戦争と、認知症 | NobunagAのブログ

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◆戦争と、認知症◆
 
今日8月15日は終戦記念日。
 
皆さんは戦争についてどのように考えているだろうか。
 
この時期になるとテレビ、新聞、雑誌でも戦争についての報道が増える。
 
その多くは旧日本軍がいかに愚かであったのかを分析したりとか、
戦争の被害にあった人たちがいかに悲しい思いをしたかを語るものが多い。
 
いろんなことをひっくるめて戦争は悪であるという論調がほとんどだ。
 
もちろん、戦争はしないほうが良い。
 
行きたいか行きたくないかといえば、行きたくはない。
 
でも、これは今、自分が平和な時代を生きているからだ。
 
場合によっては戦わなくてはいけないときはあると思う。
そして、そうした戦いが人間の歴史を築いてきたというのもひとつの事実だ。
 
もちろん、いつまでもそれではいけないと思う。
いつか人は武器を使わずに物事を解決するように、
進化していかなきゃいけないだろう。
 
原発事故に見るように、
現代の技術力はすでに人の手に余ってしまっていて、
そうした力の暴走は人間だけではなく、
この地球に生きるすべてのものを滅ぼしてしまう可能性があるからだ。
 
だけど今こうして書いていることは、
あくまで現在が基準だからこそ言えることであって、
戦争をした時代にはそれをしなければいけない理由というものも存在している。
 
我々が戦争を経験してきた方たちに接するとき、
つい同情心だけを抱いてしまうがそれは間違ってはいないだろうか?
 
これまでこの仕事をしてきて数多くの戦争経験者の方とお話をしてきた。
 
もちろん、戦争に行ったこと、人をあやめたことを後悔している方は当然いるし、
家族を亡くしてその傷をずっと抱いたまま生きてこられた方もいる。
 
でも、その一方で実に楽しげに戦地での様子を語ってくれたり、
武勇談を語ってくれる方もいるのも事実なのだ。
 
では彼らは異常な精神の持ち主だろうか?
 
そうではない。
 
彼らは自分の国、愛する家族を守るために戦ったという誇りを持っているから、
戦争という悲惨な状況を経験したということにも胸を張れるんだと思う。
 
冒頭に戦争に行きたくはないと書いたけれど、
行かなければ自分の妻や子供を守れないなら、
自分は間違いなく戦うことを選ぶ。
 
どうしても報道は戦争反対に偏るから、
戦争に行った人はみんなだまされたか、
強制されて嫌々行ったみたいな勘違いを招いてしまうが、
それは命がけで戦った方たちに対しての冒涜じゃないだろうか。
 
殺人者でも狂信者でもなく
自分の愛する国や家族のために戦うことを強い信念を持って選んだ人だっているのだ。
胸を張って戦い、胸を張って戦死された方もいるのだ。
 
戦争に反対をすることと、
戦争時に確かにそこに存在した思いまで否定することは違う。
 
たとえば戦争で夫を亡くして女手ひとつで子供を育ててきたという利用者さんの話を聴いた時に、
「それは大変でしたね、かわいそうに…」
と現代の感覚で同情して簡単に言ってしまってはいけないと思う。
 
大変なことには間違いないと思うが、
かわいそうかどうかは本人しかわからないことだ。
 
国や自分たちを守るために戦って亡くなった夫を誇りに思い、
その誇りがあるからこそ生きてこられた方もいるのだからだ。
 
さて、いろいろと戦争や戦争を経験した方に対する個人的な思いを書いたけれど、
最後に少し戦争と認知症についても触れてみる。
 
戦争の是非はともかくとして、
戦争が人の心に与える影響はとても大きい。
 
そのため、認知症がある方が戦争にまつわる妄想などを抱いている場合には、
とても対応が難しい。
 
たとえば夜中になって急に
「敵がくるから急いで倉に行って武器を取ってこなければ!」
と言いだしたり
「戦友が待っているから、俺は行かなきゃいけないんだ!」
と大騒ぎする方もいる。
 
現代の平和に生きる我々からすれば、
その感覚は残念ながらさっぱりわからないし、
「明日にすればいいじゃないですか」
なんて軽々と言ってしまいがちなんだけれど、
本人にしてみれば自分や大切な戦友の命がかかった問題だから、
俺のような小僧にそんなこと言われたらきっとぶん殴りたくなるだろう。
 
そんなわけで、介護、こと認知症に関してはやはり戦争経験からくる
PTSDのようなものへの対応は困難で、
それはまさに戦争の闇を実感するというか、
終わっても終わらない戦争の恐ろしさを感じる部分だ。
 
我々は戦争を経験した方の思いを正しく受け取り、
ただそれをやみくもに否定したり、
現代の感覚だけで批判するようなことは避けなければいけない。
それは天皇陛下についても、軍部の首脳陣だった方々に対してもである。
当たり前のことだが、好き好んで国民を危険にさらした人はいない。
その時々で精一杯の決断をしているはずであって、
後世じゅうぶんな情報を基にしながら
たっぷり時間をかけて「間違っていた」ことを前提として分析するのとは違う。
 
そうしたことを踏まえたうえで、
それでも終戦になってからも数十年に渡り人の心を傷つけ続ける
悲しい戦争が起こらない世界を目指していかなくてはいけないと思う。