■不公平な世の中■
犯罪…とくに虐待に関しては、
自分にも幼い子供がいることもあり、
けっこう辛辣に書いているなと
自分でも思う。
犯罪を犯す側にも理由があるという
意見だってそれはそうだろうな、
とは思いながらも。
実際のところ自分の仕事は
どんな経歴を持った方にも
平等にサービスを提供する
仕事である。
これまで出会ったお年寄りの中には
やくざだった人とか、
その愛人で足に蛇の入れ墨が
入っている人だとか、
いろんな方がいた。
もちろん犯罪に手を染めてしまった
という方だっていたし、
家族に対して暴力をふるいまくり、
結局みんなに逃げられて、
孤立した人というのもいた。
もちろん子供を虐待してきたせいで
子供から見捨てられてる人も。
自分の感情的なところから
考えたら、
そんなものは自業自得、
その人の人生の結果でしかない。
しかしサービスというのは、
平等におこなわれる。
当然、それは業務なので
もし利用者の中にそういう人が
いたとしても
そこに感情なんか入れない。
プロだからね。
つまり本来なら関わりたくないタイプの
人にもさんざん関わっていく仕事を
普段からしていることになる。
だからこそ矛盾というのは、
やはり感じてしまうんだよね。
そういう人が生きていくために、
いったいどれだけの他人の支えの手が
使われていると思う?
なにも介護だけじゃないんだよね。
行政だって本来ならば、
そんな自業自得な人間はほっとけよ、
という人であっても
一生懸命に支援している。
俺はそういう人たちの苦労も見てる。
行政の対応が批判されがちな
側面もあるけれど、
一部には本当に一生懸命に
対応している人もいるんだよ。
ケアマネだってそうだ。
自分のせいで家族に
見捨てられたような人を救うために
下手したらその家族に
本人に代わって頭を下げてでも
協力をお願いしているんだよ。
研修に行ってもそういう苦労を
している在宅ケアマネはいっぱいいる。
「ひとことでいえば、
本人のせいでしかないんだけど、
それでも救うのが仕事だから…」
と葛藤しながらね。
それなのに当の本人たちは
「自分は孤立している。
愛されていない」
と訴えるが
現実には実に多くの人が
動いているのだ。
たとえ死んだときに
家族に見捨てられてても、
必ず埋葬まで丁寧に
やってくれるんだぜ。
おそらくはわが子を
白骨化させるほど放置したような
最低の人間であってもね。
刑務所から出て身内から縁を切られ、
孤立しようが何しようが
生活保護を受けながら
やがて認知症にでもなれば
どこかの施設に入って
オムツも代えてもらって
食事にも不自由せず、
少なくとも人間として最低限の生活は
保障されて生きていくのだ。
もちろんそんな人生も
決してしあわせではないだろうけどね。
5歳の子供の死に至る経緯を
考えたときに、
同情なんかで済まないほど
悲しくて仕方がないな。
パパが一度も帰って来なかったなら、
まだ良いのかもしれない。
何度かは姿を見せながら、
そのたびに救うチャンスが
何度も何度も何度もありながら
部屋に閉じ込めて出ていくなんて
こんなにひどい殺し方があるか?
パパを見るたびに、
その子は期待をしただろう。
大好きなパパがなんとかしてくれるって。
だから何度も名前を呼んだのだろうね。
外界から無理やり
遮断された世界で
その子にとっては
パパだけが唯一の
頼れる存在だったのだから。
でも現実はそのたびに裏切られ、
自分がなぜそんな苦しい目に
あっているのかわからないまま、
おそらくは必死にゴミ箱をあさったりしながら、
必死にパパの帰りを待ち、
そして裏切られ、
この世の地獄を味わいながら死んだんだ。
その間はパパはホテルで愛人と
一発ってんだからな。
懲役なんてもんはそれが短くても
長くても
「あとの人生は縛りませんよ。
困っても最低限の人生は
行政なんかが協力して
なんとかしてあげますよ」
との自由の保障つきなんだから
それが何年であったって
軽いとしか思えない。
とくに人を殺した罪の場合にはね。
俺は自分がしあわせに
なりたいという理由で
神様に祈りたいとは
思わないけど
こうしたおそらく世界中にいる
苦しんでいる子供たちを
ほんの少しでも
しあわせにしてくれる神様が
いてほしいなとは思うね。
自分の子供も可愛いが、
子供というのはみんな可愛い。
餓死していった子供、
せめて最後に誰かが
抱きしめてあげてほしかったね。
神様がいてそういうことを
してあげたらいいのにな。