8月1日に書いていた記事なのだけど…

途中で苦しくなって書けなくなってしまう…

 


そんな記事多々あり。。



投稿するか

迷ったのだけど

思い切って投稿する。








田所さんの動画がわかりやすくて

沢山貼り付けてしまいました。

(自分メモです。)








生きづらさの根っこにあるものは

幼少期に育った環境にあるって

本当は分かっていた、、、


頑張ることで克服できると思ってた。

自分は克服した。

と、勝手に思い込んでいた。




でも、

本当は全然で

過去を封印して過去に蓋をして

過去を隠して生きてきただけだったのかも。



育ちがいいって思われたくて

まともな人間だと思われたくて

頑張ってた。


母が、(父も?)世間体を気にする人だったからかも。

行儀をよくしなさい。

と、しつけは厳しかった。 

それは、母も祖母から認められたくて

きちんと子育てしてる。と褒められたくて

やっていたのではないかと感じる。


母からは

「アンタは本当に恥ずかしい」とか

「アンタには恥ずかしい思いを沢山させられた」

と、よく言われた。

「アンタは本当にわがまま」だとも。


祖母の介護をしたのは、わたしなのだけどな、、、



これまでわたしが「心が傷ついて辛かった」

という話をするたびに、

「お母さんはアンタに沢山傷つけられてきた」

と返ってくる、この言葉を聞くのが一番嫌だった。


言うのも、嫌になっちゃった。

まともに話を聞き入れてもらえない。





父は、しつけだと言ってわたしを殴った。

ボコボコに。

顔や頭ばかりを狙って殴る。

父からは「キチガイ」だの「なまけもの」

「ろくでなし」「お前なんて生きてる価値が無い」など

言われた。

何をやっても気に食わず怒鳴りつけてきた。

怖い目つきで監視されていて

生きた心地がしなかった。





そして、

6歳上の兄からは

「お母さんの言うことを聞け!」

と、毎日足をつねられた。

兄から怒られ怒鳴られ

家を追い出され締め出された。


父が不在の時間は唯一羽を伸ばせる時間だったのだけど、

ピアノの練習をさぼった などの理由で

兄からつねられたり家から追い出された。

(ピアノを習いたい!と、こまちが言ったのだから

ちゃんと練習しろ。毎日練習しなければならないんだ)

母の言うことをすぐに聞かないと

兄が怒ってくる。

わたしの足はあざだらけだった。




なんとも言えないストレスを抱えていて、

わたしがピアノを弾きたいタイミングではなくて、

母の望むタイミングでピアノの練習をしなくてはならないのが苦痛だった。

今したくない。今はこれをしているの。今はこれをしたいの。と言えば、反抗するな。と兄からも母からも言われて

「アンタは年がら年中反抗期」そんなことも言われた…

自由が無かったな、、、

それで、練習嫌いになっちゃった、、、





5歳下の弟からは

バカにされた。

弟の方が威張っていた。

弟が幼稚園の頃には

弟が上で、私が下。みたいな上下関係がすでに出来ていた。

弟の友達が家に遊びにくると

よく弟の妹に間違えられた。5歳も上なのにと不思議だった。。









父が異常者だったからか

母はまともで優しい人だと

思い込んでいた。



でも、おかしい事だらけで、

殴られても守ってはもらえなくて、

母が不在の時にきまって殴られる。

そんな事が多かったかも。

母不在=恐怖で、ものすごくストレスだったことを思い出す。出かけないで。と母にお願いすると、母がイライラして、お母さんは何もできない!とイライラをわたしにぶつけてくることがまた嫌で、母が居ないと父が不機嫌になり、わたしに八つ当たりして殴られる。けど、それを母に言うと母がイライラして、そのイライラをわたしにぶつけてくるから八方塞がりで、我慢して堪えることしかできなかった。

3つしか部屋の無いアパートに住んでいて

逃げる場所も隠れる場所もなくて、きつかった、、、




母のいうことは聞かなければならなくて

母を悲しませることは悪いことで


矛盾だらけだったな、と今は思う。






母は父のいいなりで

父のターゲットが母から子どもへ移行して

安堵していたのだろうか。



自分は耐えたんだから

アンタも耐えなさい。


そういうことを度々言われていた気がする。


家政婦のように家事を徹底的にこなしていた。

父が細かいことを指摘するから

母は、言われないように徹底的にこなしていた。

家族のため家族のため…と言うけれど

自分のため…



食べ物(餌)を与えれば父親は

餌を与えてくれる人=命を繋ぐ人

だから、餌を与えておけば父親はおとなしくなる。


姉がそう気づいたと言っていた。


姉と母は

それで成功したようだけど、

わたしには効かなかった。


母は、子ども達だけでなく父をもをコントロールしたことに成功したのだと思う。



わたしの姉はアスペルガー(ADHDを併せ持つ溜め込み型神経症)で

わたしもADHDの傾向があり

母は、姉妹のコントロールに苦戦したのだと思う。



言葉の節々から

感じられた。

うちのオンナは大変。


アンタもわかるでしょ。

はやぶさが男の子でよかったわね。

自分と同じような子が生まれてきたら

アンタだって大変て分かるでしょ。


はやぶさを妊娠中に

性別が分かった時に母から言われた



はやぶさは

わたしにそっくりなんだ…


自分が苦しかったから

はやぶさには自分らしく生きて欲しくて

はやぶさの良いところを伸ばしたくて


子育てにつまづきながら

自分と向き合い

はやぶさと向き合ってる。













わたしは母から

洗脳されていたんだな、と

ようやく気がついた。








母から褒められたくて

努力し続けちゃった。

41年も…



母の理想の娘になるために

母から認められたくて褒められたくて気に入られたくて

ずっとそう。

つい最近まで、頑張ってた。






実家に

社会に

無理して、過剰適応して生きてきたことに気づく。




自分を守るために必死で

身につけてしまったんだ…

生きづらさの原因は、ここだと思う。






自分らしく生きたいと思っているのに

自分らしく生きるがわからなくて

自分が分からなくて

今も苦しい。






だから

メンタル不調を繰り返していたのかな。




人の顔色を伺い

他人に気を遣ってばかりで

人に笑っていて欲しくて

機嫌良く過ごしてもらいたくて

自己犠牲して、

無理にでも明るく振る舞って

ヘラヘラニコニコし続けて

いい人(母が理想とするいい人)を演じて疲れちゃうのだと思う。。




そうすれば

人間関係うまくいくって

勝手に思い込んで

身につけてしまった…




間違った努力をしていたのだな、と気づく。





人の顔色を伺い、

自分を後回しにして

相手のことばかり考えて

相手の理解に努めて、

相手の心配ばかりしていた。


そうやって生きていくことが良いことって

思い込んでいて、

信じて疑わなかった。








無理するのをやめたら

苦手を克服しなきゃ(完璧な自分を目指すこと)を

やめたら


ちょっとラクになった。




ありのままの自分を受け入れ認める。





わたし

本当は

テキトーで細かいことを気にしない

人間だと思う。





その中でも

大切にしたいポリシーみたいなものがあって





わたしは、こころをたいせつにしたい





それが

わたしが今まで一番大事にしていたことで








一番蔑ろにしていた

自分のこころ。






まずは

自分のこころと向き合う。







苦しい作業ではあるけれど、







一番たいせつな事なのだと思う。