■命と尊厳■
ひとつ前の記事に、
救命についての話題を
書きました。
あれはある意味で、
介護の仕事の光の部分と
いいますか、
僕らが胸を張れるような
内容になっています。
しかし常々思うことは、
そのケースによっては
生命を助けることが
人を救っているわけではないと
いう厳しい現実があり、
それとも向き合う必要が
僕らにはあるということです。
倒れた方ががいて、
とっさに処置したことで
その人を救うことができた。
素晴らしいですよね、
それは普通ならだれもが
そう思いますし、
感謝もしてくれます。
ですがそういう場面を見て
「職員さんは大変ですね、
もし私がそうなったら
私を助けないでください」
とおっしゃる方もいるんです。
それはつまり
「見殺しにしてほしい」
ということです。
僕らの施設の場合には
看取りもしていますので、
見殺しという意味ではなく
老衰などで手をほどこしてももう
回復の見込みがない人には
死に至る経過を見守る、
ということはありえます。
その場合、当然ですが
医師の判断も、
家族のご理解もあったうえで
人間がたどる自然な経過を
見守るというだけなので
決しておかしな話では
ありません。
しかしながら、
低血圧や脳虚血発作で
倒れた場合なんて
処置さえ早ければ
助けられるのだから
気づかなかった場合はともかく
気づいているなら、
助けるのは当たり前です。
でもそれをしないでほしいと
いう人もいるのです。
その方は
「本当は自殺もしたいけれど
怖いし身体も動けないので
できません。
だけど無理に長生きなんて
したくないです。
だからあなたの目の前で
わたしが倒れたら
絶対助けないでください」
と言います。
理由は
「生きていても苦しみが
長く続いているし
みんなに迷惑かけてまで
生きたくない」
だそうです。
「職員さんや他の利用者さんは
みんな優しいです。
ここにいるのが嫌で
死にたいわけじゃないです。
でも90年も生きてもう
じゅうぶんなんです」
しかしそうかといって
簡単に見殺しなんて
できないわけです。
尊厳死というのも
最近は話題にはなっていますが
現実問題として、
こうした90歳でしかも、
認知症がある方の発言だけで
簡単に決められないです。
「せめて息子さんたちに
そういう相談をしませんか?」
と聞いても、
それはダメなんです。
「ただでさえ息子たちには
普段から心配かけて
お金も使わせているのに
私が死にたいと思ってるなんて
言えません。
お母さんが死にたいと
思ってるなんて、
息子がかわいそうです。
言わないでください。
あなただから言ってるんです」
いくつになっても、
お母さんなんですよね。
本当に難しいです。
「もし見殺しにしても
絶対恨みません、
それどころか感謝します、
化けてでません」
とまで言います…。
実はこの方、
脳梗塞をしたときに
一度助かってるんです。
でもその結果として、
後遺症を患って
身体はうまく動かず、
90歳も近くなると
認知症も出てきてしまって
います。
昔はお洒落で凛として
毎日化粧も欠かさない
ご婦人といった雰囲気でした。
今は僕の目から見ても
ずいぶん老いたなと思うし、
でもそのことを一番に
実感しているのは
何より本人なんです。
しかも昔からちょっとした
痛みにも非常に弱い方でした。
今のように身体が動かせず、
ただ椅子に座っているだけでも
身体が痛くなったり、
つらくなるのは本当に
苦しいと思います。
それは知っているので
我々も痛みを軽減する工夫は
しているのですが、
そもそもそういうこと自体が
本人の言う
「人に迷惑をかけて…」
という状況ということです。
もちろんそんなふうに
思わなくて大丈夫だよと、
いつも伝えるんですが…
こればかりは本人の
性格として、
そう感じるなというのが
無理なんでしょうね。
プライドも高い方でしたから
人の世話になるということが、
やっぱりそれだけでも
苦になっているんでしょう。
人間というのは本当に
さまざまです。
いくつになっても
健康が大好き、
自分が大切!
絶対に長生きしたい、
自分が倒れたら必ず
助けてください、
という人もいます。
死のことなんて一切
考えないし、
なるようになる、
くらいのもんです。
それはそれでちょっと
困るんですが…。
いっぽうで
「死にたい」
とまでいかなくても
「無理してまで
生きたくない」
あるいは
「迷惑になってまでは
生きたくない」
という人は、
少なからずいるのです。
これは老人の血迷い事か?
違いますよね。
人生観は人それぞれに存在して
死に方というのは、
最後に残された重大な
選択肢のはずです。
でも実際にこの人が倒れたとき
自分は見殺しにできるでしょうか?
ましてやちょっとでも
手を差し伸べたら命は
助けられる状態において、
それをしないのは
自殺ほう助にもなりえます。
いくら本人が助けるなと
言っていたとはいえ、
直接本人からそれを
家族には言えないのです。
認知症もあります。
どこまでの話を
家族が信用するでしょう?
そういう状況であれば、
結局は助けるように
動くと思います。
命は助けますが、
本人の尊厳は大きく
損なわれることに
なってしまうでしょう。
介護が難しいと思うのは
その場面にっよっては
世間一般で考える良識と
ズレが生じるという部分です。
普通ならどんな状況でも
まず人を救ったなら、
称賛されるべきなんですが、
それを望んでない人がいる。
そしてそのことを
おかしいのだ、
そんな奴は間違ってるんだ、
と決めつけられないだけの
その人それぞれの事情が
存在していることです。
病院に来る人は
「病気を治してほしい」
「助けてほしい」
から来るのですから
まずは命を救うことが
先決だと思います。
介護施設に来る人は
「介護をしてほしい」
「助けてほしい」
から来ているかと言ったら、
実はそうじゃないという人が
非常に多くいます。
ぶっちゃけてしまえば
「家族の都合で来た」
ということが大半です。
本人が望んでない、
というところから始まり、
そのまま終わっていくという
ことは珍しくないです。
うちのように認知症の人しか
いない施設になってくると
ますます本人の尊厳が
どこまで重視されるのか、
していいのか、
ということが問題になります。
職業倫理は別として、
あくまでも僕個人の見解ならば
生きたい人には生きる支援が
必要だとは思いますが、
死に方を選べてもいいと思います。
でも現状では助けてほしくない人でも
見殺しにして助けなければ、
下手すれば僕らのほうが
罪に問われちゃいますからね。
これはもう病院も含めてですが、
尊厳死についての議論が
もっと深まることに
期待するしかないです。
それと同時に若いころから
しておいてほしいのは
「どう死にたいのか」
ちゃんと家族には
意向を伝えておいてほしいのです。
そんなことは年取ったら考える、
いざそのときに考える、
というのがまぁ普通ですけど、
であるからこそ、
結局はこういう問題を生んでます。
つまり90歳になってから、
認知症になってから
それを言っても、
まともに聞いてもらえなくなる。
信じてもらえなくなるのです。
本当はそれも変えねば
いけませんが…。