4年前のわたし。パースに行くちょうど1年前。
標準治療に戻って3ヶ月の頃。
ステロイドを使うことで
体調が安定して
やりたいことを楽しめて
いつか、フラのインストラクターになりたくて
ワークショップに参加して、
イプヘケを自分で作りました。
公園で、青空イプヘケメイキング。
2日間がかりで作りました。

昔撮った写真ですが…イプヘケ。
ひょうたんを二つ繋げて作ります。
カヒコ(古典フラ)を踊るとき
チャンターがイプヘケを叩きます。







お正月明けに
わたしがイプヘケを作った頃に
フラを教えてくださった方の
Facebookに、
こんな投稿があり




喜ばしい事なのに
なんだかすごく寂しくて悲しくて
すごく苦しくなってしまったのです。
結局いいね押せませんでした。
ブログを、開いたら
K師匠とNちゃんの素敵ないツーショットラブ
羨ましくて…ますます落ち込んでしまい…
しばらく引きずっていました…

インストラクターになったNちゃんは
わたしと同期で
一緒に頑張ってきた大切なオハナ。
大好きなオハナ。


イプヘケを作って
ちょうど1年後
フラを学ぶことは
すごくすごく楽しい絶好調の時だった。

保育園の仕事も順調。
何もかもがうまくいっていた。
園が、3ヶ月だったら、辞めなくていい。
辞めなくてもオーストラリアへ行っていい。
そう言ってくれた。



フラのレッスンを
できれは継続させたかった。
このまま学び続けたい気持ちは
すごくあった。

だけど、わたしは
どうしても
オーストラリアへ行きたかったのだ、、

何もかも手放して
異国に行ってみたかった。
英語を学びたかった。
フラを学ぶうえで、英語は必須だと思った。



わたしは
3ヶ月では帰ってきたくなかった…
3ヶ月では、英語の習得なんてできない。
だから、悩んだけど
保育園を退職した。

観光ビザの延長申請もだした。
英語習得のため、できるだけ長く滞在したかった。


ただ、お金とアトピーだけが心配だった。
薬が切れたら、帰ればいい。そう思って
皮膚科に事情を話し
出せるだけの薬を処方してもらった。


アトピーでなければ…
アトピーの自分のことを
すごく悔やんだ。

薬がないと生きていけない
自分の体が、すごく憎かった。悔しかった。

でも、ステロイドがあれば
普通の人と変わらなく生活ができる。とも思った。

この時は
ステロイドなしで生きていきたいけれど
ステロイドはありがたい
わたしには必要。そう思っていた。


わたしは、
パースでもフラを踊り続けようと思って
ウクレレとパウスカートと、練習ノートと楽譜を
パースに持って行った。

場が変われば意識は変わる…
パースに着き
一月くらいはフラを踊っていたけれど
いつの間にか
パースの生活に浸っていた。


フラを休会したことも
仕事を辞めてパースへ行ったことも
後悔はしていない。

パースで、主人と出会えたから。
主人と出会って
最愛の息子を授かれたから。








ただ、
寂しかった。
Nちゃんは、そのまま熟練して
インストラクターに。


わたしは、脱ステ闘病生活。



こんなにも、かけ離れた人生を歩むことに
なるなんて…



わたしとNちゃんは年は1つ違いで
お互いバツイチで
再婚時期もほぼほぼ同じです。。





帰国して2週間後くらい
お世話になった教室へ行って
大好きな仲間達と3時間踊り続けました照れ

インストラクターになったNちゃんを
この時はガン見しながら
初めての曲を踊ってますチュー音譜



名古屋に引っ越して
妊娠8ヶ月の頃。
どうしてもステップを踏みたくて
ほんの少し、フラを学びました。
ハワイの先生のレッスンも受けました。
この時は
わたしは、一生フラを学び続けるのだろう
そう思った。











お正月明けに
FBの投稿を読み
複雑な気持ちになってしまって


わたしは
本当は
まだフラを踊りたいのかなって思った。



元気になれば
また
学べる。踊れる。




今、わたしがやるべきことは
病気を、
アトピーを治すこと!!


元気な体になること!!







大丈夫大丈夫。
自分に言い聞かせて…。