人生2度目…
土佐清水の丹羽軟膏をやめた時も合わせると
人生3度目の
脱ステロイドを開始して
1年1ヶ月が経過しました。




14歳、中学1年生の時
肘の内側が赤くて痒くて
ひとりで、皮膚科を受診しました。
アトピーだと言われ
薬を出される。

ステロイドだと知らずに。
使い方の説明もなく。
ただ患部に塗るよう指示。

気がつけば、全身に
皮膚科の薬を塗っていました。
皮膚科の薬を塗らなくては
過ごせなくなっていました。

高校3年生くらいの時に
違和感や不信感を感じ
アトピーを治したいんですけど…と
皮膚科医に聞くと、
アトピーは治らない。
薬を使い続けなければならない。と
言われました。

そのあと
19歳の秋
民間療法で脱ステをしました。

脱ステ1年後は、20歳の成人式でした。
成人式の時は、調子がよく
振袖を着られました。
アトピーとは分からないくらい回復していました。
ただ、痒くて、長居はできず
夕方ひとりで
先に帰宅したのを覚えています。

悪化を度々繰り返し
調子がいい状態は続きませんでした。

短大3年生の時の幼稚園実習が
辛かったこと。
スーツを着るのが、辛かった。痒かった。
体がしんどかった記憶があります。
6月と10月の2回。どちらもしんどかった。

8月の施設実習の時は、実習期間中だけ
ステロイドを塗りました。

実習後の就職活動中も
アトピーの調子が悪かった記憶があります。


脱ステ2年後
21歳の春
幼稚園に就職して、
はじめは、しんどかったけれど
仕事に夢中で、
気がついたら
ラクになっていて、

23歳で結婚。

24歳で、大大大悪化。

26歳で、体調悪くて、幼稚園を退職。

28歳で離婚と同時に、土佐清水の丹羽軟膏塗布。
(9年間脱ステがんばりました)
元夫が出て行き、家と住宅ローンが残りました。

31歳、家を売るために祖母宅へ。
生きるために必要な物以外は全て処分。その時に、土佐清水の丹羽軟膏も全て捨ててしまい
予期せぬ脱ステ生活に。

薬が効いている間は良かったのだが…
32歳、再び大大大悪化。ステロイドを使いたくなく、悪化に耐えました。
祖母が亡くなり、発達障害の姉と暮らしました。
ストレスでアトピー悪化。
アトピーの苦しさを理解してもらえず、
辛かったです。

33歳、ストレスから解放されたく、夜逃げ。世田谷区の保育士借り上げ社宅制度を利用して、転職と一人暮らし。姉と暮らすストレスから解放されてアトピーが良くなると期待したが、もっと悪化。事務職なら務まるけど、アトピー悪化での保育の仕事はきつく、保育に集中できない。子どもの命と安全を守らなければならないのに仕事ができない。

34歳、標準治療再開。
35歳、退職、オーストラリアへ。
36歳、帰国・妊娠
37歳、再婚・出産・育児・脱ステ
38歳、今に至ります。



髪がーーーあせる
写真みて、びっくり汗
顔の肌が良くなってきたら
シミが増えてて、逆に落ち込みました。

脱ステしたらシミが消える!とか
そういう良いことがあれば、辛い脱ステも
頑張れるのに…と思ったり…叫び










床の水溜りは
強酸性水がこぼれましたあせるあせるあせる