行きつくところは受容 | NobunagAのブログ

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◆行きつくところは受容◆
 
介護の仕事に携わり、
10年ほど経とうとしています。
 
この世界、現場には大ベテランの方も多数いるため、
10年なんてまだまだひよっこなのかもしれません。
 
そんな俺があまり偉そうなことは言えないのですが、
現時点であるひとつのこたえとして感じているのが、
結局最終的には「受容」こそが大事なのかなということです。
 
たとえばスタッフから
 
「Aさんの症状で困っています。
いろいろ対応したんですが、
どうにもなりません。
どうしたらいい?」
 
と聞かれたとき。
 
「それがAさんなんです」
 
と答えてしまうことが多くなりました。
 
問題を解決するのも仕事です。
 
だからまったく対応しなくていいという気はありません。
 
しかし
 
「いろいろ対応したんですが」
 
ということであれば、
それ以上に無理してもAさんを他者が変えることはできない
ということだと思います。
 
問題を解決するのも仕事ですが、
あえて解決しないという選択肢もあっていいんじゃないかと
いうことです。
 
もちろんだからといって、
他者に暴力を振るったりというような
反社会的な言動まで良いとは思いません。
そこまでの症状には適切な内服を勧めます。
そのほうが効きます。
 
我々介護職員は医師ではないので、
病気そのものの効果的な治療というのはそもそもできません。
それに、今のところ医師も認知症を完全に治療することは
できません。
 
我々にできることは、
たとえ病気であってもここにいてもいいんだという環境を作ること、
病気の方の姿を認めてあげること、
それだけです。
 
認知症になると普通の人が普通にしているような、
他者に対しての気配りができず、
人前で対他者用の対外的な自分の姿を演じることもできなくなります。
 
心の壁というか、人と付き合うための鎧のようなものを脱ぎ捨て、
本来の自分がすべて出てしまっている状態ともいえます。
 
そういう状態になってもおだやかでほがらかな人もいますが、
非常に猜疑心が強かったり、
いやみっぽかったり、
簡単にいえばイヤ~な性格の人もいます。
 
第三者的に考えると、
それをどうにかしたい、
直してやりたいなんて思うわけで、
だから家族もスタッフも苦労するんですが、
その部分を変えることはほとんどできません。
 
仮に人間が性格を変えようと努力するならば、
本来それは本人がそういう意志のもとですることであり、
他人が強制して変えられるわけがありません。
 
ましてや認知症という病気の方は、
今の自分がおかしいなんて思っていないんですから、
変える意志が出てくるはずもありません。
 
周りの人間も本人を変えようなんて努力をするよりは、
本人の今の姿を認めてあげる努力をしたほうがいいです。
 
イヤな人かもしれません、
人に迷惑をかけてばかりかもしれません、
むかつくかもしれません。
 
でも世の中にはいろんな人がいる。
 
しかも認知症の方はなりたくてなったわけじゃないです。
 
これまではちゃんと対外用の自分を持ち、
しっかりいい人を演じたり、
周りとも強調しながらがんばってきたのが、
病気でできなくなってしまったのです。
 
正直言ってそういう方の相手をするのは疲れます。
こちらが傷つけられることもかなり多いです。
とくに家族という立場の方は、
一段とその思いが強いでしょう。
 
だけどもしも少しでも可能であるなら、
心にゆとりがあるなら、
認知症の方の今の姿も受け容れてあげてほしいです。
 
おかしな状態も永遠に続くわけじゃありません。
 
認知症だけに限りませんが、
高齢者はやがて寝たきりや大きな病気になり、
最後はみんな亡くなります。
今まで看てきたほぼ全員、そうです。
 
あんなに手がかかったAさん、大変だったBさん、
優しかったCさんも、近所のDさんも、Eさん、Fさん…
数百人、みんな同じような結末です。
 
それは自然のことです。
 
場合によっては子供のようにわがままになり、
やりたい放題で我慢ができないような状態になったりしつつ
やがてはそれもなくなり弱って死んでいくという結末も含めて、
人間が必ず通る道であるということ。
 
それも全部ひっくるめて受け容れる。
 
最近の俺のスタンスはそんな感じです。
 
もちろんあきらかに改善できる部分は当然改善を目指します。
そのための介護保険です。
 
でも、人の人生に寄り添うということは
それだけじゃないということです。