神様を信じることの意味 | NobunagAのブログ

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■神様を信じることの意味■

ちょっと難しい話になって
しまうかもしれないし、
この手の話が苦手な人は
スルーしちゃってください。

俺はときどき

「神様はいない」

なんて乱暴なことを
書いてしまうんだけど、
当然それを読んだときに、
信仰を持っている人からすれば
傷ついたり、
なんて愚かな奴だと
思われてしまうかもしれない。

それは素直にごめんなさい。

文章というのは難しいもので、
ちょこっと書いちゃうだけでは
真意というのは伝わりづらいもんだよね。


少し自分の本音や
経験談を書いてみよう。

まず俺の親せきには
ある新興宗教を信仰している人がいる。

その人はとてもまっすぐで、
曲がったことがキライ。

同じように正義を愛し
侵略戦争を行わなかった
武将・上杉謙信を敬愛してる
母方のじいちゃんだ。

ただちょっと困ったことに
じいちゃんが信仰する宗教では
薬を飲むことを
禁じているので、
じいちゃんは薬を飲まないし、
家族にもそれを強要したがるから
信仰していない者からすれば
そこがじいいちゃんの欠点でもあった。

俺みたいな正露丸と頭痛薬が
手放せない人間には考えられないぜw

そんなじいちゃんが発作で倒れたとき、
命を救ってくれたのは、
じいちゃんを運んでくれた救急隊や
手術をしてくれた医師であり、
今でも元気なのは
結局、飲まざるをえなくなった
薬のおかげだと思う。

もちろんそうやって
素晴らしい医師たちと
引きあわせてくれたのは、
もしかしたら神様かもしれないな。

そうなてくると薬を飲むか、飲まないか、
そんなことにこだわることが、
本当に信仰の本質だったのだろうか?と。

神様がじいちゃんを救ってくれたなら、
それは薬を飲まなかったからではなく、
いつも正義を愛してまっすぐに、
生きようとしていたからではないかと。

これはあくまで俺の見解。

違うという人がいてもいい。

反論されても俺はその宗教を
信仰してないからくわしい
理屈がわかんないからw


もうひとつの話を。


介護の仕事というのは
実に多くの家庭と関わるので、
当然ながらさまざまな信仰を
持った方と出会う。

そんな中で極端な例なんだけど、
こんな人がいた。

その人はとにかく宗教の用事が最優先。

認知症でほとんど
寝たきりに近い夫を放置し、
宗教活動に勤しむんだよね。

ある日なんかは

「私は宗教の奉仕活動の草むしりに行くんだ!
これは多くの人を救う大事な仕事なんだ!
だからこんな寝たきりの人の相手なんか
してられないよ!」

と食事の用意もせず、
夫を完全放置して
出かけてしまったもんだから、
ひどいことになっていた。

誰かが気づかねば死んだだろうね。

もし神様がいるのなら
そんなことを本当に望むだろうか?

確かに大勢に尽くすことは大事だが、
それよりも大事な身近なものを
まずは愛することから
始めるべきじゃないか?

というか自分の隣にいる人を
救えない人間が、
大勢を救うと言っても
俺は信じられないんだ。


それから信仰をしている方で
たまにいるのが、
たとえばもしもそこに医師や、
介護スタッフの苦労があって、
状態が良くなった場合でも

「神様のおかげ!
神様にもっと感謝しなくては!」

という思いが強すぎて、
そこに確かに存在しているはずの、
他者の努力や尽力への敬意が、
すっぽりと抜け落ちてしまっている人。


じいちゃんの部分でも書いたように、
確かに引きあわせてくれたのは、
神様かもしれないけれど、
実際に手と時間を割いてくれたのは
まぎれもなく人なんだよね。


だから俺が本当に言いたいことは、
神様を否定しろということではなく、
神様に感謝するように、
自分の周りにある人を愛して
感謝をしてほしいということなんだ。


そういう気持ちこそが、
神様に伝わるのではないかな?


どの宗教もそうだけど、
いたずらに他人を排撃しろとは
述べていないよね。

自分の周りにいる人を大事にしなさい、
困難なときは手を取り合い、
立ち向かいなさい。

神はそういうあなたを見守っています。

これがほとんどの宗教に
あてはまることではないかな。


では神様は本当にいるのか?


