なぜ自分が認知症と認めないか | NobunagAのブログ

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◆なぜ自分が認知症と認めないか◆
 
今回はあくまで軽度というか、
初期から中期程度の認知症の方の話です。
 
重度になりすぎて脳がすでに、
そういうことを考えられるような状態にない方は、
また違う機会に。
 
さて、認知症の人というのは、
かなりの確率で自分が認知症であることを認めません。
 
だから周りは大変苦労させられます。
 
どう考えてもおかしいのに病院に行くのを拒否する、
もしくはせっかく薬をもらっても飲もうとしない、
自分が忘れてるのに人のせいにする。
 
老人はプライドが高い!
 
そんなふうに若い人たちが感じるのも
無理からぬことです。
 
しかし当の本人はケロっとしている。
 
腹が立つことでしょう。
 
認知症になると温厚だった人が、
イヤな人になってしまうとも言われます。
 
それもまぁそうです。
脳の機能的に感情を制御する部分が
壊れていくということもあり、
人格の崩壊も起こります。
 
しかしそういう難しいことは抜きにして、
あくまでまだ初期段階にある人が、
なぜあんなに自分が認知症であることを認めないのか、
なぜ現実を見なくなるのか?
なぜ自分がおかしいとわからないのか?
 
実はたいていの場合本人はわかっています。
 
物忘れがひどくなった、
アレ…なんだかおかしいぞ?
 
この症状に関しては、
実は一番最初に気づくのは家族じゃなく、
本人です。
 
気づいたならさっさと家族に素直に相談するとか、
病院に行くとか、
何か行動してほしいですよね。
 
確かに家族の立場としてはそう思うんですが、
本人はそれができないのです。
 
まさか自分の子供の前で自分がダメになったことを
認めたら親としての立場が崩れてしまう。
 
それに自分で自分がおかしいと認めたら、
今まで自分が築き上げてきたものがみんな壊れてしまう。
 
だから言い出せず、
何もわからなくなっていく不安に実は一番苦しみ、悲しみながらも、
平然と振る舞ってしまいます。
 
攻撃的だったり拒否的だったりするのは
自分で自分を認知症と認めてはいけないという、
自己防衛本能のあらわれです。
 
そしてそんな態度でいるうちに、
どんどん病気は進み、
本当に何もかもわからなくなってしまう。
 
「こうなったら困る…」
 
と自分が一番恐れていたはずの姿に、
なっていってしまうのです。
 
 
おかしいですよね。
 
たとえばガンなら、
そこまで我慢しないはずなのに。
 
老人たちをこんなふうにしたのは、
ある意味彼らが生きてきた、
もしくは現在もですが…
社会のせいだと思います。
 
なんでも社会のせいにしたくはありませんが、
この件についてはたぶんその影響は大きいです。
 
要は
 
「認知症になってはいけない」
「認知症はみっともない」
「こわい」
「恥ずかしい」
 
最初からそう思い込んでいるから、
誰にも相談しないし、
受診もできないのです。
 
うちのほうは田舎なので、
よく昔は子供が悪いことをすると
 
「お倉に入れるぞ!」
 
なんておどされたもんですが…
(お倉ってわかります?別棟にある光も入らない離れみたいなものです)
 
今でも山奥のほうにいくと、
認知症の人がお倉に入れられてたりするんですよ…
 
そばにいると迷惑だから?
世間の目からも隠したいから?
 
よくわかりませんが、
こんなおそろしい現実も確実に存在します。
 
病気であって罪を犯したわけでもないのに、
懲罰をされているんですよ。
 
昔のお笑い番組、
とくにドリフ大爆笑でも志村けんが手をプルプルさせて
 
「ヨシコさん~メシはまだかえ~」
「おばあちゃん、さっき食べたばかりでしょ!」
 
なんて笑いを誘っていました。
 
面白いと笑いながらも、
ボケたくはないな~、
あんなふうになったら終わりだな~と
思ったものです。
 
もちろん本当に面白いので俺も大好きだったし、
今見ても楽しいです。
それを否定しようということじゃないんですよ。
 
ただいろんな環境の中にあった、
悪意のない誤解の積み重ねが、
認知症になることは恥ずかしいことなんだという
土壌を作ってしまったのです。
 
そういう世界を生きてきた高齢者にたいして、
いまさら
 
「認知症は病気なんだ」
「病院に行かなきゃダメだ!」
「人の助けを借りたっていいんだ」
 
といくら説明してもなかなか伝わりません。
 
だけどこれからの世の中は変えられるかもしれない。
 
「自分は最近物忘れも増えて、
もしかしたら認知症かも…」
 
そう不安に感じたときに、
恥ずかしい思いなんてせずに、
堂々と周囲やお医者さんに気軽に相談できるように、
もっと世間に認知症への理解を広めないと。
 
認知症の偏見をなくしていくことは、
今、認知症で悩む本人、苦しむ家族に手を差し伸べるとともに、
将来の自分を守ることにもつながります。
 
「認知症だと認めたら終わり」
 
ではなく、
それが新しいはじまりになるような社会であってほしい。