■グループホームのあり方と看取り■
グループホームのあり方と実態調査について、
というような内容のアンケートが来ていました。
「利用者が献立を決めていますか?」
「利用者が料理していますか?」
「利用者と食材を買いに行っていますか?」
「一日の計画は利用者が立てていますか?」
「頻繁に外出していますか?」
などの設問を読むたびに毎度溜息が出ますw
そういうのはほとんどできていないし、
そういうことをする意味が理解できる方もほとんどいません。
残念ながらほぼ寝たきりでまったくできない方も
かなりいます。
しかしこういうことを尋ねてくるということは、
本来はそういう場所のはずですよ、
ということでしょう。
ですがこうしたアンケートって、
そんなことを尋ねながらもほぼ必ず、
「看取りはできますか?」
って聞いてきます。
だから~、
人が死ぬっていうことは上記のようなことが、
どんどんできなくなっていくってことでしょ、
と思わず突っ込みたくなります。
要するに国が求めていることが矛盾している、
現実とずれているということです。
しかしながら「看取りはできません」と答えると
「なぜできませんか?」
とまた問われるわけです。
ちなみにうちの施設は「できます」
というより「しています」
が正しいのか。
本来、看取りに関しては単純に
「できる」「できない」
だけで表現できるようなものでもないと思うんです。
こうしたアンケートだけでなく、
在宅のケアマネさんや、家族からもよく
同じ聞かれ方をしますが、
「場合によってはできるし、
その時の判断でできないこともある」
と答えています。
看取りができる場合というのは、
医師もケアマネも専門的な立場からその人にとって、
それが妥当と判断していて、
なおかつ家族、スタッフもそれを望んでいること、
さらに本人がそれを望んでいること、
もしくはそうに違いないと感じられることでしょうか。
たとえば痛みを伴う病気であって、
その方が非常に痛みに弱い方であれば、
麻酔などが使える病院をおすすめします。
管につながれるのはかわいそうというのは、
あくまで一般的な感情論としての意見であって、
痛みを取ることもできずに思い切り苦しんで
グループホームで死ぬとしたら、
それはよりかわいそうです。
さらにはグループホームという場所は、
あくまで認知症の方が入居する場所であり、
その認知症も国の言うような
ある程度のことが自分でできる軽度の方から
精神科への入院まで考えねばならない非常に重度の方まで
さまざまな方がいらっしゃいます。
(そういえば先日精神科への入院についてのアンケートもありました。
名目としては軽度な方の入居を求めながらも、
現実には精神科へ入院となる方も増えており、
なおかつ看取りも要求されている、ということです)
そんなふうにいろんな方が生活を送っているので、
少なくとも静かにおだやかに死ねる場所ではありません。
あくまで現時点での自分はですが、
グループホームで死にたいかと聞かれたら、
ノーと答えます。
まぁ、しかしこんなことは我々スタッフが考えるというより、
利用者自身の考えを実際に聞いたほうが良いんでしょうね。
たとえばある方はこんなことを言ってます。
「私はここのやさしいスタッフさんに囲まれてここで死にたい。
でも、いつも私の部屋に入ってきたり、
物を盗ったりする人がいて、
それに毎日おびえながら死んでいくことを考えると、
ここを出ていきたいと思う瞬間もある。
でも家に帰るわけにもいかないしね」
すごく切実な思いです。
一方、その「部屋に入ったり物を盗る人」はどうでしょう。
そういう方は非常に重度の認知症なので、
その思いは察するしかないのですが…
「確かに間違えて迷惑をかけているかもしれないが、
病気なのでわざとしてるわけじゃない。
家にも帰れないし、
精神科に一生いるなんてイヤだ…」
という感じじゃないでしょうか。
どちらの言い分も正しいと思います。
なぜこんなすれ違いが生じるかといえば、
国が認知症とひとくくりにして、
グループホームに雑多なことを要求しているからです。
それを解決するのがスタッフ?
それはそうでしょう。
だから毎日一生懸命やっています。
ですがそれに対する十分な報酬もなければ、
それどころか年々求められることが
増えていっているような状況です。
こんな環境で国が定めたスタッフの人員基準は
日中は3人、夜は1人です。
もし国が言うように1人は利用者と買い物に、
1人は重度の方の対応に、
1人は看取り段階の方のそばにいたら
あと他のことはほとんどできません。
夜は…言わずもがなです。
確かに「看取りができる」ことをウリにしているようなホームも、
どんどん増えてきています。
そのことは家族目線で見たら
とてもありがたい施設だと思うんですが、
その反面「うちの施設で死ねばしあわせだよ」と
思い込める意識は怖いです。
しあわせのかたちは本来一人一人違うもの。
まして「生まれること」と「死ぬこと」は、
人間にとってのもっとも重要な一大事のはずです。
簡単にここで死んだらしあわせと断言できたり、
うちの施設では死までお世話できますよ、
なんてひとくくりで言えることではないはずです。
うちの施設でも何人かの看取りをしました。
スタッフも家族も、
ほとんどの場合、
満足して終わることができています。
でもたとえそうであっても、
それが本人にとってしあわせだったかは、
もはや本人に聞けない以上、
誰にもわかりません。
管理者がそんな気持ちで
どうすると言われてしまうかもしれませんが、
たぶんこれだけは一生わからないだろう。
それでいいのかなとも思います。