ
西郷の最期というのは
ただ撃たれて
のたれ死ぬのでなく
最後の武士として、
見事な切腹でないとならない。

少なくとも西郷と大久保の
友情をドラマの主軸と
するのであれば、
この解釈こそが
普通でしょうね。




なんかこの脚本家…

「切腹なんて野蛮だよね~、
痛いよね~、
怖いよね~…!」

くらいにしか理解して
ないだろw

違うんだよ。

切腹というのは、
自分は世間に
恥じることはない、
腹の中は綺麗なんだと
自死を持って表現する
武士としての栄誉なんです。

これが現代の感覚からすれば
野蛮なことであっても、
それは神の視点の話。

ドラマの中を生きている
登場人物たちは、
切腹野蛮、怖い、
なんて思ってないはずでしょ。

天下の薩摩隼人だぞ?



強いていえば、
大久保こそがそういう
命のやりとりをする
時代というものを
もう西郷で終わりにしてほしいと
強く願っていたわけです。

そして西郷は、
大久保の親友でありながら
多くの武士に担がれた
責任として、
彼らの魂のためにも、
そして大久保の理想を
自分の死によって
実現に近づかせるためにも
ラストサムライとして
切腹をするんです。




「友達同士なんだから
本当は殺したくないよね~
助けてあげたいはずだよ~」

もまぁ間違ってはいない。

いくら大久保だって
本心なんかは
そういう感じだったろう。

誰だって幼なじみを
むざむざ殺したくないわ。

でもそれが出来ないから
苦しいんですよ。

「君だけは助けてあげるよ」

なんて手紙を書くような
そんなバカな発想、
あるわけない。

たとえ創作ドラマだとしても、
この表現はない!!



史実資料が少なくて
創作メインになった大河で
しかも西郷どんと同じく
女性脚本家が描いた

「直虎」

はすごかったぞ。

大事な幼なじみで、
しかも自分のことを
ずっと愛してくれた
小野政次。

彼が謀叛人を演じることで
井伊家を救おうとしてる
ことを知った直虎は…

自ら槍を取って
政次の胸を突き刺すんですよ。

野蛮で残虐だけど、
武士なんです…

大切な人だからこそ、
たとえ結果的に命を奪うことに
なったとしてと、
それが悲しくて嫌なことでも
相手のことが本当に
大事だからそうするんです。

相手の決意と行動を
無駄にしないために。



今回の大久保にも
西郷にもそういう魅力が
全然なかった。

役者のせいじゃなくて
脚本がひどすぎる。



なんかもう本当に

「男ってこうだよね~」

みたいな現代風解釈ばかりで
当時の武士とは、
ということにまったく
踏み込んでいない。

そもそも幕末の時代背景とか
全然わかってないでしょ。

西郷だけいい人、
敵対する人はバカで悪い人。

それぞれの藩に、
その数だけの正義があって
それがぶつかっていた、
ということがまったく
理解できてない。

女性脚本家特有の
ダメさ加減が、
一年中発揮された
ダメ大河であった…


「いくさは嫌でござりまする!」

「命こそが大事なのです!」

系の女性脚本家からの
現代目線大河には
辟易していたのが、
直虎によって見直したのに
また元に戻ったか…




真田丸、直虎が
大河史上でも類を見ない
傑作だっただけに
今年は極端に落ちました…