うつの波と現実 | NobunagAのブログ

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家庭菜園、ゲーム、アイドルなど趣味の話題や、子育て、介護関係のことをつらつらと書いています。

◆うつの波と現実◆
 
大体、月に1回くらいのペースでうつ病が
悪化したりするのを繰り返している。
大きな発作(と呼ぶのかどうかは知らないけど)は
そこまで頻繁ではないにしても、
必ず月1回程度は沈んでいる。
 
きっかけはいろいろで、
これといって特徴もないんだが、
要は月1回くらいは何かしらイヤなことがあり、
それによって病気の症状が出るという感じだ。
 
本人はそれが病気だ、
そんなふうにならないようにしたいと願う。
 
でも本当は病気なんか関係なく、
イヤなことがゼロ、気分の浮き沈みもゼロになったら、
むしろ人間としておかしいのではないかと思う。
 
生きていると必ずイヤなことはある。
他人に囲まれて生きているのだからそれは当たり前。
ほぼ定期的にあるといっていい。
 
誰かの言葉にイヤな思いをすることもあれば、
自分の不甲斐なさが許せないときもあるし、
過去のイヤな経験を思い出して暗くなることだってある。
 
そもそも良いことばかりだったら、
人間は成長できない。
イヤなこと、つらいこともあり、
失敗があるからそれに学ぶことができるわけで、
それが死ぬまで続いて行くのが人生なんだろう。
 
終わりはない。
 
イヤなことが世界からはなくならない。
自分の中でそれらを乗り越え、
あるいは折り合いをつける能力を上げ生きねばならない。
 
しかしうつ病の人は、
そうしたイヤなことを受け止める、
自分の中に受け容れ糧にすることができない。
 
だからこそ、
それが病気なんだろうな。
 
普通の人なら30のダメージで済むのが、
100のダメージを受けているというか。
 
いつも思うが、
昔の楽しい日々はもう二度と来ないんだろうか。
笑顔で会話することがないわけじゃないが、
本心から笑い合ったことなんてもう数年ない。
 
もしくは輝かしい未来は来ないのか。
いつかこんな苦しみを忘れて、
男同士お酒が飲めるような日が来ないものか。
 
なんでこんなことになった。
誰が悪い。
誰も悪くない?
 
声にならない言葉を繰り返しても
病気という高すぎる灰色の壁が
過ぎ去った日の思いを夢に映すだけ。
 
まさにEndress rainな世界。
 
うつ病に限らず認知症なんかでも、
映画やドラマの中では必ず感動的なシーン、
心あたたまる瞬間なんてのが描かれるが、
渦中にあってはそんなものを感じていられる余裕もない。
 
真っ暗なトンネルを、
迷わぬように取り合うための相手の手さえも
お互いに見えぬまま、
その先に何が待つのかもわからないまま、
ただ途方もなく歩いている。