憲法改正の気持ち悪さ | NobunagAのブログ

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◆憲法改正の気持ち悪さ◆
 
最近、憲法改正の議論がにわかに活気づいている。
 
いまさらイヤだイヤだと声を荒げても、
それを公約に掲げてた自民党によろこんで投票して、
こんな状態を選択したのはほかならぬ国民であって、
自民党こそが正義のように煽りまくってたマスコミのせいでもある。
 
個人的に9条の改正自体には反対ではない。
 
有事の際にアメリカが日本を守ってくれるとは思えないし、
そもそも今のアジアの緊張状態は、
石原・安倍が中国を刺激しまくって作り出したわけで、
もしこれで戦争にでもなれば自分たちのケツは自分で拭けと、
アメリカだって思うだろう。
 
さんざん好き放題なことを言って相手を怒らせて
いざとなったら
 
「わたしは武器を持ってませ~ん、
だから撃たないでね」
 
なんて通用するか。
 
無抵抗な人間さえ撃ってしまえるのが戦争だ。
 
しかし銃を持つ相手に銃を向けるのは容易ではない。
強い国であろうとするなら、
裏付けは必要だろう。
 
平和憲法は世界に誇れる素晴らしいものだ、
自衛のために武器を持とうとする野蛮な考えのせいで、
世界の歴史が戦争ばかりだったのだと言う人もいる。
 
本当にそうか?
 
武器を持たない国は滅びていっただけなんじゃないの?
 
世界の歴史が戦争ばかりだったとしたら、
野蛮で悲しいことではあるけれども、
それが人が生き残るための手段でもあったという
ひとつの真実でもある。
 
愚かだ、いやだ、バカだと言ったところで、
全世界の人々すべてにそのDNAは備わっている。
 
ただし今の時代、
戦争となったら単に個々での刀の斬り合いや、
銃の撃ち合いで終わらない。
一発の爆弾でたくさんの命が失われ、
戦争が終わっても人にもその土地にも、
深い傷跡を残す。
 
だから積極的に他国を攻めるための戦力であってはならないが、
身を守るために静かに相手をけん制するための戦力は必要。
 
アジアの情勢がこれだけ悪い中にあって、
場合によっては9条の改正は必要だと思う。
 
しかし最近言われているような、
改正の条件を緩和するために、
まず96条を変えようというやり方はヒドイ。
 
現在の96条では憲法の改正は
国会議員の3分の2以上の賛成があったうえで、
国民投票が必要となっているが、
自民党はこれを国会議員の過半数に変更しようとしている。
 
こんなことがまかり通るようになると、
与党の考えだけで何でも変えてしまえるようになってしまう。
 
9条の改正が本当に必要ならば、
こんな姑息な手は使わず、
3分の2が賛成できるように納得できる説明をし、
国民の判断に委ねればいい。
 
それができないからこんな卑怯な手を打つしかないとしたら、
9条の改正は時期尚早ということだろうし、
もう少し他国との付き合い方を見直すべきだろう。
 
日本の誇りを守るため他国に領土のことを主張するのはいい。
 
しかし安倍総理の人気取りのためのダシに使うのはやめてくれ。
 
新しい憲法の改正案も読んだ。
 
一見、かなりまともなことを言っているようには感じる。
 
とくに右寄りの人はそう感じるはずだ。
 
たとえばサッカーの日本代表の試合では、
試合前の国家斉唱に心が震えるのに、
オリンピックでは喜んで日の丸に応援をささげるのに、
なぜか学校で君が代を唄わせるべきではないとか、
まったくもって理解不能であった。
 
新憲法ではしっかりと国家、国旗を尊重すべきとしている。
 
家族は助けあわねばならないとも明記されている。
 
最近は育てる能力もない親が好きに子供を作り、
育児放棄やら虐待をしている。
離婚を繰り返し好きなだけ子供は作るが、
自分がイヤな仕事はすぐに辞めるスモールなダディが
もてはやされる時代になった。
 
自分の親の面倒さえ見ようともしない人も多い。
 
新しい憲法はそういった超個人主義に歯止めをかける。
 
個よりも公へ。
 
理念は間違っていないように見えるし、
だから騙される。
 
公というのは政府の定めるものではなく、
日本人が日本人として長い歴史の中で培ってきた、
良識であり、心のルールであるべきだが、
もはやそれがどういったものなのか
わからなくなってしまっている人が多い。
 
このままでは自民党にとって都合の良い公だけが優先され、
歯向かう者、異を唱える者は公の秩序を反する者と
言われるようになってしまうだろう。
 
ああ、気持ち悪い。