実際のところいないよりは、
いると思ったほうが普通だろうね。

ただ俺の思う神様というのは、
特定の形ある存在で
たとえば俺個人に対して、
何かを与えてくれるとは思ってない。

そもそもさほど自分が
救われたいわけではないから。

俺なんか救うよりは、
虐待されてる子供たちを
救ってほしいし。

だから自分のために神に
祈って救われたいという気持ちは
ほとんど持ってない。


でも因果応報というものはあると思うよ。

それは俺もたくさんの人の、
命の最期を見ているからね。


家族に一生懸命に尽くした人は、
やっぱり施設に入ったって
家族はたくさん面会に来てくれる。

反対に

「うちの家族はこない!」

なんて騒ぐ人のほとんどが、
よくよく事情を探ってみれば
過去のその人自身に問題があることが
ほとんどだ。

そもそも家族が来ないことを
責めるということ自体が、
結局は自分中心の考えであって

「息子にも家庭があるからね」

「きっと忙しくて充実した日を送って
いるんだろうな」

と思える人であれば、
抱かなくて良い不満だ。

そうじゃない人だからこそ、
家族に敬遠されてしまっているという
真実に気づけないでいる。

「家族が来ない!」

なんて言わない人のところには
家族はちゃんと来るし、
言う人のところには
ますます来ないわけ。

もちろん介護職のプロとして、
そんな冷たい現実は
突き付けると認知症をひどくするから
口が裂けても本人の前では言わないよ。

でもひとつの人生として分析するなら、
何かが起きているってことは
そこに理由があるってことなんだよね。

でもさ、どんな人に対しても
一定のサービスをする俺らがいて
そういう人に対しても
家族の代わりのようなことは
してくれるんだから
そういう連中と出会えただけ、
その人だってマシだと思うよ。

介護サービスも使えず、
孤独に死んでいく人もいるからね。

だからそこに
差が生まれることに関しては
神様の意志が働いてる可能性は
ないとはいえないな。


実のところ神に祈りたい瞬間はあるよ。

相手は認知症の人たちだから
俺の考えなんて伝わらないことは
いくらでもあるんだからね。

家族の都合で、
大好きな今の施設を出なくてはならない
おばあさんが言った言葉。

「あんたを信頼してたのに、
私を追い出すなんて、
死んだら呪ってやる」

だからさw

他にもね。

以前から介護の記事に書いているように
俺はかなり自由に外出を許可してる。

その人もそんな一人だったけど
だんだん認知症がひどくなって
外出先でトラブルを起こすように
なってしまった。

家族、警察、市役所からも
もうそろそろ外出はやめさせてと
言われて結局外出禁止に
なってしまったんだ。

そのじいさんが言った言葉

「おまえは鬼だ!俺を閉じ込めやがって!
おまえみたいなやつは地獄行きだ!」

とw

その人はそうやって憤怒の思いを
抱えたまま死んでいったよ。

症状がよくなるように、
一生懸命、俺なりの手は尽くしたけど、
まったくダメだったな。


そんなときに思うのは

「きっと死んだあとで
俺の本当の気持ちを
わかってくれるかな」

とか

「神様がいたら神様だけは
わかってくれるかな」

ってこと。

だからそういうときだけ、
俺は都合よく神に祈ってんだろうね。


俺にとって重要なことは
信仰そのものじゃなく、
自分がどうありたいのか、
どういう人間として
人生を渡っていきたいのかということ。

そう考えた時にもっとも
重要だと思っているのが、
先祖に恥じないようで
なくてはいけないなと。
そして子供たちにも
恥じない人間でありたいなと思う。

だって自分はその辺から
自然発生したわけじゃないからね。

先祖というのはもちろん親も、
じいちゃん、ばあちゃんも、
その前もその前も…。

いろいろな人が紡いできた
人生の結晶としての自分がいる。

それを感謝できないなんて
おかしい話だ。

まぁその行きつく先は、
サルなのかもしれないし、
サルを作ったのは
神様かもしれないんだけどね。

じいちゃんのように
正義だけをおこなって
生きられるほど
俺は強くはないので、
間違いは犯すかもしれないけど、
そういうときに反省できるような
人間でありたい。

そして他人を尊敬したり、
悪いところばかりじゃなく
良いところを見てあげられる人間でありたい。

「こうでありたい」

という理想が高いせいで、
神様を信仰するよりも、
自分と向き合うということで
精一杯なのが俺という人間。

だから基本的に自分にとっての
神様は自分の中にいて、
自分を見ているかもしれないよね。


だけど自分がそうだからといって
他人が特定の宗教を信仰することを
否定しないよ。

大事なことはどんな宗教を
信仰しているかということより、
その人が尊敬できる人かってこと。

俺の周りに世間からよく
批判されてる某会の人がいるけど、
その人個人は大変な人格者。
もちろん信仰を押しつけたり
無理に勧誘したりもしない。

俺もすごく良くしてもらっているし、
ステキな人だと思う。

ネットの中にもそういう人はいる。

だいたい俺のじいちゃんだって
薬云々のモメ事がなければ
すげー正義感あふれる
素晴らしい日本のジジイだw


誰かが何か特定の宗教を
信仰しているからといって
すぐに色メガネで見るような奴は
その時点で終わってるだろうな。

そういう人間にもなりたくない

神様を信じることには
ちゃんと意味があると思う。

問題なのはそれによって
まわりが見えなくなって
神様を信じているのではなく、
神様を信じている
自分しか信じられない、
というふうにすり替わってしまう
人がいることだ。