現実 | NobunagAのブログ

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■現実■
 
ふとグループホームに来てから撮った
写真を眺めてみました。
 
うちは1ユニット9名で2ユニット型の事業所なんですが、
片方のユニットの方々で撮った
3年ほど前の集合写真を見て驚き。
 
そこに写っている9名のうち、
現在も入居しておられる方はたった1名です。
 
残りの方のうち
2名は他の施設へと移行されたのですが、
6名は亡くなられています。
 
看取りをした方もいるし、
入院して病院で亡くなった方もいます。
 
やはりこれが厳しい現実。
たった3年ほどの間にそれだけ多くの方が
亡くなられています。
 
昔はずいぶん悩みました。
 
ケアマネというのはどうしても
 
「自立支援のお手伝いをする仕事」
 
と研修で厳しく教わってきます。
 
自立支援というのは文字通り、
利用者さんが自分のことをできるようにする、
そのためのプランを立てるということです。
 
つまりはその人がその人らしく生きる、
まずそれが目標。
 
けれども自分で目にするグループホームの現実は
ほとんどそれがおこなえない状況でした。
 
もちろんほんの一時的にでも
そのお手伝いはできる瞬間も存在するんですが
そこに至る本人の努力も、
ケアマネやスタッフの苦労も、
どんどん進行する認知症や
あるいは老衰という自然の力によって
かき消されていきます。
 
どうやってもあらがえないものが存在する。
 
そのことが苦しかったです。
 
自分がケアマネとして関わった人たちが
どんどん死んでいくんですからね。
まるで死神か?
もっともっとケアマネとしてがんばったら
もう少し長生きさせてあげられたんじゃないかとかね。
 
でも最近は生も死も等しく価値のあることと
思えるようになりました。
 
その人らしく生きることを支援するのと
その人らしく死んでいくことを支援するのに
大きな違いはないんだと。
 
どちらも全力を尽くせば、
という大前提つきですが。
 
結婚式のお手伝いをしてくれる人を
ウェディングプランナーと呼びますが
とくに施設のケアマネには
エンディングプランナー的な
役割もあるのだと思います。
一時期映画でも話題になった
おくりびとに近いともいえるのか。
 
もっとも現実にはそこに至るまでに
徘徊の対応やらときには殴られたり便の処理やらを
ジャージ姿でヒイヒイ言いながらやっているので
そこまでかっこよくも神聖な感じでもないですが。
でも誇れる仕事ではあると思います。
 
ただ、気になるのは俺自身は
自分でそういうことに気づけたから
ある程度自信も持てるようになりましたが
多くの人はそれに気づけずに悩んでいます。
 
「この人たちには何をしても届かない、
もう疲れた、辞めたい」
 
そういう人が大勢います。
実際、ケアマネでなくても
スタッフだってそういう理由で
辞める人もたくさんいます。
 
たぶん介護だけでなく
末期の方をお世話する緩和病棟のようなところでも
そういう思いを抱えるお医者さんや看護師さんも
いるのかもしれません。
 
ケアマネの研修どころか、
本当に初期のヘルパーの研修にも
死というものをどうとらえるかを
もっと積極的に取り入れたほうが良いと思います。
 
もちろん介護の基本は
まずポジティブにとらえることなんですが、
やはり確実にそれだけではどうにもならないことは存在し、
それも受け容れることも含めての受容のはずです。
 
病気も老衰もすべて
人間がたどるごく普通の道。
 
それでも全力は尽くさなくてはいけないけれど、
全力を尽くして何も変えることができなくても
それは必ず自分にとってプラスになります。